フェイク(虚偽)からファクト(事実)へ 北口末廣さん
2018/12/21
国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2018年度のプレ講座では、「ネット社会を生きる私たちの情報リテラシー」をテーマに、研究者や当事者に講義していただく。連続講座の様子を報告する。
ある事件報道の新聞記事を受講者の皆さんに読んでいただきました。この事件は、1991年12月2日に容疑者が逮捕され、最高裁で無期懲役が確定した事件です。
その記事とは、逮捕当日のある大手新聞の記事です。見出しは、「"ミクロ"の捜査1年半」「幼女殺害、容疑者逮捕」「一筋の毛髪決め手」「○○容疑者ロリコン趣味の45歳」との見出しで以下のように記述されていました。
まずリード部分で「容疑者に導いたのは一筋の毛髪 ○○県○○市の幼女殺害事件で2日未明、同市内の元運転手、○○容疑者(45)が殺人、死体遺棄の疑いで○○署に逮捕されたが、延べ4万人の捜査員を動員したローラー作戦とともに"DNA捜査"が、4000人に及ぶ変質者リストからの容疑者割り出しにつながった。週末の「隠れ家」でロリコン趣味にひたる地味な男。その反面、保育園のスクールバス運転手を今春まで務めるなど、"幼女の敵"は大胆にもすぐそばに潜んでいた」と紹介しています。また本文中には「この『週末の隠れ家』には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、○○容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい」とまで記述されていました。
「『隠れ家』でロリコン趣味にひたる地味な男」と表現し、自宅が「隠れ家」や「アジト」という記述になり、翌3日の新聞で「雑誌類を含め、ロリコン趣味を思わせる内容のものはなかった」と見出しではなく記事中で否定されていました。「ロリコン趣味」という見出しを、逮捕当日には堂々と使用し、「隠れ家」「ロリコン趣味」という表現を使うことを通じて、読者を誘導しているとしか考えられないような内容になっています。それだけではありません。リード部分で「保育園のスクールバス運転手を今春まで務めるなど、"幼女の敵"は大胆にもすぐそばに潜んでいた」という内容になり、逮捕された段階で「幼女の敵」として、犯人と断定されています。これが正当な事件報道なのでしょうか。決してそうではありません。すでに有罪が確定した「真犯人」に仕立て上げられているのです。「推定無罪の原則」はないに等しく、「容疑者」への憎悪と不審を掻き立てているとしか考えられません。この記事を読んだ読者は、間違いなく当時の「容疑者」への憎しみを増幅させ、「真犯人」と断定するはずです。
講演ではその記事の個人名や地名等、具体的な事件名が分かる部分を黒塗りし、分からないようにした上で、リードの部分だけでなく全文のスクラップを別紙の形で配布しました。その上でこの容疑者に対して「もしあなたが判決を下すとすればどのような刑(判決主文)にするか」と質問させていただきました。多くの受講者は確定判決と同様の無期懲役と回答されました。
その後、この被告人は服役し2009年6月4日に無罪の可能性が濃厚になったとして釈放され、再審で完全無罪が確定したことを受講者に明らかにしました。多くの受講者は驚かれました。再審裁判では裁判長が公判で謝罪するという異例の展開となりました。この事件は多くの方々もご存じの栃木県足利市で発生したいわゆる「足利事件」です。
圧倒的多くの人々も同様の回答をすることは、これまでのデータからも明らかになっています。なぜならこの記事を執筆した記者は、その表現からして間違いなく「真犯人」と思い込んで記しているからです。こうした思い込み記事が思い込み取材になり、思い込み記事の連鎖になっていくのです。誤った情報を真実と思い込めば、その情報から導かれる結論は間違いなく誤った判断になります。この記事と同様のことはほとんどのメディアで発生しています。私もこの記事を何の疑いもなく読んでいれば同様の回答をしただろうと思います。この記事を掲載した新聞社は、再審が確定した段階で真摯に検証記事を掲載していました。
この記事が当時の段階でフェイクニュースか否かを判断するのは極めて困難であり、新聞社も虚偽の報道をするつもりで掲載したわけではないことは十分に理解できます。またフェイクニュースといえるか否かも難しいといえます。しかし一つの情報が多くの読者の判断に与えた影響は計り知れないほど大きいのです。かつてマスメディアが「第四の権力」といわれた所以でもあります。つまり情報は「政治権力」を行使するのと同様のパワーを持っているということであり、あらゆるものを攻撃するツールとして利用できるということでもあります。誤用を許していただけるなら「ペンは剣よりも強し」ということなのです。本来この諺は権力や暴力に屈しない言論の力を示したものでありますが、この「ペン」が、今日、フェイクニュースや情報「兵器」として悪用されるような事態が、国際的な規模で起こっているのです。
今日の情報環境は上記の記事が掲載された1991年当時とは全く異なっています。個人やマスメディアでもない組織が、SNS等を活用してマスメディアと同様の力を持つようになっているのです。その具体例としてトランプ大統領が誕生した米国大統領選挙などの事例を上げることができます。つまり上記に紹介した既存メディアである新聞、テレビ、ラジオ等のメディアリテラシーへの関心とともに、SNS等で電子空間上を駆け巡るフェイクニュースにも注視しなければ、社会に多大な悪影響を与えていることが見過ごされてしまう危険性があるこを強く認識すべき時代なのです。
今やフェイクニュースは戦争の手段となり、サイバー攻撃「兵器」の役割を担っているといっても過言ではありません。戦争もハイブリッド化し、私たちの中にある戦闘機や戦車等を使用したこれまでの熱い戦争というイメージから変化し、軍事行動の位置づけが低下してきているといえます。サイバーツールを利用した相手国に対する様々な攻撃が多用されており、あえて申し上げるなら「軍事行動」からフェイク情報を含めた「情報攻撃行動」にシフトしてきているといっても過言ではありません。
情報操作によって敵国の経済に多大な混乱をもたらすこともできます。武力で相手国の経済や国民生活に多大な影響を与えることは、多くの歴史的な戦争で私たちは学んできました。それが今日では電子空間やそれを悪用したフェイクニュースによって可能になってきました。歴史的にも情報は戦争の重要なツールでありましたが、その在り方がインターネットの普及と人工知能をはじめとするIT革命によって根本的に変化してきたのです。
今から約50年前の1968年12月10日に発生した「3億円事件」は、白バイを偽装した犯人によって行われ、「劇場型犯罪」といわれました。しかし2018年に発生した窃盗事件の最大被害額は約580億円です。多くの方々もご存じのコインチェックから盗まれた仮想通貨です。すでにそのほとんどがマネーロンダリングされ、回収が不可能になったと報道されています。この犯人は、白バイを偽装したわけでもなく、劇場型犯罪を行ったわけでもありません。おそらくコンピュータのキーボードを操作しただけだろうと考えられます。犯罪の在り方も半世紀の歳月が大きく変えました。これらの犯罪はIT革命の進化なくして考えられないことであります。
こうしたIT革命の進化による情報操作は政治にも多大な影響を与えています。フェイクニュースを使用したネット世論操作は、多くの国で行われており、日本を含む48カ国で行われています。情報・広告コンサルティング会社であり、米国大統領選挙でトランプ大統領側に立って、ネット選挙を支援した「ケンブリッジ・アナリティカ」も米国大統領選挙やイギリスのEU離脱を決めた国民投票に大きな影響を与えました。すでに「ネット世論操作ビジネス」も確立しているといわれています。
日本においてもネット世論操作のために、AI(人工知能)が単純な繰り返しの作業を実行する「ボット」等になって、SNSのアカウントを大量に取り、自動で瞬時に広めています。こうした「ボット」が右よりの言説を広め、それらのサイトに誘導することを通して広告収入のアップにつなげているのです。こうした現実や事実を正確に知ることが、フェイクニュースを見抜く第一歩だといえます。
ところで先述した「ケンブリッジ・アナリティカ」は、「米国人2億3000万人と5000種類のデータを持っているといわれています。名前・住所・選挙人登録歴・テレビ視聴番組・購読雑誌・ウェブ閲覧歴・ショッピング歴や各種政治政策への関心度や態度、投票先を迷っている有権者か否か、各種選挙での投票可能性などをAIを活用して分析し、特定の人々に向けて作った特定のメッセージを流すことができるようになっています。そのメッセージの中にはフェイク情報もたくさんあります。
上記のデータをこの会社がどのように収集しているのかは明確ではありませんでしたが、その一端が本年(2018年)はじめにフェイスブックから奪い取られたものであることが分かりました。2016年の米国大統領選挙期間中にフェイスブックユーザーの8700万人分の個人データが、研究ツールを偽装したアプリによって奪い取られていたことが明らかになったのです。
端的に言えばフェイスブックから奪い取られたユーザーの「いいね」をはじめとする多くの情報が勝手に分析され、ターゲットをしぼった戦略的な政治広告などに利用されていたのです。上記以外にも情報技術を駆使しているプラットフォーム系企業等によって写真やメールアドレス、SNSの投稿、場所や移動の詳細、コンピュータのIPアドレスなど多くの個人データが分析されていることが明らかになりました。まさにプライバシー侵害を伴う個人データの収集とフェイクニュースによって、政治や経済に大きな影響を与えたといえます。
ここで紹介することはできませんが、EU(欧州連合)でGDPR(一般データ保護規則)が制定された背景には、SNSの普及に伴って個人データが広告をはじめとするビジネスや政治に広く利用されるようになった現実が存在するからです。個人データが本人の知らない内に、侵害され悪用が広がっているのです。さらに個人データの大量流出事件の多発なども重要な背景にあります。
これらの個人データは、上記に紹介した政治的なターゲット広告のために分析されるだけではありません。ターゲット広告のほとんどは、一般的な商品やサービスを販売したいと考えている広告主のために行われています。
フェイスブックは、2017年度に約400億ドル(約4・4兆円)の収益を上げています。まさに個人データを活用した収益です。個人から提供されたデータ(年齢・居住地・位置情報・嗜好分析等)をビッグデータとして活用し、それらを解析することによって、特定のユーザーが求めている商品やサービスを予測し、個人にフィットした広告を送りつけるのです。こうした広告は、広告主が求める潜在的な顧客を明らかにし、極めて高い投資利益率(R0I)を生み出しています。そうしたビジネスモデルによって、広告主へより高い広告費を請求できることになるのです。これらの分析データは、個人データとして収集されたビッグデータです。まさに個人データが金儲けの基盤になっているのであり、デジタル資本主義といわれる理由でもあります。ビッグデータをAIに分析させることによって、広告主が求める潜在顧客情報を割り出せるのです。こうした事実は、これまでのブランド広告中心のテレビ広告では得られなかった投資利益率を明確にすることにもつながっているのです。
多くみなさんにもターゲット広告が届いているはずです。私のところにも私が読みたいと思う本のターゲット広告がアマゾン等から日々送られてきます。それは私がネットを介して購入した書籍情報が蓄積されているからです。それを便利と捉えるか、個人データの勝手な利用と捉えるかは、個人によって大きく異なります。そうしたビジネスモデルによって、売り上げを伸ばしている業者は、間違いなく本人の同意を取っているというでしょう。しかし多くのユーザーは、便利なアプリ入手やユーザー会員になるときに、自身の購入履歴やウェブ閲覧歴等の情報を提供することに同意している定款や規則を詳細に読んでいる人は多くありません。法律学を専攻している私ですら詳細には読んでいないことが多いのです。すべての定款を詳細に正確に読む時間と労力は多くの人々にはありません。
フェイスブックは、ユーザーがアカウントを作成するとウェブブラウザにトラッキングクッキーを挿入し、ユーザーが訪れるウェブサイトを追跡しています。それはユーザーが訪れるウェブサイトをフェイスブックが把握しているということです。それらのデータもビッグデータとして分析されています。どのようなウェブサイトを観ているかというデータは、個人の趣味・嗜好や思想信条、関心事等と密接に関わっています。
このようなデジタル経済が進行する中で、ユーザーの足跡をデータ化し、個人のネット上の動きを把握して、他のデータと重ね合わせることができれば、趣味・嗜好や関心事といった個人像を一定程度明らかにできます。それはその個人が購入する可能性が高い商品やサービスの予測をより正確なものにすることができ、購入率の高い層に向けたターゲット広告につながっていきます。購入率が高ければ高いほど、グーグルやフェイスブック等は、広告主により高い広告費を請求することができるのです。まさに個人データが資本の原点だといえるデジタル資本主義の所以です。
私たちもデジタル市民として、実名やメールアドレス等の個人データを多くのプラットフォーム系企業に提供しています。それらもターゲット広告の資源になっています。
上記のことが進んできたのは、1998年からの20年間です。代表的な企業や事業だけでもグーグルの創業(1998年9月)、フェイスブックの創業(2004年2月)、グーグルマップ(2005年)、ユーチューブ(2005年)、ツイッター(2006年3月)を上げることができます。デジタル広告収入は2017年に世界全体で約24兆円であり、その約3分の1はグーグルの収入です。フェイスブックの収入もグーグルの半分に達しています。この二つのグループで世界のデジタル広告収入の約半分を占めているのです。そして20億人以上がフェイスブックを利用し、グーグルが運営するユーチューブも15億人以上が利用しています。「人」と「財」に巨大な影響力を有していることは紛れもない事実です。こうした状況の変化とフェイクニュースの横行が関連していることも忘れてはなりません。
人間が物事を考える前提は各種情報です。その情報がフェイクであれば、人々の判断は根底から覆ります。政治の世界で最も高いレベルの公の政治的討論は国会の審議であり、人々はその審議過程を重要な情報として取得し政治判断を行います。その判断が政権構成に大きな影響を与えます。そこでフェイク情報が横行すれば政治に甚大な悪影響を与えることはいうまでもありません。
かつてエルンスト・ブロッホは「政治とメディアが連携すれば、どんな文化の国もたちまち粗暴な国になる」という言葉を残しました。彼は「ナチズム」という著書の中で、上記の言葉を記しています。情報を広める役割を持つメディアの重要性を指摘した言葉でもあります。このメディアの定義も今日ではかなり変化し、個人もマスメディア的位置を占めるようになってきています。その代表格がSNS(ソーシャル・ネットワークキング・サービス)です。個人が発信した短文や写真、動画が、アッという間に多くの人々に広がっていく時代です。その中のフェイク情報に多くの人々は大きな影響を受けているといえます。
ウソ、デマ、虚偽、フェイク情報が、過去に多大な不幸を多くの人々にもたらした史実を決して忘れてはなりません。フェイクと独裁は表裏一体であり、逆に民主主義と正確な情報も表裏一体であることを肝に銘じるべきです。またフェイク情報によって掌握された政治権力、維持された政治権力は、より一層情報操作を行い権力基盤を固める傾向を持つことが多いといえます。
その典型がナチスドイツです。その際、差別を助長する予断や偏見が活用されることも頻繁に見られます。予断や偏見はフェイクを広める触媒にもなるのです。デマが伝わるときは、「同化」といって社会的な偏見に迎合する形で情報が歪曲されていることが多くあります。多くの人々にとって、同化された情報のウソを見破るのは極めて難しいといえます。
ヒトラーは、自著「わが闘争」で、「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、その代わりに忘却力は大きい」と述べ、「この事実からすべての効果的な宣伝は重点をうんと制限して、それをスローガンのように繰り返し利用すべき」と説いています。SNSのフェイク情報が短文で、一挙に多くの人々に伝わる様は、上記のヒトラーの言説を実践しているかのようです。ナチスは「ウソも100回言えば本当になる」といいましたが、言い換えればSNSで一人の人が発信して10人に広まり、その10人がさらに10人に広めるようなことが繰り返されれば、短時間で1万人に広まってしまいます。間違いなく大きな影響力を持ち、「ウソが本当のようになる」といえます。
現在では、このSNSを駆使して各種選挙に勝利できるような時代になりつつあります。さらにフェイクが横行すれば、フェイクに対する罪悪感も薄れ、フェイクを聞かされる方も「慣れ」ともいえるような状況になり、本来なら極めて重要な悪行にもかかわらず、怒りさえも感じなくなってしまうのです。現在の日本の政治状況がそのようになりつつあり、人々の政治センサーが限りなく鈍感になっていくようで大きな危惧を抱いています。
人間も痛み等のセンサーが鈍感になれば、心筋梗塞等の重篤な病に罹っていても胸に痛みを感じることがなくなることがあります。そうした中で病はさらに悪化し、そのまま亡くなってしまう人がいます。人間の身体のセンサーが鈍感になれば、上記のような状態になるように、人々の政治センサーが鈍感になれば、政治の悪化を自覚したときには、その状態が取り返しのつかない事態に進行していることは多くの歴史が示しています。
私たちは日々の生活の中で、「昨日に変わるように見える今日、今日に変わるように見える明日」と考えてしまうことが多いといえます。しかし数年という単位で観察すると時代が大きく変貌していることがあります。ここ数年の日本政治を観ていて特に感じる私の実感です。
私たちは、日々様々な情報に囲まれて生きています。その影響から逃れることはほぼ不可能です。すべての情報は何らかの操作が行われており、それらの情報に晒されています。その正否を知るすべはほとんどの人々にはありません。SNSで入ってくる情報は、ほとんどの場合、情報の真偽も精査されていません。どの情報が正確な情報かも一般市民にとっては分かりません。メディアの概念も変わりつつある現在において、テレビ、新聞、ラジオ等の既存マスメディアに対するメディアリテラシー教育だけでなく、SNS等で個人が発信する「個人発信型マスメディア」等への情報リテラシー教育も極めて重要だと認識すべきときなのです。それは人権教育だけではなく、すべての教育の基盤として行われなければなりません。義務教育から大学教育、社会教育、職場教育においての最重要課題であるといえます。今日の社会的課題を解決していく基盤的な教育といっても過言ではありません。
最後にインターネット上のフェイクニュースをどうのように規制するかについて考えておきたいと思います。
第1は違法性のある情報発信者の情報開示請求を可能にするシステムやルールを構築することが重要だといえます。匿名の情報発信の自由を確保しつつ、プロバイダー責任制限法の強化をしなければなりません。
第2は技術的なアポローチです。AIを活用してフェイクニュースの可能性を識別し、AIで発信者に予備的警告を行い、時にはAIで識別したものを削除することができればかなり効果的だといえますが、技術を含む高いハードルがあります。
第3は公的機関や広告業界が明確なルールを設けることです。フェイクニュース等を拡散する問題あるアカウントに対する各種規制を的確に行うことができれば効果的だといえます。
第4はフェイクニュース等に対抗できる正しい報道の強化です。既存メディアを含むあらゆる媒体を通じてフェイクニュース等の誤りを粘り強く是正することです。
第5は先述したように情報リテラシー教育を強化することです。フェイクニュース等を批判的に読み解く機能的識字能力を高めることは人権教育の基盤として推進される必要があります。これらはフェイクニュース対策だけではなく、自己実現のための基盤的能力を高めるためにも重要なのです。
第6は以上の取り組みを推進するためにもEUをはじめとする先進的な国々の取り組みに学ぶことが重要だといえます。EUでは「フェイクニュース検証サイト」等も存在しており、問題をかかえながらも多様な取り組みが推進されています。こうした取り組みに真摯に学ぶ必要があることを申し上げ講演要旨とさせていただきます。
※本稿は講演内容をもとに本人がまとめたものです。
●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度は「ネット社会を生きる私たちの情報リテラシー」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。