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「施設コンフリクト」。多くの人にとっては、聞き慣れない言葉です。けれども実はあちこちの町で起きている、とても身近な問題なのです。もし、あなたの住む町に障害者施設ができることになったら、あなたはそれをどう受け止めますか? 私たちの人権意識を正面から問われるこの問題について、「自分自身のこと」として考えてみてください。
+++「施設コンフリクト」とは+++
身体・知的あるいは精神障害者や高齢者のための社会福祉施設の新設計画が、近隣住民の反対運動によって中断、停滞する「人権摩擦」
シリーズ第5回
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隔離から地域での自立支援へと、精神医療のあり方が大きく変わろうとする流れのなかで、精神病そのものに対する差別や偏見は依然、根強く残っている。当事者はもちろんだが、支える家族の悩みもまた深く、重い。今回は、精神障害者である30代の息子と暮らしながら、親同士の連携や行政への働きかけなどさまざまな活動をしているTさんに、親としての思いを語ってもらった。 |
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大阪市西成区に住むTさん(62歳)の息子Aさん(33歳)は、高校3年生の時に学校で集団暴行を受けたことがきっかけで自宅にこもりがちになった。結局、高校は中退。その後アルバイトもしたが、悲惨な経験から他人のささいな言動にも萎縮するようになり、長続きしなかった。20歳の頃から完全なひきこもり状態となり、24〜5歳で精神分裂病を発症。しかし31歳で入院するまでの約10年間、まともな治療も受けられず、Tさん夫婦は大きな不安や悩みを抱えたまま孤立無縁の状態で、暴れる息子と暮らすしかなかった。
なぜこんなにも長い間、Aさんは適切な治療を受けられなかったのか。両親は行政や地域の支援を受けられなかったのか。そして今、Tさん親子が求めているものは何なのだろうか。
どこに相談しても援助は得られなかった
息子さんは入院されるまで10年以上、自宅にひきこもっておられたんですよね。その間、治療は受けられなかったんですか。
「ひきこもるようになってしばらくはおとなしかったんですが、そのうち『何か変な声が聞こえる』と言い出して、電話帳を壁にボンボン投げつけるんですわ。怒ってもきかないし、困り果てて保健所に行きました。息子が23か24歳の頃です」
保健所の対応はどうでしたか?
「担当の女性職員が来られたんですけど、息子を一目見て『怖いですね』と言って、飛んで帰ったんです。冬やのにシャツとパンツだけで、誰が見ても異常なんですけどね。私にすれば、とにかく『これではいかん、入院させたい』という気持ちでいっぱいやった。でも保健所は『二人の医者が一週間おきに診て、治療が必要だと合意してからでないと知事の許可が下りず、入院させられない』と言うんです。『それなら医者に来てもらってほしい』と頼みましたが、結局来てくれませんでした」
ほかにどんなところへ相談に行かれましたか。
「警察へも何回も行きましたよ。でも実際に事件でも起きないかぎりは動けないと言われました。そんなこんなで、長い間放っておくことになってしまった」
病院へ行かれたことは?
「あります。精神病院へ無理やり引っ張っていって、『入院させてくれ』と。でも診察の時には先生と対等に話ができるんです。それで先生に『ちゃんと話も通じる。入院させる必要はないから、通院しなさい』と言われたんですけど、遠くてとても通えなかった」
最終的に入院となったきっかけは何ですか。
「ある知人に相談したら、近所にある障害者会館の人を紹介してくれたんです。で、その人が訪問診療をしてくれる精神科の先生といっしょに家に来てくれた。そこで息子の様子を見た先生が警察へ電話してくれて、警官といっしょに精神病院へ連れて行ったんです。そのまま1年、入院しました」
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