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――たとえばどんな文章が書かれたのですか?

 ぼくがまだ寿町に来て1年も経っていないころ、梅沢小一(うめざわ・こいち)さんという人に出会いました。生活が厳しく、尋常小学校の入学式にはお姉さんのお下がりのスカートをはいていったそうです。入学式から教師や子どもたちから排除され、自分を守るためにケンカに明け暮れ、勉強に身を入れるどころではなかったのです。
  そんな梅沢さんに「86歳で亡くなったお母さんのことについて書いてください」と<課題>を出しました。ぼくは内心、19行の識字の用紙2、3枚も書いてくれれば十分だと思っていました。ところが梅沢さんは「書ける」とひとこと言って、5日間をかけて20枚の文章を完成させたのです。7年間介護をした末に看取ったお母さんに対し、時につらくあたったことやできなかったことに対して謝り続ける内容でした。なかに1カ所、「おかさん」と書かれた部分がありました。お母さんが亡くなっていく場面で「おかさんと大きなこえでおもいきりなきました」とあったのです。他の部分では「母」や「おかあさん」となっていたので「なんと読むのだろう」とわかりませんでした。次の週、それをみんなの前で読んでもらうことにして、ぼくも神経を集中させて聞いていました。その部分にさしかかった時、涙声の梅沢さんは大きく息を吸い込み、亡くなっていったお母さんを呼び戻そうとするかのように「おっかさーん」と大声で叫んだのです。
 ぼくは一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。そして次の瞬間、「どう読むのかを訊かなくてよかった」と胸をなで下ろしました。梅沢さんはお母さんに謝り続け、「おっかさーん」と叫びたくてこの文章を書いたのだとも思いました。

――梅沢さんにとっては「おかあさん」ではなく、「おかさん」だったんですね。

 梅沢さんの叫びを聞いて、ぼくは自分のなかに根づいていた「学校教育」が終わったと思いました。ぼくの受けた学校教育とは、「おかさん」を「おっかさん」や「おかあさん」と訂正して返すことでした。ぼくも識字を始めた当初はそうしていました。だけど言葉には、その人が生きてきた歴史そのものがあるんです。学校教育は「共通語」によって言葉の「地ならし」をしてしまいますが、識字の言葉は地ならしのできないものです。もし識字の場で地ならしをすれば、それはその人の生きてきた歴史や大切にあたためてきたものを無残に踏みにじることになります。残念ながら日本の学校教育は、そんな教育だったとぼくは思います。

――大沢さんは教える側のようでありながら、教えられたこともたくさんあったのですね。

 教えられることばかりです。梅沢さんに対しても、「この人はまだ長文は書けない」という偏見をもっていた。とんでもない話でね。ぼくは自分の母親のことをあんなふうには書けません。梅沢さんの「おかさん」をきっかけに、ぼくは自分の識字そのものを変えました。漢字や文章に手を入れることは一切やめたんです。訊かれれば答えますが、それ以外のことは何もしません。「識字だから文字や文章をきちんと教えないとダメだ」と何度も言われましたが、「整った」文字や「すわりのいい」文章を見たいとは思わない。その人そのままの文字や文章と出会いたいんです。



――識字に対する考え方もいろいろあるのですか?

 真理はひとつだと思うのですが、現実には先に述べたような学校教育の差別的な部分が識字の世界にもちこまれています。ぼく自身は教師ではありませんが、多くの識字の現場では学校の教師たちが中心となって担っています。昨年(2004年)の全国同和教育研究協議会・大阪大会識字分科会で、「習熟度別に学習内容を検討していく」と発言した奈良の報告者がいました。書かれている内容、すなわちその人がもっている固有の世界や文化、背景よりも、文字獲得の習熟度別に分けて「指導」していこうという傲慢な発想です。
  学校教育から差別され押し出された人を、再び学校教育の視点で評価しようというのです。一方、「私たちの識字では、もう学校の先生はいらない」と発言する人も現れました。おそらくその人は学校の教師たちによる識字に納得のいかないものを感じ続けてきたのでしょう。ぼくはその発言に心から共感します。

――しんどいものを抱えて生きてきた人たちと信頼関係を築くのは簡単なことではないと思います。大沢さんはどんなふうに関係をつくってきたのですか?

 確かにぼくという人間を信頼してもらうまでには時間がかかります。寿町にもこれまで何人かの学校教師などが識字学校へ来たのですが、ちょっとやっては理由を説明することもなくどこかへ行ってしまうという状況でした。だからぼくも「どうせすぐにどこかへ行くんだろう」という目で見られていました。それは仕方ない。彼らだって信用しては裏切られてきたわけですから。「ぼくはここで一生、識字を続けるよ」と言いましたが、とても信用できなかったでしょう。
 ぼくは「約束を守る」ということを大事にしています。識字にくる人たちは、厳しい人生を自分の力で生きてきた人たちですから、何か困ったことが起きたからと他人に気軽に相談したり頼ったりはしません。そういう人たちが、ワーワー酒を飲んで騒いでいる時に、たとえば「今度、短いのでいいから鉛筆を1本持ってきてくれ」とひとこと、言うんです。そしてすぐにまた別の話にワーッと移っていく。ほんとうに何気ないひとことなんですが、ぼくは忘れずに次に会う時に鉛筆を渡します。これは「こいつ、俺の話をちゃんと聞いてるかな」という彼ら独特の「声のかけ方」で、信頼に値する人間かどうかを確かめているんだと思います。大きな約束はいくらでも守れる。ぼくは小さい約束をこそ守っていこうと自分で決めてやってきました。
 読み書きができないと足下を見られ、だまされたり理不尽な扱いを受けたりします。自分を守るためには危険を察知する能力を身につけなくてはいけない。それをぼくは「勘性」と呼んでいるのですが、寿でぼくが出会った人たちはそんな「勘性」をもつ人たちでした。

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