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必死だった2度の介護

田辺さん-----実母さんと義母さんを介護した経緯と経験。聞いていいですか。まず、実母さんの介護はどんなふうに?

 実母の介護は、私が北海道から上京して予備校通いの浪人生だった18歳の時に始まりました。母が脳腫瘍で倒れたと連絡がきて、大慌てで札幌に帰り、付き添った最初の2週間は、同じことを何度も聞く母に「死んじまえ」って怒鳴ってしまったこともあった。手術で頭を開けてみたら脳動脈瘤で、専門医が改めて手術をすることになり、ひとまず頭を閉じたその夜、痙攣を起こして母は42歳でいわゆる植物人間の状態になったんですね。私は「死んじまえ」と言った自分を責め続けました。
 病院の母のベッドの横に布団を敷き、泊まり込んで介護しました。うちはちょっと複雑で、父は本妻のいる人だったので、ひとりっ子の責任感だったと思いますよ。私は毎日、植物人間となった母親の体を拭き、おむつを換え、点滴のようにして流動食を食べさせ、時には車いすで外につれていき……。

-----青春まっ盛りの時に。

「なんで私だけこんな目に遭わなければいけないんだろう」と不平不満はあったけど、母がかわいそうで、捨てるということは考えなかったですね。「家族が介護するのが美しい」「付き添いさんに預けるのはよくない」という時代。母の介護は私の宿命と思って、この先30年介護が続くかもしれないけど、全うしようと思っていました。
 周りには、若い娘が青春を棒に振っていると見えたみたい。当時の看護婦さんから「自分の人生も考えなさい」、父から「手に職をつけなさい」って言われて、ガックリでした。
 4年半介護し、私が23歳の時に母は46歳で亡くなりました。「やれやれ終わった」という解放感と、反面、虚脱感で心に穴があいたような状態になりましたね。

その後、田辺さんは、母の介護中に心の支えとしていた横尾忠則の本の影響を受け、インド放浪の旅に出る。帰国後、大道芸人・ギリヤーク尼崎や、彫刻家・草間弥生の影響を受けたり、劇団に入団したり、「自分探しの旅」を続ける中、26歳で結婚。27歳で出産。「造形作品をつくりながら、子育てを楽しむ」生活を送る。

-----義母さんの介護をされたのは?

 結婚して5年目。31歳からです。義母は腎不全で、3年間、人工透析を受けながら、入退院を繰り返しました。結婚する前に、夫から「お袋は体が弱いので、いずれ介護が必要になる」と聞いていたので、イヤだという気持ちはまったくなかったんですが、実際に始まると大変でした。
 手のかかる4歳の娘がいるのに、同居した夫の実家(その後の住まい)には、独身だった夫の弟も住んでいて、私は皆の面倒を見なくてはならなくなった。今から思えば、すべて自分でやって「いい嫁」に見られたい-----の思いが強すぎたんですね。

-----一生懸命に世話をしすぎた?

 そう。玄米がいいと聞けば、ひたすら玄米ご飯を炊き、「玄米ご飯なんか食べたくない」と言われても押し付けたし、桜の花が咲けば、義母に「見に行きましょう。きれいですよ」と、車いすを押して無理やり公園に連れ出したし。相手を変えよう、治そうとしたことが大間違いでしたね。こちらが「よかれ」と思ってやったことを義母が喜ばないと腹が立って、夫に八つ当たりばかりしていました。
 義母は、肺炎で自呼吸ができなくなって人工呼吸器を3回入れました。2回目に入れる時、「いいことも悪いこともあったが、もう十分に生きたし、満足している。機械は苦しいので、入れないでほしい」と言ったんです。なのに、私は「何を馬鹿なことを言ってるのよ。先生も一生懸命やってくれてるんだし、機械を入れないのは、死ぬということなんだ。もったいないこと言うな。頑張れ」と励ました。
 間違いだったと思います。義母はその1カ月後に亡くなったんですね。あれは延命にしか過ぎなかった。本人が「もういい」と言った時で十分だった……。義母に申しわけなかったという気持ちが今も残っています。

1990年、義母が亡くなり、田辺さんは疲労感に包まれる。しかし、その年の9月に、夢の中に講談師、故田辺一鶴師匠が現れたことをきっかけに弟子入りし、講談の世界に入る。

 

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