公園やオフィス街の脇に並ぶテント きれいに整備された天王寺公園の周辺、ジョギングや散歩をする人が行き交う大阪城公園の木々の間、ビルが立ち並ぶオフィス街を縫うように流れる川の縁……。身なりを整え、家族や友人と談笑しながら歩く人々のすぐ脇に青いビニールシートでつくられたテントが並び、足元には路上に横たわる人がいる。そして多くの人にとってこの情景は見慣れたものになってしまった。それが大阪の現状である。
2003年3月、政府は野宿生活者に関する調査結果を発表した。それによると、公園や河川敷で生活する人の数は全国で2万5千人あまりにのぼる。前回(2001年9月)を約1,200人上回り、過去最多を記録した。仮にも先進国と呼ばれる日本で、なぜ仕事も家も失い、テント生活をおくる人が増え続けるのだろうか。国内最大の日雇い労働者のまち・釜ヶ崎で日雇い労働者の支援活動に携わり、現在は野宿生活者の支援活動を行っているNPO法人・釜ヶ崎支援機構を訪ねた。 失業したら、もう野宿しかない 先の調査では大阪府内で野宿生活をおくる人は約7,700人と、全国で最も多い。これは建築業を中心とした日雇い労働を目当てに、全国から職を求める人が集まってくる釜ヶ崎の存在が大きい。野宿生活をする人たちが増え続ける“構造”を、事務局長の松繁逸夫さんはこう話す。
「戦後、日本はモノをつくって海外に輸出することで高度成長を遂げました。景気の波はありましたが、不景気の時は公共事業がクッションとなり、日雇い労働市場が失業する前の最後の受け皿という役割を果たしてきました。だから日本の発展とともに釜ヶ崎のような日雇い労働者のまちが大きくなってきたんですね。ところが産業構造の変化と大型公共事業の減少という時代の流れのなかで、建設労働の日雇いという受け皿の部分がものすごく小さくなっている。少し前なら、失業・日雇い・野宿という段階があったんですが、今は失業したらスコーンといきなり野宿生活までいってしまうわけです」 セーフティネットが機能しない現状
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釜ヶ崎支援機構の事務局長 松繁逸夫さん | 失業したら即、野宿……。その前に、生活保護という手段があるのではないのだろうか。
「そう、最後のセーフティネットとして生活保護があるはずなんですが、残念ながら機能しているとは言えないのが現状です。日本の生活保護法というのは世界でも最もすばらしい無差別平等原則で、“誰でも困っている時は受けられますよ”というのが理念です。ところが実際には“すべての手段を使い果たした後に適用する”という“縛り”があるわけです」
「すべての手段」とは、財産がまったくない、身寄りがない、稼動能力(働く能力)を使い果たしてしまった…などで、要するに生きるか死ぬかの瀬戸際のような状態でなければなかなか生活保護の受給が認められないというのが現状だという。
「たとえば、職安に行けば確かに求人はあります。すると生活保護の申請に行っても“求人はあるんだから、仕事をしなさい”と言われる。しかし求人があるのと実際に就職できることとの間には大きな隔たりがあるんです」と松繁さん。たとえば求人の多くがパートタイマーであるため、2つも3つもかけもちしなくては生活が成り立たない。精神的にも体力的にもきついうえに、立場は不安定だ。「それでもやっていこうという気になるには大変なエネルギーが必要ですよね。やっていける気がしない。それで二の足を踏んでいるうちに家賃が滞納になる、生活保護は受けさせてもらえない。もう野宿しかない、ということになる。最低限の生活を保障するセーフティネットが今の日本では機能していないということが一番大きな問題ですよね」 |