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分断社会を終わらせる 慶應義塾大学経済学部教授 井手英策さん

2017/03/08


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2016年度のテーマは「直面する人権課題を考える」。連続講座の様子を報告する。

分断社会を終わらせる 慶應義塾大学経済学部教授 井手英策さん

貧困や格差が進み、他者への寛容さが社会から失われつつあります。弱者救済を超えた格差是正は可能なのでしょうか。財政社会学の視点での解説とともに、誰もが安心して暮らせる社会づくりへの具体的な提案をいただきました。

新自由主義は単なる「願望」だった

 ぼくの専門は財政です。今、「財政が危機だ」と騒がれます。しかしぼくは、財政よりも社会の状況のほうがはるかに危機的だと考えています。今日のタイトル「分断社会を終わらせる」に、"「誰かが受益者」から「誰もが受益者」へ"というサブタイトルをつけました。ここにぼくの思いのすべてがこめられています。

 経済学者は「経済的に自由な社会をつくれば、人々は政治的に自由になれる」と主張します。これが新自由主義の核心です。

 しかし、freedom in the worldという統計から、free countries、つまり政治的に自由な国々が世界の何割を占めているかというデータを見てみましょう。最初のデータがとられた1972年から1990年までの間に政治的に自由な国々は約12%増えました。ところが1990年から2016年の間、グローバリゼーションが世界を席巻した時代に政治的な自由がどれだけ増えたかというと、26年の間にわずか4%です。ぼくはこの統計から、経済的な自由が政治的な自由をつくる基礎となるという議論には根拠がないのだと気付きました。

 もうひとつ、政府を小さくすれば経済が成長するということも繰り返し言われてきました。ところが、世界各国の平均成長率を見ると、1960年代に5.4%、1970年代に3.9%ときて、2000年代には2.9%です。世界的に新自由主義的な政策を取り入れているにも関わらず、あきらかに成長率は落ちています。

 新自由主義という言葉には、あたかも人間により自由を与える印象がありますが、現実的には、政治的な自由の根拠にも経済成長の根拠にもなっていません。あえて言えば、新自由主義者の願望に過ぎなかったんです。

貧しくとも「自分は中間層」と思いたい

ide1.jpg よく「中間層が困っている」と言われますが、これはあきらかです。年収400万円未満の層が明確に増え、400万円以上の層が明確に減っています。日本人の平均所得がグッと貧しいほうにシフトしているのです。

 まず、1996年をピークに20年にもわたって世帯所得が減り続けています。この間に2割近い減少です。一方、1990年代半ば以降、専業主婦世帯がぐんと減る一方で、共働き世帯が増えてきました。1990年代後半から逆転し、差は広がる一方です。つまり、大人が2人働く世帯が増えているにもにも関わらず、所得が2割以上落ちているんです。

 18歳未満の子どもたち、あるいは若者、成人、そして高齢者。どの世代においても、貧困に陥る割合はOECDの平均値よりも上回っています。しかし、この現実を多くの人が認めようとしません。実は日本は、「あなたはどの階層に属していますか?」という質問に対して「中の下」と答える人が先進国中でもっとも多いんです。多くの人が「中の下だけど、自分は中間層に踏みとどまっているぞ」と思っている。それが日本社会の大きな闇となっています。

 一方、日本は格差の大きさを示すジニ係数がOECD加盟国のなかで9番目に大きくなっています。母子家庭の貧困率は、先進国で第1位です。「自分の所得は平均以下ですか?」と質問すると、「はい」と答えた人は41カ国中12番目です。あきらかに自分が貧しくなったことを自覚しているんですね。しかし「日本は格差社会ですか?」と聞くと、「そうは思わない」と答える人が41カ国中12位で、「格差は大き過ぎると思わない」人が13位です。日本人は、格差を是正すべきとは思っていないわけです。

国民の「勤労」が社会保障を支えてきたが・・・

 日本は戦後、めざましい勢いで復興を遂げ、経済大国と呼ばれるようになりました。しかしそれは本来、国がやるべきことを個人の責任で賄ってきたからです。「勤労によって所得を増やし、貯蓄をし、そのお金で子どもに教育を受けさせ、家を買い、病気や老後に備えなさい」という社会です。普通は税で賄われることばかりです。日本が先進国最高の貯蓄率を誇ったのは、政府が面倒をみてくれないから。ぼくたちは、経済成長して所得が増え、貯蓄をしていかないと人間らしく生きていけない社会をつくりました。それはつまり、成長が止まって所得が増えなくなり、貯金ができなくなれば、生活の危機に直結するということです。

 そして今、現実に家計の貯蓄率は落ちています。共働き世帯が増え、育児や介護を担う人も減っています。企業は社宅や病院、保養施設などの福利厚生を削っています。日本企業の労働費における法定外福利費の割合は2.4%で、ほかの先進国に比べて最低ランクです。もともと税で国民の生活をしっかり支えてくれているスウェーデンの企業でも8%を負担しています。企業も妻もあてにできない。貯蓄も無理。これが今の私たちの社会です。

 ぼくは、貯蓄ができないと人間らしく生きられない日本のことを「成長依存社会」と呼んでいます。今、日本人に「老後は安心ですか?」と尋ねると、85%が「不安だ」と答えます。成長に依存しないといけない社会を変えることができないまま、日本人は苦しんでいます。

「正義」より「生存のニーズ」を

 これは左派やリベラルの人たちにも問題があります。政府の批判をする時、必ず「財政を健全化しろ」と言ってきました。メディアも含めて日本の財政が危ないと大騒ぎします。しかし実際にはこの20年間、一度も危機はきていませんし、これからも起こりません。

 なのにこの説得を鵜呑みにした国民は、財政の健全化のためには歳出削減も仕方ないと思い込みます。その結果、「袋叩きの政治」が起きるんです。誰が無駄遣いをしているのか、誰がズルをしているのかと、あちこちであら探しが始まります。さらに将来不安に怯えた中間層が保守化、右傾化してきました。そんななかで叫ぶ「弱者救済」「格差是正」が誰に届くのでしょうか。

 私たちが考えるべきは、いかに財政を作り替えるかです。人間の生活を保障して、将来不安をなくしていけば、おのずと経済は成長します。

ide2.jpg 具体的な提案をしましょう。まず、貧しい人だけを救済するのではなく、すべての人が何らかの受益者になるシステムをつくることです。貧しい人だけに給付をすれば、中間層や富裕層は常に負担者となります。前述した通り、格差に関心のない社会で貧しい人だけを救済すれば、中間層や富裕層から「税金を払うのはいやだ」という租税抵抗が起こります。そうなれば国家は税をとれず、お金を分配することができません。再分配ばかり主張すると、逆に格差を大きくしてしまうという「再分配の罠」です。

 さらに、貧しい人にも税をかけます。たとえば年収200万円の人と2000万円の人がいるとしましょう。所得格差は10倍です。ここにそれぞれ20%の税金をかけると、40万と400万の税収入があります。税を引かれた後の格差はまだ10倍です。

 440万の税収のうち、40万は国の借金返済に使ったとしても、残りの400万を私たちのために使えます。しかも所得制限をかけずに、200万円ずつサービスを出してみましょう。大学の授業料や介護費用など何でもいいです。全員に配ります。すると、最終的には生活水準が360万円と1800万円となり、格差は5倍にまで縮まります。原理的に、貧しい人に税をかけ、豊かな人に給付をしても、格差は小さくできるんです。しかし多くの人は、豊かな人に税をかけ、貧しい人に配れば格差を縮小できると思い込んでいます。それでは租税抵抗を産み、分配のパイそのものをなくすことをそろそろ認識すべきです。

 これは要するに「社会全体で貯金をしましょう」という発想です。個人で貯金するのではなく、みんなが税を払い、社会全体に貯金をし、自分が困ったことになっても生活が保障される状況をつくりましょう。そうすることで、成長依存社会から脱却することができます。

 ぼくたちは、助け合いや連帯、団結が正義だと思いがちです。しかし歴史的に見れば、正義を理由にして、人間が助け合い、団結し、連帯してきたわけではありません。歴史上、なぜ人々が連帯したり助け合ったりしてきたのか。そこに生活や生存のニーズがあったからです。人間の本質を見極めた政策や制度をつくり、この社会を組み直していきましょう。


●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度のテーマは「直面する人権課題を考える」。「子どもの貧困を減らすためにできることは?」「同性婚はなぜ認められないの?」「人工知能(AI)の進化とこれからの社会」「人口変動 漂流する高齢者」「分断社会を終わらせる:格差問題への新たな提案知憲」をテーマに5回連続で講座がひらかれる。