安全のための拘束より、危険を覚悟した自由のほうが人間らしい暮らしができる。
喜楽苑では重度の障害や痴呆症があっても、お酒、たばこ、外出、外食、外泊とすべて自由。買物にも、美容院にも、居酒屋にも好きに行き来できる。痴呆症の問題行動のひとつである徘徊も「お散歩・外出」と呼んで、できる限りスタッフが介助する。当初は近所に2000枚のビラを配って協力を呼びかけた。以後2〜3年は年間50回くらい捜索願いを出すこともあったが、ほどなくゼロに。いつも出入りできれば出たいという欲求も減る。美容院や買物にたびたび行くことで地域の人に顔を覚えてもらえる利点もあった。
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思い出の家具や品を持ち込んで、温かい雰囲気の個室 |
そして、各部屋は自分の家。思い思いの表札を掲げ、思い出のある家具を持ち込んでもらう。希望者は電話も引いて家族と自由に話をしてもらう。これまでの人生を断ち切るのではなく、ごく普通の日常生活を送ってほしいからだ。それも施設内だけの自由ではなく、社会とのつながりも断たないようにと、地域の老人会や趣味の会への参加も勧め、市民として生きていくことに取り組んでもらう。「365日拘束される安全より、危険を覚悟した自由のほうが人間的な生活を送れると思いませんか」と微笑む市川さん。
どんなに重い障害があっても、希望をすれば、スタッフが2人つきそっての最高2泊3日の「ふるさと訪問」の旅もOKだ。
「重度の痴呆症の方が故郷に帰られ、古い知人に会われたりすると、かつて水平社運動をしていたとか、産婆として何千人の子を取り上げたとか、昔のことを次々と思い出される。年老いて介護を受けている現在の姿しか知らないスタッフは、旅でその人の長く誠実な人生を知り、それまでの特養入居者55人のうちの1人としての対応から、かけがえのない一人ひとりの人生80数年に思いをはせる介護に変わっていけるんです」
旅は、スタッフがもっとも学べる場でもあるという。それを支えるのは、人件費をやりくりしながらも他の施設より1.5倍増やしたスタッフであり、家族会やボランティアの人々である。
プライバシーが尊重されてこそ広がる社会性。
市川さんが高齢者施設にかかわるようになったのは19年前。自分の子育て問題を含め、無認可保育所開設からスタートした保育所が一段落つき、高齢者施設の責任者として動き始めたころ、さまざまな施設を見て回った。
カルテではなく手に結んだリボンの色で点滴が決められていた老人病棟。つなぎの服を着せられ、手足を縛られたお年寄りの虚ろな目。痴呆病棟には当然のようにカギがかけられ、カーテンもない大部屋のベッドにお年寄りが物のように寝かされていた。
「80数年生きてこられ、もっとも大切な人生の完成期に、こんな形で亡くなっていかれるのかと、私にとってあまりにショックな光景でした」
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他の施設のような流れ作業のように入る入浴ではなく、ゆったりと入れる個浴(檜の浴槽)が基本だ |
高齢になれば豊かな生活をしてこそ、その先に豊かな死があるのではないか。これでは無念の死ではないか。その怒りが日本の福祉意識を根本から変えなければという原動力となり、喜楽苑のテーマである「高齢者の人権追求」へとつながっていった。
喜楽苑では、部屋に入る時は必ずノックをし、「失礼します」とひと声かける。個室のカギは入居者が中からかける。おむつ交換の姿を人に見せない。入浴は同性介護が基本で、他の施設でありがちな裸のままで廊下に並ばせたりは絶対あってはならない。こうしたプライバシーの尊重も人権を守るための柱のひとつである。
管理しやすいために、常に人の目にさらされることを余儀無くされてきたこれまでの施設に疑問をもった市川さんは、個室にこだわってきた。「お年寄りが寂しいから」と特養では4人部屋が当たり前だった頃から、スタッフへの依存度が増し、かえってお年寄りの残存能力が落ちることや、夜中に気兼ねして物音ひとつたてられないことなどを訴え、90年初めより4人部屋を板戸で仕切る「個室化」に取り組んだ。
それもケアが伴わなければ意味がないことも強調した。立派な個室があっても、ドアを開けたまま「お年寄りに恥ずかしいなんてないですよ」とおむつ交換をする施設や、テレビをつけたまま入居者を部屋に放置するなどの独房的施設を見てきた経験からだ。
「いくつになっても恥ずかしいことは恥ずかしい。人の感性はいくつになってもみずみずしいものなんです」
市川さんは語る。「ひどい施設に入れられて、心の中は不満だらけででも、行く所がないお年寄りは『よくしてもらっています』と言わざるを得ない。そういう感性を押し殺さなければ生きていけない方が無気力にうなだれておられる姿から、『お年寄りは感性が鈍って無表情だ』と周りが決めつけてしまうのはどうでしょう」
世界保健機関(WHO)も「老年期特有の性格はないとし、仮にあるとすれば環境が影響している」と定義しているそうだ。喜楽苑・川柳クラブの作品集には、さまざまな心情を詠んだ句が寄せられている。
「涼風に揺られて恋の夢に酔う」
軽度痴呆症、87歳の女性の句である。