
障害をパワーに変換できる社会へ
その頃、エド・ロバーツというアメリカ人が来日し、「障害はパワーだ、エネルギーだ!」と言ったんです。この言葉には衝撃を受けましたね。私はそれまで「障害なんていう損なクジをひいちゃったけど、この身体しかないんだからしょうがない」という否定的な受容をしてきましたから。「障害はパワーだなんて、どんな社会で生きてれば言えるの? 私だってそう言いたいわよ」と思い、それを見極めたくて81年から5年間、民間企業の基金を得てアメリカへ留学しました。

アメリカで盛んに行われていた自立生活運動に触れた時は、目からウロコがポロポロ落ちる思いでした。
日本では「身辺的自立と経済的自立ができて初めて自立といえる。その自立ができない人は施設にいるしかない」という考えが主流で、私も「仕方ない」と思っていました。そう思いながら施設に残してきた人たちに対する罪悪感はずっとひきずっていたんです。
ところがアメリカでは「自立とは、自分がどんな暮らしをしたいか、誰に援助してもらいたいかを選ぶ、つまり自己決定権を行使することだ」というんです。そして障害者たちが自信と誇りをもって生きている姿を目の当たりにしました。私たち自身に選択権があるという考えがすごく新鮮だったし、「ああ、よかった」と心底ホッとしました。
私は地域社会においては「変な子」「障害者」という偏見、差別を受ける立場でありながら、障害者のなかでは軽度の障害者として重度の障害者を差別する立場に置かれている、という居心地の悪さをずっと感じてきました。だから施設にいる人たちも私と同じように「どうしたいかを決める権利」があるんだと知って、ほんとうに嬉しかったですね。
「障害はパワーだ!」と言える原動力は『自分への自信』だと思い知らされたひぐちさんは、帰国後、精力的に活動を開始。86年に日本で最初の自立生活センター『ヒューマンケア協会』設立に参加したのを皮切りに、89年は町田市に『町田ヒューマンネットワーク』を創設、91年には全国自立生活センター協議会を発足させ、ピア・カウンセリング(障害をもつ当事者によるカウンセリング)を全国に広めた。そして94年、町田市議会で初めての女性障害者議員となる。
市民レベルでの活動に限界を感じて、政治参加を決心したんです。実際に議員になったとたん、それまでとは全然違う情報が入ってくるようになって驚きました。建物ひとつとっても、市民は完成するまで中身がわかりませんが、議員であれば着工前に情報が入ってきます。それでエレベーターがなかった施設の計画を変更させたことがあります。このようにカウンターの内にいるか外にいるかでまったく違うんですよ。なかから説得していけば、自分たちの声を行政に反映できるという実感をもちました。
昨年は介護保険がスタートしましたが、この3〜4年で障害者にかかわる政策が大きく変わります。2005年の介護保険見直しまでに障害者の思いがちゃんと組み込まれた形で改革が行われていたら、やっと障害者の21世紀がはじまると言われています。この時期にカウンターの外側でワイワイやってるだけじゃいけないと、今度は国政の場を目指すことにしました。
ここ数年、たくさんの(障害者運動の)リーダーたちが死んでいったんです。必死で運動をやってきて、愚痴もためこんだ挙句に・・・。私は“爆死”だと感じています。もう誰も死なずに21世紀を迎えたい。だから今、私がやらねば、という気持ちなんです。
●ひぐち恵子さんのホームページ
ILピアネット http://www.ilpeer-net.com/
