泣き叫ぶ我が子に容赦なく暴力をふるう父親、子どもの存在を無視し続けて餓死させた母親。虐待によるいたましい事件があとを絶たない。
児童虐待防止法(2000年11月)以来、関係機関の連携して子どもを守る環境づくりが進んでいる。しかし、残念なことに昨年の死亡児童数は61人。前年より17人増(警視庁調べ 毎日新聞2002年2月8日 東京朝刊)となってしまった。報道等によって周囲の関心が高まり、通報数も飛躍的に増えているが、一方で親の暴力は年々エスカレートしている。
法制度が強化され、関係機関も児童虐待防止に力を注いでいるにもかかわらず、なぜ子どもたちは殺され続けなければならないのか。加害者である親と関係機関の課題とともに子どもをとりまく地域、民間機関にできる「虐待防止」の問題点と可能性について考えてみたい。
「虐待する親」の更正プログラムがない
「なぜ、親元に返したのか」。
昨年8月、尼崎市で発生した男児死体遺棄事件でしばしば聞かれた批判である。児童養護施設から一時帰宅させなければ殺されることはなかったのに・・・・と。しかし母親は子どもを帰宅させた直後はプールに連れて行くなど、親らしい一面を見せていた。我が子を愛したい、親でありたいと願う気持ちも嘘ではなかったのだろう。問題は、むしろ子どもが保護されているあいだ、子どもの母親とその夫が「虐待してしまう」自分自身と向き合う機会がなかったことにある。
保護された子どもが帰宅すると、親は一時的に反省し、子どものよい親であろうと努力する。しかしやがて暴力が再発し、子どもが再び保護されるというケースは珍しくない。また、子どもがある程度成長し「家族の再統合」というかたちで親とともに暮らしはじめても、幼い頃と何も変わっていない環境の中で子どもは親の暴力を受け入れて育ち、虐待されていた子どもが虐待する親になってしまうという傾向がみられる。
現行の児童虐待防止法は子どもを守るためには有効なものとなったが、暴力連鎖の主要因である「虐待する親」に対して強制力がなく、指導内容も確立されていない。アメリカのようにケアや教育を受けなければ子どもの引き取りを認めないなど、もう一歩踏み込んだ措置が必要だ。しかし、残念ながら日本では本格的に親の更正プログラムに取り組む公共・民間団体の存在は皆無に等しい。
関係者がその必要性を痛感していても、現場スタッフは子どもを保護することで精一杯、親の更正プログラムまで手が回らないのが現状だ。深刻な虐待のケースに対応できる専門職員が絶対的に不足しており、担当職員が燃え尽きて離職を余儀なくされるという問題が随所で発生している。担当職員のストレスケアとサポートさえもままならない。児童虐待防止法の施行は子どもを保護するという意味では大きな前進にちがいないが、虐待の問題を根本的に解決していくためにも親の更正プログラムの早期開発が望まれている。現場スタッフもこれを望みながら手が回らないことをもどかしく思っている。
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