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「施設コンフリクト」。多くの人にとっては、聞き慣れない言葉です。けれども実はあちこちの町で起きている、とても身近な問題なのです。もし、あなたの住む町に障害者施設ができることになったら、あなたはそれをどう受け止めますか? 私たちの人権意識を正面から問われるこの問題について、「自分自身のこと」として考えてみてください。
+++「施設コンフリクト」とは+++
身体・知的あるいは精神障害者や高齢者のための社会福祉施設の新設計画が、近隣住民の反対運動によって中断、停滞する「人権摩擦」
シリーズ第3回
施設コンフリクトは、なぜ起きるのか
大阪市東成区の精神障害者生活支援センター『すいすい』をめぐる施設コンフリクトは、『すいすい』の運営母体HIT、地域の連合町会長、大阪市の三者が「協定書」に調印することによって、一応の解決となった。しかし現在も大阪市内だけでも二ヵ所で、地域住民の反対によって精神障害者支援施設の開設計画が中断を余儀なくされている。『すいすい』だけが特別なケースではないのだ。それではなぜ、施設コンフリクトは起きるのか。反対する地域住民の人権意識の欠落だけが問題なのだろうか。長年、全国各地の施設コンフリクトを調査、研究してきた大阪市立大生活科学部の小澤 温(おざわ・あつし)助教授に話を聞いた。
まず、施設コンフリクトが起きるのは、住民側の差別意識が一番大きな原因なのでしょうか。
小 澤:
それももちろん根底にありますが、多くの場合、プラスアルファの理由がありますね。そのプラスアルファは地域によって異なります。たとえば行政不信とか、ゴミ焼却施設などのいわゆる『迷惑施設』ばかり造られて住民の不満がたまっているとか、地価が下がるとか。そういった問題と抱き合わせになっていることが多いんです。施設コンフリクトが起きるのは、精神障害者施設に限らないのですが、精神障害に対する正しい理解がされていないだけに、他の施設に比べ、偏見や差別意識も強く表われますね。
精神障害に対する正しい理解を妨げているものは、何ですか。
小 澤:
精神障害という言葉の使われ方自体が、実は不正確なんですよ。たとえば犯罪の要因としても使われますよね。しかし福祉の領域では、生活に支障が生じて福祉サービスが必要な人のことをいうのです。同じ言葉を混同して使うので、犯罪=精神障害と結びつけてしまう。しかし統計的にいっても、犯罪を犯すことと精神障害に、ことさら関連があるとは言えません。商業行為だとか犯罪組織なんかの方がよほど犯罪と絡んでいる。でも誰もそれを指摘しませんね。犯罪が起きるには、さまざまな理由があります。それは裁判において明らかにされるわけです。ところがマスコミ報道では、特定の病気だけがクローズアップされる。言葉が先走って、深く考えることもせずに差別を助長させている。今の報道は、非常に問題だと思います。そこにプラスアルファの要因が加わり、反対運動つまり施設コンフリクトが起こるのです。
行政の対応はどうでしょうか。
小 澤:
日本の精神病に対する政策は長い間、隔離政策でした。明治時代の後半から90年近くも自宅の「座敷牢」に閉じ込めたり、精神病院に強制的に入院させる隔離政策をとってきました。そういう政策が続いた末に、'87年にようやく精神保健法が登場し、以来、任意入院の原則や地域社会での生活支援といった方向に政策が転換してきたわけです。しかし人の意識はそう簡単に変わるものではありません。10年ぐらいで国民の理解を得ようというのは、いささか変じゃないですか。第一、まず行政がこれまでの政策に対して反省しなければ。今、あちこちで施設コンフリクトが起きているのは、無茶苦茶な政策をやってきたツケでもあるわけですから。
確かに精神病や精神障害者に対する誤った政策の結果が、現在の差別・偏見につながっているのは理解できます。ただ、その誤解を解こうと話し合いを求めても、住民側に拒否されてしまっては解決の糸口もなくなってしまいますよね。
小 澤:
原理原則で議論すると、結論はハッキリしていますからね。つまり、障害者基本法には「障害をもつ人の社会参加に対する、社会連帯に基づいた国民の協力責務」というものが明記されているんですよ。国民は、障害をもつ人の社会参加やリハビリテーションの取り組みに対して、協力しなければいけないと定められているのだから、そもそも話し合う必要もないのです。だから原理原則はシャットアウトして、住民は行政に問題提起をするわけですね。
問題をすり替えてしまうんですね。
小 澤:
ただ、私は『すいすい』のケースのような強固な反対運動の狙いがわかりませんね。だって結論ははっきりしているのだから、お互いに時間を無駄にするだけですよね。そこで公的な基盤整備もやってくださいという話になれば、話し合いは成立となりますが。
公的な基盤整備というと?
小 澤:
たとえば道が狭いとか、公園が少ないとか、教育施設がないという問題があれば、都市計画のなかに組み込むという自治体もあるんですよ。地域開発のなかに、最初から施設も環境整備もいっしょにするということを条例で決めている自治体もあります。とにかく反対するには、いろんな理由があると思うんですよ。ただ、反対運動を分析すると、熱心な反対者は1割程度ですね。残りの9割は無関係、無関心です。逆に言えば、福祉問題で反対するほどの熱意があるのは、ありがたいくらいですよ。問題は、熱心に反対されている人が、どういう理由で反対しているかということでしょうね。
つまり施設側や行政も、反対している人の根っこにあるものを把握しないと、話し合いはスムーズに進まないのですね。
小 澤:
その通りです。それからもうひとつのポイントは、教育ですね。たとえばさっき、障害者基本法の話をしましたが障害をもつ人への協力の責務があるということを知っている国民がどれほどいるでしょう。日本は国際的にも、人権宣言や障害者の権利宣言といった規約に調印していながら、その意味を国民に知らせないし、国民も知ろうともしない。ここにも問題がありますね。もし海外で同じようなことが起きれば、住民側が逆に訴えられる可能性もあります。
あまり強硬な姿勢で臨んでしこりを残すと、後々やりにくいという事情もあるようですが。
小 澤:
なるべく刺激しないような解決というのは、棚上げに他ならないですよね。それではいつまでたってもルールが確立できません。誰だって、自分が住み慣れたところを乱されるのは嫌ですよ。でも社会権というものが憲法で定められていて、施設に反対する住民の論理はそこにも抵触しています。残念ながら、基本的な憲法教育も怠っているということの表れですね。私自身、10年前にも同じ問題に取り組んで、10年間同じことを言っているわけですよ。同じ反対でも多少、内容が変わればいろいろな違いがあるもんだと思いますが、まったく変わっていない。私はむしろこの10年、非常に大事な教育が欠落していたのではないかと思いますね。本当の意味での啓蒙、啓発を怠ってしまったということです。だからこの際、ルール化した方がいいんじゃないかと思います。
具体的にはどんなルールですか?
小 澤:
計画変更には応じないことです。事業は議会で承認されたものです。議会で承認されたということは、市民が承認したということですから、計画は最後まで貫徹すべきなんです。私は関東地区で強力な反対ケースを見てきましたけど、結果的には住民も好意的になりました。地域福祉推進ということで、多目的に利用できる併設型の施設も多いし、高齢者福祉も推進されるし、住民にとってもメリットのあることが多いんです。毅然とした態度でいれば、基本的には2〜3年のうちに解決します。そして学校教育のなかで、憲法や国際規約などをしっかりと教えることです。
施設コンフリクトの背景には、さまざまな要因が複雑に絡み合っている。「この10年、まったく変わっていない。むしろ大事な教育が欠落していた」という小澤助教授の指摘は鋭く、痛い。21世紀を控え、私たちの社会はこの遅れをどう取り戻していくのだろうか。
(次号へつづく)
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