基地問題と沖縄差別 / 龍谷大学教授 松島 泰勝さん
2015/11/17
国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2015年度のテーマは「戦後70年と人権」。第4回の講座の様子を報告する。
日米安保体制のもと、日本国内にある米軍基地のほとんどが沖縄に集中しています。松島さんはそのこと自体が沖縄に対する差別であると指摘し、沖縄が琉球国として独立することを提起しています。「日本国」と「琉球国」の歴史的事実と現状から、琉球の立場と意思、そして思いを語っていただきました。
今日は「沖縄」ではなく「琉球」という言葉を使いたいと思っています。私は石垣島で生まれました。宮古諸島や八重山諸島の人が沖縄島へ行く時に「沖縄へ行く」と言います。沖縄というのは沖縄島を示す言葉で、全体的としては琉球と言います。また現在は沖縄県という日本の一部ですが、1879年までは琉球国という日本とは別の国であったことも明確にしておきたいと思います。
私は2013年から琉球民族独立総合研究学会の共同代表を務めています。父親が気象台に勤めていた関係で子ども時代は南大東島、与那国島、沖縄島と島々で生活をしてきました。ずっと自分を日本人だと思っていました。しかし東京の大学に進学し、大学の仲間と話していると、私のたどたどしい日本語や黒い皮膚、全体的な雰囲気が「普通の日本人」らしくないと思われたのか、日本人でないような扱いを受けることが多々ありました。そうした経験から「自分は何者なのだろう」という意識に目覚めました。 また、グァムとパラオで3年間働く機会を得たことも大きな経験となりました。グァムは今もアメリカの植民地ですが、パラオは1994年にアメリカから独立しました。パラオには戦前に多くの琉球人が移民として暮らしていたこともあり、ジャパニーズとは違う「オキナワン」として私を扱ってくれました。私の琉球人としての自覚はさらに強まり、琉球人や琉球の主体について考えるようになりました。
私は大学で経済学を教えていますが、島の経済を考えるうえでもアイデンティティーの問題は切り離せないと考えています。今日は琉球の歴史や政治経済の現状、そしてなぜ独立するのか、どのように独立するのかをお話しします。
まず、私は琉球は日本の植民地だと考えています。1429年から琉球国として統一され、現在の首里城に拠点をおいて王国が形成されました。現在の中国である明国とは朝貢をするという関係でした。その他、東南アジアの国々と貿易する平和国家でした。1609年、島津藩の武力侵攻がおこなわれます。その後、島津藩は琉球から米や黒糖、布などを税として徴収する経済搾取をしました。それでもまだ王国としての体制は残っていました。
1879年、明治政府は軍隊を琉球に派遣し、国王を東京に拉致しました。そして「沖縄県」をつくりました。しかし琉球人は徹底的に差別されます。結婚差別、就職差別、入居差別・・あらゆる差別がありました。琉球人差別が典型的に表れたのが第二次世界大戦の末期にあった沖縄戦です。本土決戦を遅らせるため、琉球の島々は捨て石にされました。住民全体の4分の1が亡くなりましたが、米兵のみならず日本兵も住民の虐殺や集団死の強制をしました。
1952年、琉球は戦争に負けた日本から切り離され、米軍の統治下に置かれます。そして1972年、沖縄は日本に「復帰」します。日米両政府だけで進められた協議によって沖縄返還協定が結ばれ、琉球の意思はまったく反映されていません。結果的にますます米軍基地を押し付けられ、基地機能が強化されてきました。近年では琉球の全市町村議会の反対決議、全市町村首長の反対にもかかわらず、2012年から2013年にかけてオスプレイが配置されました。
19世紀の琉球併合、20世紀の「復帰」といずれも琉球人の合意によって自らの政治的地位を決定したものではありません。そもそも「復帰」とはもとの状態に戻ることを意味しますが、琉球のもとの状態は日本国ではないことはお話ししてきた通りです。さらに「復帰」後、43年が経ちましたが、日本国憲法の理念である基本的人権の保障や平和主義、主権在民は琉球において実現できているとは言い難い状況です。その理由の第一は憲法を上回る「日米地位協定」の存在です。米軍、米兵が犯罪や事件を起こしても日米地位協定によって正当な捜査、裁判がおこなわれないことが多々あります。
経済的にも琉球は日本国から搾取され続けてきました。2012年現在、一人あたりの県民所得は203.5万円(国275.4万円)、失業率は5.4%、非正規雇用者の割合は44.5%といずれも日本国内では最下位です。振興開発の名目でさまざまな事業予算が日本政府から下りてきますが、その予算を受けて工事などをするのは本土の企業です。というのも、「復帰」後から今にいたるまで日本各地の企業が琉球に進出し、土地買収や地元企業の系列化、吸収合併を進めてきたからです。琉球で経済活動をして得られた利益は本社がある日本本土に戻り、そこで納税されます。どれだけ琉球に補助金を提供しても琉球経済が苦しいのは日本本土によって経済的に搾取されているからなのです。
こうした歴史的経過と現状から、琉球は国際法で保障された人民の自己決定権の行使が認められなかった「植民地」であると考えられます。そして都合よく利用され、搾取され、差別されることに耐えかねた琉球人は本気で独立を考え始めました。 琉球独立論に対してさまざまな反論、異論がありますが、どれも誤解に基づいたものだと私は考えています。たとえば「琉球は日本の一部のままで植民地体制を廃絶させ、基地を縮小できる」「独立後、琉球の経済は破綻するのではないか」「日本政府からの補助金に依存している琉球が経済的に独立していけるわけがない」「独立したら中国が侵略してくるのではないか」「独立ではなく地方自治でも自己決定権を拡大できる」などといった意見です。
日本の一部のままでは琉球としての自治、自己決定権の行使はできないことは歴史的にあきらかです。また日本政府からの補助金が日本本土へ還流していく構造も述べました。「沖縄県」は現在、国税として2800億円を日本政府に支払っていますが、独立すれば琉球の収入となります。地方税と合わせれば合計5300億円が自由に使えます。また独立後に米軍基地をすべてなくせば、その跡地利用による雇用効果、経済効果は現在の基地効果の何十倍にもなります。基地跡地の多い読谷村では自治と内発的発展に基づいた第六次産業が発展したという実例があります。
中国からの侵略はあくまで仮説にすぎず、むしろ琉球は日本政府から侵略を受けてきたのが現実です。「琉球独立運動は排外主義につながる」という論もありますが、国際法上の法的主体である琉球人が住民投票によって琉球の政治的地位を決定することは排外主義につながるとは思えません。また、独立後の憲法は他民族を含む全住民で制定します。すでにグアムやニューカレドニアという先例があります。
では琉球はどのように独立するのか。まず、琉球人の一人ひとりが独立を脱植民地化、脱軍事基地かのための具体的な選択肢であるという共通認識をもつことが必要だと考えます。そのための準備として、独立に関する学会(「琉球民族独立総合研究学会」)を設立し、具体的、客観的、そして強い情念をもって琉球独立を議論します。その過程で国際法上の主体としてウチナーンチュ(琉球人)意識を確認し、その意識を実践へとつなげます。
さらに国連脱植民地化特別委員会の「非自治的地域」のリストに琉球を登録するよう、琉球全体で運動を展開します。まずは沖縄県議会が登録を求める決議をおこなう必要があります。 そして沖縄県議会、または市民団体連合による独立を問う住民投票を国連の監視下において実施します。その結果、独立が選択されれば、独立宣言を世界に向けて発します。自らの政府・議会・裁判所を設置し、憲法を制定し、世界に対し国家承認を求めます。国連にも加盟します。
琉球の独立は夢物語でも排外主義でもありません。琉球には琉球の人々が長く培ってきた文化があり、現在は観光業やIT業、物流業において経済的な実力を蓄えた企業も出てきています。独立によって本来の力を取り戻し、平和と「誇りある豊かさ」の実現を目指していきたいと考えています。
(講演日:2015/09/01)
●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度のテーマは「戦後70年と人権」。「ヘイトスピーチと法規制」「性暴力、セクシュアルハラスメント」「同対審答申50年」「基地問題と沖縄差別」「護憲・改憲の前に、まず知憲」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。