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特集



大崎事件にみる再審法改正の必要性 鴨志田祐美弁護士

2024/09/10


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。第4講は鴨志田祐美弁護士に「大崎事件にみる再審法改正の必要性」をテーマに講演していただいた。その様子を報告する。


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大崎事件の概要

 私は大学卒業後に会社員となり結婚、子どもを育ててから司法試験を受け、合格した時は40歳でした。42歳で弁護士となってすぐ、鹿児島の大崎事件という再審事件の弁護人を務めています。

 大崎事件は今から44年前、鹿児島県大隅半島の大崎町という小さな農村で起こりました。この事件に弁護人として関わったことで、冤罪が起きる背景や救済が進まない現実を知り、法制度に問題があるのではないかと思い至りました。そこで現在は再審法改正に向けての取り組みに力を入れています。

 前半は大崎事件とはどんな事件なのか、なぜ冤罪が生まれてしまうのかを具体的な実例を通してお話しし、後半ではなぜ救済に何十年もかかるのかを制度面の問題からお話しします。

 事件が発覚したのは1979年10月15日、原口アヤ子さんの義弟、四郎さん(仮名)が自宅横の牛小屋の堆肥の中から遺体で発見されたのが始まりです。この時点で「死体遺棄事件」が存在したことは間違いありません。逆にいえば、明らかだったのはそれだけです。しかし警察は遺体発見直後から「殺人事件」と断定して捜査を始めました。

 警察は、アヤ子さんの夫で四郎の長兄である一郎(仮名)さん、一郎さんの弟、つまり四郎さんの次兄の二郎さん(仮名)を任意同行して徹底的に取り調べたところ、二人とも殺人・死体遺棄を自白したため、逮捕されました。遺体が見つかってからわずか3日後のことです。この段階では、殺人、死体遺棄ともに2人の犯行との見立てでした。

 一方で警察は、アヤ子さんに目をつけていました。アヤ子さんは「長男の嫁」でした。農家の長男の嫁は、一家を取り仕切る立場です。特にこの家は、一郎さんを筆頭に男性たちが知的なハンディを抱えていたり病弱だったりしたので、葬式代にも困るだろうとアヤ子さんは全員に生命保険をかけていました。その事実を突き止めた警察は、「近親者による保険金目的殺人事件」という絵を描き、その見立てをもとに一郎さん、二郎さん、さらに二郎さんの息子、太郎さんを追及します。

 結果的に、3人はアヤ子さんの関与を認め、太郎さんは死体遺棄を自白しました。そして3人の「共犯者」は公判でも争わず、有罪判決に控訴もせず、ただちに服役します。一郎さんは懲役8年、二郎さんは懲役7年、太郎さんは懲役1年でした。

 こうした状況の中、アヤ子さんは一貫して犯行を否認しています。男性たちが軒並み自白する中で、ただの一度も自白していません。この強さはどこからくるのだろうと思いますが、男性3人が「アヤ子の指示で犯行をおこなった」と自白したので、アヤ子さんも有罪判決を受けます。もちろん控訴も上告もしましたが、結局、首謀者として懲役10年の判決が確定し、満期まで服役しました。

「殺人ありき」の見立てから始まった捜査

 先述したように、警察は最初から他殺という見立てをし、マスコミにも示されていました。事件の2日後の新聞に「殺人と断定」という見出しがついています。さらに「保険金目当ての計画犯行か」ということでアヤ子さんが逮捕されていく。捜査段階でも判決でも、犯人側も被害者側も同じ一族の中であると決めつけられてしまっています。

 弁護団が重要視してきたのは、アヤ子さんたちのすぐ近くに住んでいたIさんとTさんです。実は四郎さんは遺体で見つかる3日前、酔っ払って近くの雑貨店で買い物をした帰り、乗っていた自転車ごと道路脇の側溝に転落しています。

 その日、アヤ子さんたち一族は親類の結婚式に出席するため、出払っていました。日頃から酒癖の悪かった四郎さんはこの日も朝から酔っ払っていたため、結婚式に出席するどころではなく、置いていかれていたのです。泥酔状態で焼酎と玉ねぎを買い、ふらふらと自転車に乗る姿を雑貨店主に目撃されています。17時半頃のことでした。

 どうやらその直後に側溝に転落し、何者かに引き上げられた後、2時間ぐらい道路に寝そべっていたようです。なぜそう推定されるかというと、20時過ぎに四郎さんが寝そべっていた場所近くの住民からIさんとTさんに、四郎を迎えに来るようにと連絡があったからです。アヤ子さん一家が結婚式で留守だったため、近所のIさんたちに通報されたのです。

 通報を受けた2人は軽トラックで迎えに行き、上半身はずぶ濡れで、なぜか下半身は裸という状態で寝そべっていた四郎さんを荷台に放り込むように乗せて帰り、四郎さん宅の玄関の土間にそのまま置いて帰ったと供述しています。これはIさんとTさんがそう言ったから認定されただけで、他の人の目撃証言はありません。

 IさんとTさんが自宅に戻ると、そこにアヤ子さんが待っていました。実はIさんとTさんは四郎さんを迎えに行く前、アヤ子さんに「通報を受けて、これから四郎を迎えに行く」と連絡をしていたのです。2人に迷惑をかけたと思ったアヤ子さんは謝罪とお礼を言うために先回りして2人を待っていたのでした。

 そこにIさんとTさんが帰宅し、四郎さんを玄関の土間に置いてきたと聞きます。少し雑談をして自宅に戻る前、アヤ子さんはやはり心配だからと一人で四郎宅に寄りました。

 確定判決では、この時にアヤ子さんが土間で泥酔して前後不覚になっている四郎さんを見て、いつも一族に迷惑をかける四郎に殺意を抱き、夫や義弟に殺害を持ちかけたと認定しています。

 実は、アヤ子さんは、この時には誰も土間にはいなかったと一貫して供述しています。しかし、確定判決はアヤ子さんのその供述を信用せず、IさんとTさんが前後不覚の四郎さんを土間に放置し、それを見つけたアヤ子さんが一郎さんと二郎さんに「今、殺してしまえ」とそそのかしたと認定しています。

なぜ冤罪が生まれるのか

 ここまでお話ししただけでも、いくつも矛盾や無理が見えてきます。私たち弁護団はもちろん最初から、この一族による殺人・死体遺棄事件というものは存在しなかったと考えています。明らかに冤罪事件なのです。
 ではなぜこのような冤罪が生まれたのでしょうか。その原因を挙げます。

●捜査機関の思い込みに沿った捜査と証拠収集

 遺体発見直後から警察は「殺人・遺体遺棄事件」として捜査開始
 →被害者の事故死の可能性(遺体発見3日前に自転車で道路脇の用水路に転落)が捜査から欠落、関連証拠も収集されず

●「親族による保険金殺人目的の殺人」という筋書き

→保険金目的であれば事故死を装わなければならず、ことさらに死体を埋めれば殺人を疑われ、保険金目的が達成できない
※検察官は論告でも保険金目的を主張したが、確定判決は否定

●危うい「共犯者の自白」

「共犯者」3名の自白が直接証拠として採用されたが、彼らはいずれも知的障がいを抱えた「供述弱者」
→障がいに配慮のない過酷な取り調べによる「自白」
→裁判所は「共犯者」が法廷で満足に供述できないのを目の当たりにしながら、すらすら自白したように書かれている「供述調書」を有罪の証拠に

●ジャンク・サイエンス(ずさんな「科学的」証拠)

 自白以外の決め手となる証拠=四郎の遺体を解剖した法医学者は、四郎の死因を頚椎前面の出血から「頸部に加わった外力による窒息死」と推定(城旧鑑定)
 しかし、解剖に要した時間はわずか1時間10分。しかも城教授は解剖時転落事故を知らされていなかった。その後、原因は窒息死ではなく事故死の可能性と自らの鑑定を訂正(城新鑑定)。第1次再審の新証拠に

 その他、弁護方針の誤りや、IさんとTさんの供述の食い違いが見逃されるなど、数々の問題が重なった典型的な冤罪事件ですが、ひとたび有罪が確定すると、冤罪であってもそれを晴らすのはとても大変です。ここから日本の再審制度の問題について解説します。

 冤罪を晴らす手段として再審制度があります。再審とは、確定した裁判に間違いが見つかった時、裁判のやり直しをする手続きです。

 まず、裁判をやり直すかどうかを決める「再審請求」という1段目のハードルがあります。ここをクリアしたら、本番の裁判をやり直しましょうという「再審公判」が始まります。ここで無罪が確定してようやく無実の人が無罪になります。

 日本国憲法の下にある刑事訴訟法435条にはこう書かれています。

「再審の請求は、有罪の言渡を受けた者の利益のために、これをすることができる」

 すなわち現行法の再審の目的は、「無辜(無実の人)の救済」です。しかし同じ435条の6号には再審開始要件として「無罪を言い渡すべき明らかな(明白性)証拠をあらたに(新規性)発見したとき」とあります。実際には再審には高いハードルがあり、「開かずの扉」と呼ばれている現実があります。

 無罪の人を救済するのにあまりに高過ぎるハードルがあるのは問題であることから、1975年に有名な「白鳥決定」が出ました。新証拠の「明白性」の判断として、「当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべき」としたのです。また、その判断にも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されます。これにより、再審のハードルが下がりました。実際に1980年代は、4件の死刑事件で死刑囚が生還しています。

 白鳥決定は輝かしい事態をもたらしましたが、1990年代には日弁連が支援して再審無罪になった事件はたった1件しかありませんでした。強烈な揺り戻しです。現在は検察と日弁連のせめぎ合いという様相を呈しています。

再審法改正で過ちを正せる司法に

 大崎事件の弁護人として経験した再審制度の理不尽とは、「再審格差」と「再審妨害」です。

 まず、裁判所によって審議の進め方がまったく違うという問題が「再審格差」です。そのため特に問題が生じるのが証拠開示です。多くの人は裁判官がすべての証拠を吟味した上で有罪判決を書いていると思っていますが、そうではありません。

 捜査機関は税金と権力を使って地引網のように根こそぎ集めた証拠から、自分たちの主張に有利な証拠だけを裁判所に提出します。自ずと民間人である弁護人の証拠収集力とは雲泥の差があります。そこで弁護人は、捜査機関の手の内に眠っている証拠の中にこそ被告人に有利な証拠があるだろうと証拠開示を求めるわけです。

 しかし再審段階では証拠開示の「ルール」つまり条文がないために、裁判官のやる気次第、裁判所のさじ加減ひとつというのが現状です。

 次に、何とか証拠開示がされ、再審開始決定がされても、検察官による不服申立て、「抗告」がおこなわれます。これが「再審妨害」で、大崎事件では3度の再審開始決定すべてに検察官が抗告しました。そのため審理が長期化し、未だに再審が始まらないという異常事態になっています。

 証拠開示がどれほど重要か。たとえば袴田事件では、第1次再審(審理期間27年間)ではまったく開示されませんでした。しかし第2次再審請求審で裁判所から証拠開示勧告が出され、約600点の証拠が開示されたのです。その結果、確定審で犯行着衣とされた5点の衣類について、弁護団の再現実験によってねつ造であったことが明らかになりました。このように、再審において証拠開示は不可欠と言えます。

 また、「再審開始決定に検察官が抗告する」ことが審理の長期化を招いていると言いましたが、抗告できること自体がおかしなことです。前述したように再審制度には2段階の手続きがあります。第1段階は裁判のやり直しを求める「再審請求」、第2段階がやり直しの裁判をする「再審公判」です。本来、再審請求は「前さばき」の場であり、想定されているのは軽い手続きです。検察官は再審公判で有罪の主張を存分にすればいいわけで、再審請求の段階で抗告を繰り返す必要はありません。

 日本の再審法のルーツであるドイツでは、1964年に再審開始決定に対する検察官抗告を立法で禁止しました。本家がとっくにやめた不条理を未だ温存する理由はありません。

 こうした現状を踏まえ、再審法改正に向けたさまざまな動きが広がっています。市民団体として2019年に「冤罪犠牲者の会」「再審法改正を目指す市民の会」がそれぞれ結成されました。地方議会からも国会に対し、再審法改正を求める動きが拡大しています。2023年10月13日現在、北海道議会、岩手県議会、山梨県議会と153の市町村議会を採択しています。(注・2024年8月20日現在、12の道府県議会と323の市町村議会が意見書を採択)

 もちろん、日弁連も動いています。2022年「再審法改正実現本部」を設置し、日弁連を挙げて法改正の実現に取り組むことになりました。日弁連会長が実現本部長、私は本部長代行として実務を担っています。

 2023年には「再審法改正に関する刑事訴訟法改意見書」を取りまとめます。日弁連として32年ぶりとなる改正法案です。日弁連の再審法改正特設サイトで内容や最新の動きを掲載しています。

 一人でも多くの方にぜひこの問題を理解していただき、一緒に声を挙げていただきたいと思います。