人格を崩壊させる「独居拘禁」
社会復帰を主体とした刑罰とはどういうものか。わかりやすくいえば、社会とのつながりをどう持ち続けるかということです。今の日本では、刑が確定して刑務所に入ると、家族と弁護士しか面会や手紙のやり取りができません。非常に親しい友人や毎日のように会っていた恋人でも会えず、人間関係が極端に狭められます。これは人権保障の観点からも、社会復帰を促進するという観点からも、おかしいと思いませんか?
もうひとつ。日本の刑務所には独居拘禁という制度があります。これは、たったひとりで朝から晩まで独房のなかで過ごさなければなりません。椅子すら与えられない。畳の上に置いた粗末な台のうえで袋張りなどの仕事を1日8時間させられます。仕事が終わっても誰かと話ができるわけではありません。食事を運んできてくれる受刑者に声をかけただけで罰せられるんです。今現在、こうした処遇を受けている人が全受刑者の4%以上、数にして2千人以上いることがわかっています。最長で37年、10年以上が28人、5年以上が65人に達しています。37年もの独居拘禁は世界でも類をみない過酷な状態だといえるでしょう。
なぜ独房に入れるのかという説明はあります。法務省は「他の人とまったく共同生活ができない特異な性格である」「暴力的傾向や他の収容者を扇動する性癖をもっていて、共同生活をさせると施設の安全が脅かされる」「他の人から精神的・身体的な圧力を受けやすい」などを独居拘禁の理由として挙げています。精神疾患を隔離の理由のひとつとして挙げていますが、統合失調症の急性期の人でも病院の保護房に入るのは一時期だけです。何年も誰とも話ができない状態におくなんて考えられない。人間をこういう環境に長期間おいておけば人格は崩壊します。実際、何年も独居房に入れられている人の多くが精神的な疾患にかかっているだろうと思われます。精神病だから隔離するのではなく、精神病にかかるような状態をわざわざつくってきた可能性が高いんです。
人間性を尊重するヨーロッパの刑務所
どの国にも犯罪はあります。じゃあどの国も2千人もの人を独居房に入れているかというと決してそうではない。オランダで、最も警備が厳しい重警備刑務所を見学したことがあります。かなり凶悪な犯罪を犯し、脱獄や暴動の恐れがある人ばかりが入所しているのですが、定員はわずか24人でした。重警備の区画は5つで、それぞれ4人が収容されていましたが、一人ぼっちではありません。刑務官とは一切接触しないようになっていますが、4人の受刑者たちは交流でき、一緒にスポーツやゲームを楽しめます。スポーツをする時にはガラス越しにインストラクターが指導するようになっていました。
イギリスの刑務所には、幼い女の子をレイプした人ばかりを集めたブロックがありました。そこには女性の刑務官が配置されています。おとなの女性とまったくコミュニケーションがとれず、子どもに欲望が向かってしまう彼らの更生プログラムの一環として、女性刑務官との交流があるんですよ。僕が見学した時は、女性刑務官とピンポンをしていました。
このように、人間的に過ごし社会復帰への準備ができるようにとさまざまな工夫をしているわけです。どんな「危険」をもっていても、人間性を奪わないというのがヨーロッパスタンダード。2千人もの人を独房に閉じ込めて精神疾患を生じさせ、「仕方がない」と開き直る日本とは大きな開きがあります。
権利の主張を許さない空気
また、独居拘禁の理由として「他の収容者を扇動する」というものもありますが、これは「権力に刃向かう」ということなんですね。受刑者には、刑務所等の対応に不服がある時に法務大臣に不服申し立てをしたり(情願)、弁護士会に人権救済の申し立てをする権利があります。ところが実際に受刑者が申し立てをすると、刑務官らが申し立てをやめさせるために暴行を加えるんです。拷問のような暴力を振るわれて泣く泣く申し立てを取り下げた人や申し立て後に集団暴行を受けて重傷を負ったり、亡くなった人が実際にいます。刑務所側にとっては、権利を主張する人間は根絶やしにしなければいけない存在なんですね。
名古屋刑務所事件の公判の冒頭陳述で、被告の刑務官が「名刑(名古屋刑務所)をなめるな!」と言いながら革手錠を締め上げていったことが明らかにされました。刑務官は刑務所を代表して、「名古屋刑務所は恐ろしいところだということを思い知れ!」と言ってるんです。彼個人の残虐さではないんですよ。事件に関与した5人の刑務官は無罪を主張しているのですが、きっとこういう気持ちからでしょう。「刑務所がなめられちゃいけないから怖いところだということを思い知らせろと先輩や上司から言われていた。言われた通りに仕事をしただけなのに、なぜ罪に問われなくちゃいけないんだ」。想像してみると、彼らの気持ちもわからなくはない。現にそういうやり方がずっと公認されてきたんですから。
だからこそ、一部の刑務所の問題ではなく、刑務所のあり方や受刑者に対する人間観などが根底から間違っていたという反省にたって改革していかなければならない。監獄人権センターはそれを訴えているわけです。
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