護憲・改憲の前に、まず知憲 / 大阪国際大学 准教授 谷口 真由美さん
2015/12/01
国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2015年度のテーマは「戦後70年と人権」。第5回の講座の様子を報告する。
ここ数年、憲法をめぐる議論が活発におこなわれるようになりました。それも護憲派vs.改憲派という構図で議論される場面が多く見られます。「その前に、憲法をちゃんと読んでみたことがありますか? 憲法にどんなことが書かれているかを知っていますか?」と谷口さんは問いかけます。「改憲/護憲を議論する前に知っておくべきこと」を語っていただきました。
私は大学で国際人権法や憲法を教えつつ、プライベートでは2人の子どもを育てるワーキングマザーでもあります。幼稚園や小学校、学童でたくさんの"ママ友"と出会い、PTA活動などをしています。ご近所さんとの交流も活発です。最近、これまで政治的な話題など一切出てこなかったママ友たちとの会話に「憲法」という言葉が出てきて驚いているところです。
ただ、私のように仕事で六法を持ち歩いている人間は別として、多くの人にとって憲法の名前こそ知っているものの、何が書かれているのかを知っている人はとても少ないのを実感しています。それなのに「今の憲法はアメリカからの押し付け憲法だ。改憲すべき!」と言われても、逆に「世界に誇るべき平和憲法を守ろう。護憲だ!」と言われても、議論も判断もしようがありません。また、改憲だ護憲だと主張している人たちも本当に憲法に書かれていることを理解しているのかと感じることも多々あります。そこで私は改憲や護憲を主張する人も含めて「まずは憲法を正しく知りましょう」という意味をこめて「知憲」という言葉を使っています。
まず、法とは何でしょうか。法とは一般人が守るべき最小限のルールです。ポイントは「最小限」です。
ルールとは社会を円滑に動かすためのものです。たとえば私たちが青信号を安心して渡れるのは、赤信号が出ている車道の車が止まってくれるという信頼があるからです。みんなで守るという安心と信頼と自信があってこそ、ルールは成り立ち、社会は円滑に動きます。ただし、円滑に動かす以上のこと、すなわち管理や監視となってくると話は違います。
もうひとつ、法は国家的な強制や制裁が伴います。たとえば個人間で諍いがあり、「決着つけるから明日の5時にここへ来い」と一方が言ってきても従う義務はありません。しかし裁判所からの出頭命令を無視すれば相手方の言い分を認めたとみなされます。何らかの都合でどうしてもその時間に行けないという人は弁護士なり司法書士なり代理人を立てなくてはいけません。こうした強制や制裁があるからこそ、ルールが守られるわけです。法には一般人が守る最小限のルールであり、国家的な強制や制裁が伴う規範であるというポイントを覚えておいてください。
では日本における国内法体系はどうなっているのか。日本では憲法が最高規範であると憲法98条1項にはこう書かれています。
第九八条【最高法規、条約及び国際法規の遵守】
1. この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
私が大学教員になった頃、違憲という言葉が新聞に登場することはほとんどありませんでした。10年ほど前から「一票の格差」とともに違憲という言葉がポツポツと出てくるようになりました。「憲法に反していたら効力を有しない」。だから違憲は重いのです。
憲法の次にくるのが条約です。これは憲法が最高法規であると宣言している98条1項の次、2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」とあります。
その次にくるのが民法、商法、刑法などの法律です。その下に命令、規則、条例があります。
法の大前提は「上から下」です。先ほどご説明したように、日本では「憲法」「条約」「法律」「命令、規則、条例」の順です。条例が変わるから法律が変わる、法律が変わるから憲法が変わるということはあり得ません。また、日本国憲法に違反したような条約は批准できません。憲法は国によって内容が違うので、多くの国に入ってもらいたい条約の場合は「うちはここの条文は適用除外にして」と言うこともできます。留保や解釈宣言といいますが、たとえば子どもの権利条約でいうと18歳未満を子どもとしていますが、日本では20歳未満が子どもとしているので2歳のタイムラグが了解されています。このように条約については国の事情によって適用除外ができます。
「日の丸」「君が代」もよく議論になります。ちなみに私が住む大阪市には「大阪市の施設における国旗の掲揚及び教職員による国家の斉唱に関する条例」があります。大阪市内の学校も含む公共施設において国旗を掲揚し、学校行事において国歌を斉唱することと定めており、2012年から施行されています。
一方、国には「国旗及び国歌に関する法律」というものがあります。日本で一番短い法律です。第1条に「国旗は、日章旗とする」とあり、第2条に「国歌は、君が代とする」とあります。それだけです。日章旗の掲揚や国歌斉唱を義務とするなどとはひと言も書いていません。さらに言えば最高規範である憲法には思想信条の自由が書かれています。それなのに法の最下位規範にあたる条例によって大阪市は公共施設で日章旗の掲揚や国歌斉唱をせよと定めている。本来これはおかしなことなのです。
では最高法規である憲法を守らなければならないのは誰なのか。それも憲法に書かれています。
第九九条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
「憲法は国民が守らなければならない義務」と思い込んでいる人がとても多いのですが、それは違います。憲法尊重擁護の義務を負っているのは権力者なのです。ではなぜ間違って覚えている人が多いのか。それは憲法を最後まで読んだことがない、すなわち「知らない」からです。そして驚くことに学校の先生も憲法尊重擁護を「国民の義務」として教えていたりします。私自身もそう教えられ、大学で立憲主義を習って驚きました。
権力をもつ人たちが憲法を尊重擁護する義務を負うことを立憲主義といいます。憲法は権力の暴走を止めるブレーキでもあります。そして近代国家における近代憲法とはおよそ立憲主義です。権力者が動きにくくてしょうがない、自分たちの思うようにはなかなかできないというのが正しい立憲主義のあり方なのです。人による政治ではなく憲法による政治をおこなう。これが法治国家です。「自分たちの思うようにできないから」憲法を変えるなどという理屈はとんでもないことです。
では私たち国民は何をするのか。憲法の尊重擁護が権力者の義務なら、国民には義務はないのか。そんなことはありません。憲法の前文に明記されています。
【前文】
(前略) 日本国民は、恒久の平和を祈願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達することを誓ふ。
ポイントは主語です。日本国民とあります。私たち自身が憲法の理念に全力で取り組みますよと宣言しているわけです。「自分」という主語を忘れて読むから日本国憲法が他人事になってしまう。けれど自分のこととして読めば、権力が暴走しそうになった時には自分の意思で止める責任があることがわかります。
今の憲法を「アメリカからの押し付け憲法だ」と言いたがる人たちがいますが、日本国憲法は大日本帝国憲法の改正という形で、最後の帝国議会によって承認されています。さらに言えば、明治時代にできた民法、刑法はそのままで、そちらのほうがよほど現実的な問題をはらんでいます。
第97条にはこう書かれています。
第九七条【基本的人権の本質】
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
日本国憲法の基本原理である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」は私たちだけのものではありません。未来の世代にもこの自由と権利を引き継いでいかねばなりません。そしてそのためには日常から不断の努力が必要なのです。努力もせずに権利や自由がないと言ってはいけない。権利や自由を侵してくるものには全力で抗わなければいけないということも暗に書かれています。
私たちは将来の世代に対してこの責任を負っています。その自覚をもてば、やるべきことはたくさんあります。
(講演日:2015/09/11)
●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度のテーマは「戦後70年と人権」。「ヘイトスピーチと法規制」「性暴力、セクシュアルハラスメント」「同対審答申50年」「基地問題と沖縄差別」「護憲・改憲の前に、まず知憲」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。