「私たち患者もコンビニ受診をやめて、医師の負担を軽減するので、医師を派遣してください」という県知事あての文面を皆で考え、パソコンの得意な人が署名用紙を作り、コピーし、保育園や幼稚園、診療所、地元のショッピングセンター、企業を手分けして回って署名を頼んだ。幼子の手をひき、回った人もいる。地域から小児科医がいなくなるかもしれないという事実に、現実感が伴う。足立記者は告知記事を書き、後方支援した。市民は協力的だった。
途中から参加し、第3子の妊娠のため代表を降りた人に代わって、代表者になった丹生(たんじょう)裕子さん(38)は、街頭署名に立った日のことを鮮明に覚えている。
「まっすぐ私たちのところにやって来て『あ、これやね』と署名してくれる人も多かったんです。子育て期を過ぎた人も、将来の孫のために、地域のためにと協力してくれたんですね」
丹波市と、隣接の篠山市の人口の合計、約11万人。そのほぼ半数の55000筆が集まり、6月14日、守る会メンバーは、兵庫県庁へ提出に出向いた。しかし、事前に何度も電話連絡し、県知事に手渡したいと伝えていたにもかかわらず、対応は健康局長だった。
「しかも、医師不足はあなたがたの地域だけではない。但馬地域のほうがもっと困っているので、丹波地域への対応は来年以降になる。丹波からだと北近畿豊岡自動車道を通ったら、神戸まで30分で来れませんかと言われたんですよ」(丹生さん)
北近畿豊岡自動車道は、丹波から神戸と反対方向につながる高速道だ。意味不明。丹波地区の住民の半数の意思は、意にも介されなかったことを「怒りを通り越し、空しさと徒労感に包まれた」という。
ところが、守る会のメンバーたちは、へこたれなかった。
約2週間後に開いた「お疲れさま」のランチ会で、誰からともなく「このまま解散するのはもったいない。あんなに署名が集まり、私たちの思いに共感してくれる人があんなにいたんだから」の声があがったのだ。
丹生さんは言う。
「行政に訴えても無駄だったけど、他に、私たちの手でやれることを考えよう。新しいお医者さんが来ないなら、今いるお医者さんの負担を少しでも軽減させられるように呼びかけようと、なったのです」
守る会メンバーたちのパワーは、勢いを増した。
〈コンビニ受診を控えよう〉
〈かかりつけ医を持とう〉
〈お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう〉
と3つのスローガンを掲げ、住民に伝えるためにステッカーを作ろう。ホームページを作ろう。そして、本当にすぐに受診しなければいけないかどうかが分かるチャートを作ろう。活動資金は、不用になった子ども服をフリーマーケットに出して、集めよう。販売する服の値札に、スローガンを印刷しよう。機転を利かせたそんな活動が功を奏していくことになる。
和久医師は、丹波新聞の記事や口コミで、守る会が生まれて活動をしていることを知った。
「守る会の活動がどんな“化学変化”を起こすのか、見届けたくなった」
それだけではない。和久医師の「退職」発言を聞いた「親分肌の恩師」が状況を理解し、兵庫県立こども病院(神戸市)から、週に2回外来を手伝いに来てくれ、若手医師も回してくれるようになった。和久医師は、退職の先延ばしを決めた。
また、和久医師は、NHKのETV特集「夕張」をきっかけに、城西大学(埼玉県)経営学部の伊関友伸(ともとし)准教授(行政マネジメント学。元夕張市医療再生アドバイザー)の存在を知り、自身の状況を伊関准準教授のブログに投稿し、相談していた。「早く辞めなさい」とのアドバイスも受けていた。
「医療現場を知り尽くしている人だからこそ言える私を思いやる言葉だった。当時の医療者以外の言葉とは思えなかったし、逆に医療者以外の人に分かってもらえたことで、計り知れない勇気をもらったのです」
6月、丹波新聞がその伊関准教授らを医療フォーラムに招聘。「患者は自身を守るために、医師を守らなければならない」という内容のシンポジウムが開催され、約700人の住民が熱心に聴講した。意識変革の後押しとなったのは、間違いない。
守る会と和久医師が初めて対面したのは、8月だった。
「今から行ってもいいですか」
と守る会からの電話を受けた和久医師は、「辞めないでくれと頼み込まれたらどうしよう」と気が重かったそうだが、メンバーたちの思いは違った。
「むしろ、私たちの活動によって、大変な思いをしているかもしれない先生が辞められなくなったら、申し訳ないという気持ちでした」
と丹生さん。制度の要求と、医師個人への思いは別だという気持ちがそれぞれのメンバーにあった。
「お体、大丈夫ですか。いつもありがとうございます」
と言い、感謝の気持ちを綴った「ありがとうメッセージ」などを貼った模造紙を手渡した。そして、小児科の受付に「ありがとうポスト」を置きたいと申し出たのだった。
「古里の人たちが私の気持ちに、気負いのない形で応えてくれているのだと実感し、とてもうれしかった」(和久医師)
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