興味深い統計がある。
浜井さんが2006年に治安状況について実施した調査によると、「自分が住んでいる地域と日本全体で犯罪が増えていると思うか」という問いに、「とても増えた」と回答した人が、自分の地域では3.8%だったのに対し、日本全体では49.8%もいた。一方で、社会安全研究財団が01年に行った「犯罪に遭う不安を感じる理由について」の調査では、「テレビや新聞の報道によるもの」という答えが5割を超えた。つまり、近辺では治安は悪化していないが、報道によって、日本のどこかでは治安が悪化していると、多くの人たちが感じていることになる。
浜井さんも、「つくられた治安悪化」の原因は、メディアの報道の仕方ではないかと語る。
「これは全世界的に起きていること。犯罪統計上悪化してないにも関らず、体感治安が悪化したという感覚は先進国でほぼ共通して発生しています」
先進国に共通しているのは、メディアの発達であり、速報性。地方で起きた事件がインターネットなどで瞬時のうちに、何千キロ離れた人々の耳に届くといったユビキタス社会になっているのである。
「報道のやり方も問題です。シンドラー社のエレベーター事故や三菱自動車のリコール隠しなど問題が起きると、過去のデータまで一斉に紹介するなど集中砲火のような報道がされる。すると、受ける側はそうした事故が急増し、シンドラーは問題だ、三菱はいつ壊れるか分からないといった印象を持つことになります」
もう一つ指摘されるのが、視聴率争い。
「メディアも市場の原理なので、テレビ報道の世界ですら視聴率争いがある。被害者の生の声や現場の映像を使ってドラマ仕立てにするなど視聴率が取れる内容となりがちです」
タミフルの問題にしろ、厚生労働省研究班のレポートをきちんと分析して客観的に数字を論じている番組は見られない。被害者の声や異常行動の数や様子、癒着の疑惑など物語性ばかりが追求される。
「コメンテーターにしても、仮にリベラルな発想をもっていても、視聴者に支持されるためには正義感を全面に出した断定調で情緒的な反応をしないと使ってもらえないのではないでしょうか」
さらには、ここ10数年で犯罪被害者の声や存在がクローズアップされ、これまで目を背けて見えていなかった犯罪被害の実態が浮き彫りとなり、報道や行政を動かしたという事実も大きい。特に、神戸連続児童殺傷事件以降、遺族の声が大きく取り上げられるようになり、メディアを動かし、少年法の改正や犯罪の厳罰化などにつながっていった。
「そうした運動の中で、治安の悪化がレトリックとして使われる。視聴者はさまざまな報道を通して、癒えることのない被害者の痛みや理不尽な結果を見聞きする機会が増え、その副産物として、いつ自分が被害者になってもおかしくない、日本は必ずしも安全じゃなかったんだという不安が高まってきた側面はあると思う。でも、そのリスクを計算してみると、それは本当に少数なのです」
「つくられた治安悪化」は、何が問題なのだろう。
「治安悪化、つまり不安は、消費の根源になる」と語る浜井さん。
不安が高まることによって、子ども用の携帯電話が売れ、監視カメラが取り付けられる。政治的にも、治安の問題が戦後初めて選挙の公約に取り上げられた。そうして一定のマーケットができれば、それが維持される。マスコミや世論の圧力を受けて、行政もさまざまな対策を講じることになる。文部科学省も学校での対策を採らざるを得ない。そうなれば組織ができ、予算と人がつき、啓蒙活動や問題の掘り起こしが始まる。すると問題は再生産されていき、各所で安全マップを作られ、防犯訓練や防犯パトロールが始まる。結局は、市場の原理だというのである。
そういう中で監視が強化され、子どもの安全を旗印に、我々は無意識のうちに、知らない人や地域の雰囲気に合わない人を不審者として排除していくのだ。
浜井さんはいう。
「私のように何千人という犯罪者を見てきた人間でも、この人は犯罪者かもしれないと見分けることは困難です」
それにも関らず、「誰もが不審者」という社会が形成されつつあるのだ。
「相互不信の社会です。親や学校から知らない人には気をつけろ言われてるから、我々は子どもが倒れて泣いていても声をかけられない現実がある。防犯パトロールのユニフォームや腕章をしていないと、不審者と思われる可能性がありますからね」
それで助かる命が助からなかったり、防げる事件も防げないことに。相互不信を招く社会は、健全な社会とはいえない。結果として、ホームレスの人も含め、不審者は行き場を失っていく。
「昔は地域社会のなかでホームレスとして生き延びていた人たちも、今はできなくなくなった。セーフティネットからあふれた人たちは地域社会で不審者として排除されるのです。警察が動くような事件ではなくても、市民からの通報に対応せざるを得ない現実がある。身寄りがなければ釈放するわけにもいかず、最後の砦である刑務所に入ることになります。いろんな社会機関の中で選り好みしないのは、刑務所だけですから」
そして、釈放となっても行き場がない人は、犯罪を犯してでも刑務所に戻っていく。
「刑務所は『治安の最後の砦』ではなく、『福祉の最後の砦』になってしまっているんです」
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