「嫌韓流」本には、「強制連行」の人たちは全てが本国に帰ったとも書かれています。
どのようなデータをもとに、何を根拠にそういうことが言えるのか。終戦を迎えた1945年に、日本国内にいたコリアンは236万人でした。そのうち、戦後、約170万人が朝鮮半島に帰国し、約60万人が日本にとどまりました。私が行った推計では、「徴用」「官斡旋」で日本に渡って来た人の13〜14%(30〜33万人)が日本に残った。この数字は決して小さくない。こういう数字をきっちり押さえていくことが重要だと思います。
1106人の一世にアンケートを行った、在日大韓民国青年会の報告書では、「なぜ戦後帰国しなかったのか」という質問に、7割が「帰国準備をした」と回答し、帰国準備をしながら日本に残留した人の60%が「帰国後の生活のめどがたたなかった」と答えています。
それは、50年からの朝鮮戦争により帰国の途が閉ざされてしまったことに加えて、日本政府が朝鮮人強制労働に対する賃金を未払いのまま放置したこと、朝鮮人の元軍人・軍属に対する補償を行わなかったこと、そして『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(明石書店)に書かれているように政府が在日コリアンに対して通貨1000円、荷物250ポンド以上の持ち帰りを禁じたことが要因です。
「強制連行の人たちは全て本国に帰った」「自分の意思で渡日した人が居座っているだけ」といった見解は、歴史を直視していないために出てきた意見と言わざるを得ません。
「嫌韓流」の本に、日本における外国人犯罪は、日本人の犯罪の2.5倍だと書かれていましたが、それは?
根拠のない数字で、怒りを覚えます。
2000年に石原慎太郎東京都知事が、「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を……繰り返している」と、在日を含む外国籍住民への偏見そのものの発言をしたこともありましたね。99年まで続いた指紋押捺制度も同じで、外国人、特にアジア人は犯罪する予備軍である、怖い、外国人の近くに住むな、友達になるなと、示していたようなもの。そういうのが、多くの日本人の今までの潜在的な意識でしょう。
実際は、不法滞在外国人の凶悪犯罪率はそれほど高くありません。凶悪犯罪の98%は日本人によるもので、不法滞在外国人によるのは1〜2%です。外国人の中にも犯罪者は僅かにいますが、日本人の中にもひどい人もいる。同じなんですよ。もっと言えば、日本に住む外国人も日本人の凶悪犯罪の餌食になっているわけです。例えば、数年前、東京の在日韓国人のタクシー運転手が暴走族の手で殺されましたが、犯人は未だにつかまっていません。私も日夜、日本人の脅迫文という言葉の暴力に脅かされているわけです。誰も守ってくれない。
日本人を犯罪から守るだけではなく、在日外国人を日本人の偏見や差別から守るのも、日本政府や地方自治体の役目のはず。ニューカマーの人たちも増える中、インフラも整備せず在日への差別、偏見、暴力を放置している今の日本で、多文化共生なんて実現できるはずがないですよね。
在日の歴史を知らないことに加えて、偏見がはびこっている・・。
偏見といえば、今後ニューカマーの人たちがさらに増えると、もともと日本人がしてきた仕事がその人たちに取って変わられていくのではと危惧する声も聞かれるようですが、その考え方には、大きな間違いがあります。
というのは日系人の調査を行って明らかになったのですが、日本が外国人の就労を規制してきたにも関わらず、30万人と数えられる大量の外国人就労者がいるのは、日本の若者がいわゆる3K労働を嫌がって、募集してもほとんど集まらないからなんです。中小企業の社長さんにインタビューしたら分かります。少子高齢化社会が進む中で、日本人を雇うことができないから、外国人を雇っているというケースが非常に多いんです。日本人を雇うと解雇できないが、外国人の首は切りやすいという便宜上の都合もあります。つまり、外国人を隙間産業で利用しているのは日本人のほうなんですね。
そういった現実の無理解による本末転倒論と、先の話題「在日犯罪者の本名報道」とは、無関係ではないかもしれませんね。
そうですね。「強制連行」に話を戻すと、帰国を断念して日本にとどまった約60万人は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効までは「日本国籍」でしたが、以後、他の外国人と一律に外国籍とされ、国籍条項のもとに、徴用によって重度障害者となった人すら障害年金の受給対象外とされるなどさまざまな差別を受け、65年締結の日韓条約以降も日韓両政府から何の補償も受け取れないという最悪の状態が長く続きました。やがてその人たちの子ども、孫が生まれ、2世、3世、4世として定住。80年代以降、国際諸条約の批准による内外人平等の原則によって、ようやく徐々に国民健康保険、国民年金などの加入、公団住宅や公営住宅の入居、国民金融公庫の融資、児童手当の国籍制限など制度的差別はかなり改善されてきたものの、先にも述べたように、日常的に差別がまだまだまかり通っています。
名前に関しても、複雑な歴史を経て今があります。在日コリアンが日本で参政権を取得するには、「引き続き5年以上日本に住所を有する」「素行が善良」などといった一定の要件を満たして申請し、日本政府が判断するという「帰化」によって日本国籍を持たなければならず、つい最近までは日本風の名前を名乗るように「指導」されてきました。民族的な誇りを捨てて「帰化」をしないといつまでも「外国人」扱いで、2000年までは更新のたびにあたかも犯罪者のように「指紋押捺」を強要された外国人登録証の常時携帯を、今も義務付けられています。そんな中で、生活上の便宜のために、多くの在日コリアンが通称名をもたざるを得なかったのです。数年前に、私がある自治体で1000人以上の在日コリアンにアンケートを実施したところ、本名の使用率は、50代、40代が7%、30代が15%、29歳以下で20%以上といった状況でした。
名前は、歴史の重みがあり人としてのアイデンティティそのものですから、本名であれ通称名であれ、当人が希望する名前で呼ばれる権利、報道される権利があるのです。ましてや、良いことをした時は通称名で報じられるのに、悪いことをした時だけ本名報道というのは、バランスを欠いているということです。
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