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戦後60年と人権
子ども虐待
ネットと人権
子ども虐待ー子どもの権利、子どもの人権ー

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最後に〜母の傷を癒すことから〜

「なぜこうなる前に・・・」虐待された子どもたちが亡くなるたびに、私たちは事前の「見落とし」を悔やむ。行政はなぜもっと早くにアクションを起こさなかったのか、警察が助けてやらなかったのか、と。
 しかし、行政機関が介入してくるのはむしろ最後の手段と考えたい。関係者が小さな兆候を見のがさず、親子が絆を結びなおすことができたケースを紹介したい。

ナオユキの場合

 ナオユキの町には、放課後、地域の集会所で小学生を預かる制度がある。責任者は指導員と呼ばれ、地域で信頼のおける人材が数名任命されている。教員資格は必要ないので、地域活動に熱心な子ども好きの主婦が請け負っていることが多い。
 しかし、ただ子どもを預かって夕方まで遊ばせていたらよい、というものではなく、やはり子どもたちへの目配りは欠かせない。
 小学校1年生のナオユキはことに目配りの必要な子どもの1人だった。少し発達の遅いアキラだけをしつこくいじめ、また、集団で遊ぶときには必ずといっていいほどトラブルメーカーになる。指導員たちは「何か問題がある」と気づいてはいたものの、その原因が突きとめられずにいた。
 
 ある日、子どもたちの希望で絵本の読み聞かせがはじまったときも、ナオユキ1人だけが騒いでいた。他の子どもたちが集中すると落ち着きがなくなり、大声で周囲の気をひこうとする。その騒がしさにたまりかねた指導員が、ナオユキをぎゅっと抱きしめた。「赤ちゃんみたいだけど、先生のお膝の上でじっとしていなさい」指導員が“抱っこ”しながら本を読みはじめると、ナオユキが突然泣きはじめた。
「どうしたの?そんなにイヤなの?!」
 ナオユキは首をふり、泣きじゃくりながら言った。
「ううん、抱っこしてもらったの、はじめて。こんなにあったかいの、はじめて」
「お母さんに抱っこしてもらったことないの?」
 泣きながらうなずいた。
 その日から、ナオユキは赤ん坊のように指導員にまとわりついて“抱っこ”を求めてくるようになった。そしてこの頃から見違えるように落ち着きを取り戻し、アキラをいじめなくなった。
 また、まとわりついてくるナオユキのシャツの下に、いくつもの鬱血を発見したのも“抱っこ”のときだった。ベテラン指導員の1人が虐待を直感した。
 
 母親のミチコは16歳で家出、17歳でナオユキを産み、結婚。19歳で離婚し、現在はアパートでナオユキと2人暮らしである。
 指導員には、ひと目で、ミチコの疲労感が伝わってきた。
 髪はばさばさ、顔色は悪く、洋服もひどくくたびれている。
「私も、あなたと同じ母親だから、なんでも相談してほしい」。
 指導員が静かに問うと、ぽつり、ぽつりと状況を話しはじめた。仕事がなく、生活保護を受けていること、思い通りのことが何もできず、子育ても苦痛で仕方がないこと。この子さえいなければと思い、そう考える自分を責めてしまうこと・・・・・。
「もしかして、ナオちゃんを殴ってる?」
 ミチコは、泣きながらこくりと頷いた。
「抱っこなんて、してやったことない。だって、私が親に抱っこされたことがないんだもの。子どもの可愛いがり方がわからない!」
 
 指導員は学校と相談し、ミチコと母親の関係を修復することがナオユキへの虐待を防止することにつながると判断した。指導員が、すぐにミチコの母親に連絡をとり、子細を話すと、随分と驚いた様子だった。
 
「たしかに、商家で十分にかまってやれませんでした。でも、あの子がそんなに淋しかったなんて・・・」
 娘が10代で非行に走り、家出をした原因にようやく思い当たった、という。その日から、母は毎日自転車でミチコのアパートに通い、2人の面倒をみることにした。
 
「ごめんね、気づいてやれなくて・・・」
 母親の、その言葉が硬直していたミチコの心を解いた。ナオユキが学校に行ってしまうと、ミチコは赤ん坊のように母親の膝の上で甘えた。子ども時代の忘れ物を取り戻すかのように、甘え続けた。
 そして昼間、存分に甘えた母の暖かさを、こんどは学校から帰ってきたナオユキにあたえるのだった。
 そんな家庭の変化は、すぐにナオユキにあらわれた。指導員に“だっこ”をねだらなくなったし、アキラにもやさしくなった。協調性と、落ち着きが出てきてトラブルを起こさなくなった。
 「ほんの、数ヵ月のことでしたが、劇的な変化でした。お母さんとの関係が変わることで、ミチコさんが変わり、ナオユキが変わりました。」
指導員は、当時をふりかえってそう語った。
 新聞で報道されるほどの大事件ではない。しかし児童相談所職員やプロのカウンセラーではなく、地域の人々が丁寧に関わることで変わっていった事例ではある。
 児童虐待は決して家庭と公的機関だけの問題ではない。死に至る暴力となる前に、子どもの心の傷が浅ければ浅いうちに、摘める虐待の芽は早い段階で摘んでいく。母と子に最も身近な地域と民間機関の関わり方で防ぐことができる暴力もある。専門機関の強化にとどまらず、こうした社会の潜在能力を育て、支援していくシステムもまた虐待防止には不可欠な要素ではないだろうか。

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