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最初は大変。思わず叩いてしまったことも

-----失礼ですが、楽しそうですね。介護する側・される側の関係は、最初から良好だったんですか。

 今は楽しいですが、4年前、じいちゃんを自宅介護するようになった最初の半年間は悲惨でした。とりわけ、介護保険を実際に受けられるようになるまでの最初の1カ月くらいは、もう大変で大変で……。
 夫と娘との3人で、介護のローテーションを組んだのですが、平日は私と娘が予定をやりくりして交代で、勤めていた夫は日曜日が当番。お互いに自分の時間を制限しての介護だったので、ストレスがたまる。自分よりもだれかが多少でも自由にしていると癪に障り、ケンカが絶えなかったです。
 あの頃、じいちゃんも、30分毎に、大声で「助けてくれ〜」と叫ぶし、気に食わないことがあると「バカヤロ〜」「このヤロ〜」って怒鳴り散らしてた。しばらく仕事なんてまったく手につかなかったばかりか、病んでるじいちゃんと一緒にいると、こちらも病んでくるんです。
 腹が立って、夜中に思わず手ぬぐいでじいちゃんを叩いてしまったことだってありました。ものすごい罪悪感にさいなまれて、知り合いのお坊さんに打ち明けると、「人間は誰だって、あなたと同じ立場になったらそうするよ」と言われ、次第に「もっと肩の力を抜いて介護していいんだ」と思うようになったんですね。

田辺さんとお父さん-----田辺さんは、昔からお義父さんと仲が良かったのですか?

 とんでもない。私は「長男の嫁」。建築家だったじいちゃんは、外では社交性があったのに、家の中では、自室に籠って競馬新聞とラジオの株情報にかじりついていた。若い頃は、家庭を顧みなかったようだし、男尊女卑で、私には“天敵”のような人でした。
 私たち夫婦は結婚後、じいちゃんたちと別居していましたが、5年後に義母の介護が必要になって同居。当時じいちゃんは元気で、4年ほど一緒に暮らし、その後「愛人」のところにいました。そして今回、約4年前に、うちに戻ってきた。決して仲がよかったわけじゃないんです。

-----えっ、愛人? 事情をもう少し教えてください。

 義母が亡くなったのが20年前です。じいちゃんは、しばらく仏壇を拝んでばかりいましたが、3年後に70歳で高齢者のお見合いの会に入って、69回お見合いをして、相手を見つけた。「俺はまだ終わっていない。お前らなんかにはかなわないだろう」って強気でしたね。そして、相手の家に引っ越して行って、14年間そちらに住んでいたんです。
 ところが、2005年の夏、じいちゃんから「今日、白内障の手術で入院するから、病院に来てくれ」と電話がかかってきて、病院に行ったら、じいちゃんはいたけど、手術の予定も入院の予定もなかった。「おかしいな」と思った予感は的中。「全財産をなくした」とか「通帳と印鑑を落とした」とか、わけの分からない電話が増えました。同居の「愛人」が根をあげ、「引き取るか、施設に入れてください」と言ってきました。
 2006年の1月に連れ戻しに行って、「帰る」「帰らない」ですったもんだがあって救急車で迎えに行き、紆余曲折の末、我が家へ連れて帰ってきたんですね。でも、その頃じいちゃんはまだ歩けたから、「愛人」の家に戻ってしまった。その後、脳梗塞になり、やっと連れ戻したのです。

-----「天敵」だった人を、自宅で介護しようと思ったのは、なぜだったんですか。

 じいちゃんは、高度経済成長時代になんでも乗り越えた人だから、弱い立場の人の気持ちや痛みなんかが、あまり分からないタイプ。「俺たちの時代はよかった」と自慢話ばかりでした。
 そういうタイプを、当時の私は「立ててあげる」なんてこと、しなかったから、じいちゃんはつまらなかった、寂しかった。だから、「愛人」のところへ行ったんだろうと思うようになっていたんです。私がもっと賢く接してあげるべきだった。かわいそうなことをさせたという負い目があった。
 それに、「人は、自宅で死ぬほうが幸せではないか」という思いもあったんですね。実母と義母を介護して病院で見送った経験と、ひょんなことから「介護講談」をするようになり、ヘルパー2級の資格をとって介護ボランティアをしたり、知り合った医師や看護師らと話した体験からの思いです。賛否両論あるでしょうが、病院の治療で命を長引かせられるのは、幸せなこととは思えない、と。もう一度だれかを介護する機会があれば、自宅で看取りたいと思っていたんですね。

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