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年老いて、言動が少しあやしくなり始めた高齢者を、なぜか疎外視してしまいがちな日本の風潮。家庭のなかで孤立する高齢者が増えているのも、この辺に原因があるのかもしれません。「病気があっても、気持ちのうえで大事にされてるお母さん(82歳)は、伸び伸びとされているな」と感じたのが、今回登場いただいた折元立身さん(54歳)の家庭でした。
折元さん自身、自分の老いを目前にしながらも、親の老い衰える過程を目の当たりにし、直面せざるを得なかった介護問題。そうした避けて通れない親子の日常を、写真やオブジェ、ビデオで作品化した折元さんに、作品を通して見えてきた高齢者問題や介護の現状を、存分に語ってもらいました。
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俺にとって、生活自体がアート。「一緒に暮らすばあさんをアートにしていいんじゃないかな」と思ったのが、そもそもの始まりだね。
作品「母の大きな靴」の前で
| 1977年にニューヨークから帰ってきて、独り者の僕が、親父とお袋を引き取って3人で暮らし始めたんです。親父はワンマンで好き放題に生きてきたんだけど、秩父の田舎出身のお袋は耐えながら親父に尽くしてきた人でね。それが6年前に親父が亡くなってから、年のせいか病気がちになっちゃって。うつ病から軽いアルツハイマーを発症し、大量の薬を服用し続けた副作用で、難聴になって、今は左耳
が少し聞こえるだけ。おまけに左足が静脈血栓で、歩くのがやっと。お袋は俺しか頼る人がないわけで、俺が介護をやらざるを得ない状態になったしまった。そんな中で生まれたのが今回の作品「ART
MAMA(アートママ)」なんですよ。 日本って、何でも使い捨ての国でしょう。気候のいい時期は、お袋と毎日公園に散歩に行くんだけど、自転車までが使い捨てられてる。その点、俺はすごく物持ちがよくて、荷物を送った段ボールや外国で使った切符なんかも捨てないタチ。そんな物で作品を作ると、不用の物が生き返るし、ダイヤモンドで作る作品より深いものができる。それがアートなんですよね。
そういう意味では、ばあさんたちは素晴らしい素材でしょ。タイヤチューブをかぶせた作品「タイヤチューブコミュニケーション―母と近所の人たち」の3人は、戦後、一生懸命働いてきた人ばかり。お袋はうつ病だし、隣のソバ屋のばあさんは首が回らなくてもう死にそう、もう一人のばあさんも胃を何回も手術してる。みんな働き過ぎて、故障のきている人たち、いわば、古タイヤと同じ使い捨ての状態なんだよね。人はどんなに年老いても、死ぬまでは生きてるんだけど、日本じゃ高齢者の命が安すぎる。もっと大事にする気持ちがあっていいと思うんだ。
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