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特集



インターネットによる社会の分断と連帯 辻 大介さん

2019/11/08


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2019年度のプレ講座では、「社会的マイノリティに向けられるバッシングを考える」をテーマに、研究者や当事者に講義していただく。連続講座の様子を報告する。

インターネットによる社会の分断と連帯 辻 大介さん

日本のネット空間における現在の問題状況

 インターネット上にヘイトスピーチがはびこる状況が続いており、社会の分断状況をもたらしています。その始まりがネット右翼、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人たちによる発信でした。いつ頃から存在するようになったのかは定かでありませんが、ネット右翼という言葉が登場したのは1990年代末です。

 海外でも、たとえばナチスドイツによるユダヤ人虐殺を否定するような歴史修正主義あるいは歴史否認論が問題になっていますが、日本の場合は1990年代後半から従軍慰安婦問題や南京虐殺問題は「なかった」と主張する人々の動きが活発化します。これ自体が排外主義的な要素をもっていましたが、2000年代に入ると排外主義的な主張が目立つようになりました。特に韓国や北朝鮮、中国に対しては露骨で攻撃的な姿勢が顕著です。2000年代の10年をかけて、排外主義が歴史修正主義の前にじわじわとせり出し、今、ネット上では排外主義が前面に立ったように感じます。こうした歴史修正主義的なものと排外主義的なものがくっついたところから「ネット右翼」が誕生したと言えるでしょう。

 2013年、在日コリアンが多く住む大阪市の鶴橋で、当時14歳だった女子中学生が「鶴橋大虐殺を実行します!」とトラメガでヘイトスピーチをし、大きな波紋を呼びました。この動画はネットで拡散しましたが、ユーチューブとニコニコ動画とでは印象がかなり違います。ニコニコ動画では観た人のコメントがテロップのように画面上を流れていく。衝撃的なヘイトスピーチを茶化し、過激なギャグであるかのように仕立てることである種のエンターテイメントにしてしまう。そうしてヘイトを許容する雰囲気が醸成されていくのだと感じました。

 ニコニコ動画や2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)を使い慣れたヘビーユーザーはある種のゲーム感覚を備えているので、ヘイトスピーチを真に受ける人は多くないと思います。しかし結果的にはヘイトスピーチを許容し、拡散するきっかけとなっています。

 こうした動画を巧みに用いたのが在特会でした。画面に流れていくコメントをヘイトスピーチの潜在的な支持者が見れば、「これだけの人が支持している」と思い込みます。そうしたユーザーをリアルな運動に動員していく。「ヘイトデモはネット右翼のオフ会だ」と表現した人がいますが、まさにネット上でつながった人がリアルな場でお互いの存在を確かめていると言えるでしょう。

 もうひとつ、過激な発言が許容されていくネット文化の背景として、有名人や政治家による過激な差別発言があります。元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏は「自業自得の人工透析患者の医療費は全額本人負担にせよ、払えないならそのまま殺せ」と自身のブログで発言し、大きな問題になりました。批判を受けて取り下げましたが、「ネット上では目立たなければ誰も見てくれない。見てくれなければ自分の主張は伝わらない。多くの人に伝えたいと思い、つい過激な言い方をしてしまった」と釈明しています。

 このように、ページビューを稼ぎたいがためにどんどん発言が過激になるということが蔓延しています。注目されたいというだけでなく、ページビューが高くなるほど支払われる広告費が上がるという事情もあります。ですからヘイトやフェイクニュース対策としては、広告費をどこで絶つかというのが大きなポイントです。

 デマやフェイクニュースの蔓延も目につきます。フェイクニュースが知られるようになったのは、2016年のアメリカ大統領選挙でした。「ローマ法王がトランプ支持を表明した」「クリントンがイスラム過激派に武器を売っていた」など信じられないような話が次々に発信、拡散されました。その後、これらはページビューに連動する金銭目的で発信されたものがかなりあることがわかります。フェイクニュースの発信が、東欧の貧しい地方の新たな仕事や、あるいは日本でも副業代わりになっていたりするのです。

 こうした状況のもとで、ネットの力による民族マイノリティーや性的マイノリティーに対する社会的排除がより強く働くようになってきています。私の調査と分析によると、たとえば「在日外国人は道徳的、知的に劣っている」と主張する古典的レイシズムに関してはネット利用との相関はありません。しかし、それとは別に現代的レイシズムと言われるものがあります。これは、「すでに平等なのに声高にさらなる平等を求めることで、逆にいい思いをしている」という考え方に根ざしています。日本では在特会がまさに在日コリアンに対して「差別されているのは日本人だ」と主張しています。こうした現代的レイシズムの考えをもつ人たちはネットのヘビーユーザーが多いことがわかりました。

 やっかいなのは「差別はいけない、平等にすべきだ」という意識の上に「自分たちこそが差別されている」と主張することです。こうした主張に対して、何を言っていくのかという課題があります。

問題の要因となるネット・コミュニケーションの特質

 ネット特有の課題として、相手の顔が見えないがために抑制が働きにくいということがあります。社会心理学では「オンライン脱抑制」といいますが、自分がどこの誰かがわからないため、相手からの報復や制裁を恐れず、言いたいことが言えるのです。また、現実の世界では非対称な関係でも、ネット上ではお互いの立場に関係なく、フラットにやりとりができます。当初はこうしたネットの特性が民主的な世論を喚起していくだろうと思われていました。実際、そうした良い面もあります。しかし抑制がきかなくなるというネガティブな面も目立つようになってきました。

 先ほども触れたフェイクニュースですが、ネットには事実よりもフェイクのほうが広がりやすいという特徴があります。さまざまな実験や調査で確かめられています。その理由はフェイクのほうが事実を伝えるニュースよりもセンセーショナルで面白いため、人に拡散してみたくなるからです。ローマ法王がトランプを支持したなどという、「まさか」というフェイクを信じてしまう人が一定数現れるのは、なぜなのか。心理学では「心理的免疫」といいますが、人は当たり前と思うともなく当たり前だと思ってきたことを否定されると、実は簡単に説得されてしまうという傾向があります。反論や根拠を考えたこともない、つまり「心理的免疫」がないのです。たとえば「在日コリアンは社会から差別的待遇を受けてきた」と当然の事実だと思っていたのに、「いや、実は特権をもっているんだ」と言われる。そんなことは考えたこともないので、「そうだったのか!だまされていた!」と確かめることもなく信じてしまいます。

 また、相反する情報の狭間で矛盾した心理状況に陥いることを「認知的不協和」といいますが、その時には、「自分の信じたい情報を選んで接したり信じたりする」という心理作用が働きます。自分の行動や考えを変えることで、矛盾をなくそうとするのです。たとえばトランプを表立って支持しにくいが、アメリカ最優先という考えには惹かれるという人がいたとします。認知的な不協和が起きている状態です。そこに「ローマ法王が支持した」という情報が流れてくると、「ローマ法王まで支持するのだから、トランプを支持すべきだ」と認知的不協和を逓減しようとするわけです。

 人間には、こうした自分の考え方に合うような情報を選択する、自分が正しいと思いたいために注目する情報が偏るという性質があります。その結果、意見の同じ人ばかりが集まり、似たような考えの意見ばかりがそのネットワークのなかに流れていくという状況が生まれます。エコーチェンバー(共鳴箱)といいます。

 エコーチェンバーの中にいると、集団の考え方が極端に流れていきやすいと言われています。目立とうとする人がより極端で過激な発言をし、それがネットワーク内で共鳴し、言論がどんどん極端になっていくのです。ひとつの意見に対して賛成する人と反対する人がそれぞれのエコーチェンバーのなかで意見を極端化させていくと、「集団極性化」が生じます。これを放置しておくと、意見のまとまりがつきにくい社会となり、最終的に分断状況が生まれかねません。しかしすでに日本でも起こっているのではないかと感じます。

どう問題に対応するか 〜表現の自由との兼ね合い

 こうした状況にどう対応すればよいのでしょうか。まずは法的規制の強化が挙げられます。罰則規定のない理念法ですが、2016年にヘイトスピーチ解消法が施行されました。同じ年に大阪市でヘイトスピーチ対処条例が制定されています。ヘイトスピーチと認定された場合、プロバイダーに情報開示させるという手続がありますが、機能していない部分もあります。また川崎市では罰金刑、刑事罰を課す条例を検討中です。

 しかし、表現に対する法規制には激しい「副作用」が伴う可能性があります。たとえばヘイトスピーチとそうでないものを明確に区分することは、実状としてかなり難しい。批判なのかヘイトスピーチなのかをどこでどう判断するのか。一方で「殺せ」など激しい表現だけに限定すると、むしろヘイトスピーチを規制するだけの効力がなくなってしまう怖れも指摘されています。規制を強めていくことで、レイシストやヘイトスピーカーたちは法の抜け穴を見つけ出していくという実態もあります。

 在特会元会長の桜井誠氏は、政党を立ち上げ、選挙活動の名目のもと、実質的にはヘイトデモと何ら変わらない言説を繰り広げています。しかし「選挙活動」に規制の網をかけるのは、私たち自身の首を絞めることになりかねません。仮に網をかけても、彼らがさらに別の抜け穴を見つけたらどうするのか。規制を強めれば強めるほど、私たち自身の表現の自由が狭まっていくという危険性をどう考えるか。

 そもそも、「表現の自由」はなぜ重要なのでしょうか。表現の自由には、ふたつの価値があると言われています。個人が言論活動を通じて自己の人格を確立していく「自己実現の価値」と、国民が言論活動によって政治的意思決定に関与していく「自己統治の価値」です。ヘイトスピーチはどちらの価値も毀損します。「表現の自由」として認められるはずもありません。

 私も含めてヘイトスピーチ規制に対して慎重な立場をとる人たちは、ヘイトスピーチの価値を認めて「慎重にすべきだ」と言っているわけではありません。規制によってヘイトスピーチ以外の個々の言論活動に副作用が及びかねないのを懸念しているのです。

 経済的自由とは異なり、言論活動を規制する法は、大きな弊害をもちます。拡大解釈され、政治的言論自体が抑圧される可能性、たとえば憲法改正を反対すること自体が問題であるとされ、法によって抑圧される可能性が出てきかねません。何が正しく、何が問題かを決定する力を国家に与えてしまうのは、やはりできるだけ避けたいところです。

 一方で、ネット上のヘイトスピーチの現状をみると、私自身はある程度の規制が必要だと考えています。そして規制を強化するなら実効的でなければいけません。

 デマやフェイクのうち、悪質なものについては概ね現行法で対処できると思います。もともと「風説の流布」などはネットに限らず禁じられています。問題はやはりヘイトで、とりわけマイノリティー、弱者に対して直接向けられるヘイトは、「スピーチ」を規制するのではなく、「クライム」として規制、強化できないか。民族差別や性差別の要素が含まれていた場合はより重い罰則を科せられないか。法学的には対応できる部分があると考えます。

 社会学者として気になるのは、ネットによって社会に差別意識が広がっているのではないかという点です。それが排外主義やレイシズムを容認する下地になっているとすれば、規制の根拠のひとつになり得るでしょう。

 表現をダイレクトに規制するのではなく、また、国が規制をかけるのは最後の手段として考えたい。その一歩手前のところで、エコーチェンバーの状況を崩していくような対策や規制はないものか。みなさんと知恵を出し合って考えてみたいと思っています。

●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度は「社会的マイノリティに向けられるバッシングを考える」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。