俺にとって、生活自体がアート。「一緒に暮らすばあさんをアートにしていいんじゃないかな」と思ったのが、そもそもの始まりだね。
作品「母の大きな靴」の前で
| 1977年にニューヨークから帰ってきて、独り者の僕が、親父とお袋を引き取って3人で暮らし始めたんです。親父はワンマンで好き放題に生きてきたんだけど、秩父の田舎出身のお袋は耐えながら親父に尽くしてきた人でね。それが6年前に親父が亡くなってから、年のせいか病気がちになっちゃって。うつ病から軽いアルツハイマーを発症し、大量の薬を服用し続けた副作用で、難聴になって、今は左耳
が少し聞こえるだけ。おまけに左足が静脈血栓で、歩くのがやっと。お袋は俺しか頼る人がないわけで、俺が介護をやらざるを得ない状態になったしまった。そんな中で生まれたのが今回の作品「ART
MAMA(アートママ)」なんですよ。 日本って、何でも使い捨ての国でしょう。気候のいい時期は、お袋と毎日公園に散歩に行くんだけど、自転車までが使い捨てられてる。その点、俺はすごく物持ちがよくて、荷物を送った段ボールや外国で使った切符なんかも捨てないタチ。そんな物で作品を作ると、不用の物が生き返るし、ダイヤモンドで作る作品より深いものができる。それがアートなんですよね。
そういう意味では、ばあさんたちは素晴らしい素材でしょ。タイヤチューブをかぶせた作品「タイヤチューブコミュニケーション―母と近所の人たち」の3人は、戦後、一生懸命働いてきた人ばかり。お袋はうつ病だし、隣のソバ屋のばあさんは首が回らなくてもう死にそう、もう一人のばあさんも胃を何回も手術してる。みんな働き過ぎて、故障のきている人たち、いわば、古タイヤと同じ使い捨ての状態なんだよね。人はどんなに年老いても、死ぬまでは生きてるんだけど、日本じゃ高齢者の命が安すぎる。もっと大事にする気持ちがあっていいと思うんだ。
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