「女性差別撤廃条約」日本締結30年 CEDAW(国連女性差別撤廃委員会)勧告と性暴力、セクシュアルハラスメント / 大阪大学教授 牟田和恵さん
2015/10/01
国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2015年度のテーマは「戦後70年と人権」。第2回の講座の様子を報告する。
日本が女性差別撤廃条約を批准して30年。批准にあたってどんな課題があり、どう変わったのか。そして日本政府の取り組みに対して「女性差別撤廃委員会」からはどんな勧告がなされ、政府はどう対応してきたのか。女性差別、特に「性」に関する観点から日本社会の現状と課題についてお話しいただきました。
今年は日本が女性差別撤廃条約を批准して30年になります。この条約は1979年に国連総会で採択されました。しかし1985年に日本が批准するまでに足かけ7年かかりました。なぜかといえば、日本には批准できない事情が3つあったからです。
まず、学校教育における家庭科の男女別修です。これはあきらかに女性差別撤廃条約に違反します。この条約の画期的なところは、たとえ法律に書かれていなくても、社会的にあたりまえとされている慣習や意識のなかにこそ女性差別の根深い原因があり、そこから変えていかねばならないと明言していることです。家庭科の男女別習はそれにあたります。そこで1993年に中学校で、1994年には高校でも男女共修になりました。
次に国籍法における問題です。当時、国際結婚で父親が日本人であれば、その子どもは日本国籍を取得できますが、母親が日本人で父親が外国人という場合は自動的に日本国籍を取得することができませんでした。男系中心で、これもあきらかに女性差別です。そこで国籍法を改正し、父親・母親のいずれが日本人であれ、日本国籍が取得できることになりました。
最大の壁が雇用問題でした。それまで日本は雇用においても女性差別がまかり通っていました。大卒の採用は男子のみ、女性は短大卒か高卒しか採用しない。昇進のための研修も受けさせない。1945年の敗戦を経て、憲法上は男女平等になりましたが、民間企業は経営優先であり、憲法とは無関係という考えが通用していたのです。けれどそれでは女性差別撤廃を謳う条約の仲間入りはできません。そこで、男女雇用機会均等法がつくられました。しかし財界の抵抗が強く、残念ながら「女性差別禁止法」ではなく「雇用機会均等」にとどまりました。
こうしてとにかく3つの問題をクリアし、1985年に日本は女性差別撤廃条約を批准しました。しかし批准しておしまいではなく、加盟国は数年ごとに条約に則り、自国の状況や改善の進捗についての報告書を提出する義務があります。その内容を女性差別撤廃委員会が検証し、勧告を出すという仕組みです。日本もこれまで何度か報告書を出し、勧告を受けています。最新は2009年の勧告です。
2009年、日本に対して出された勧告で非常に重要なのは、ジェンダーに基づく暴力への取り組みについて「まだまだ改善の余地がある」とされたことです。
まずは性暴力です。強姦や強制わいせつといった刑法犯罪から、痴漢や盗撮、セクシュアルハラスメントなどを総称して性暴力といいます。この性暴力とDV(ドメスティックバイオレンス)は典型的な「ジェンダーに基づく暴力」です。強姦も痴漢も男性の被害者がいないわけではありませんが、女性が被害者で男性が加害者というケースが圧倒的です。DVも同様です。
その背景には、男女間にある恒常的な力関係があります。男性(夫)のほうが経済力や腕力、社会的地位があるということは珍しくありません。たとえば妻が家事育児のほとんどを担っているにも関わらず、「誰が食わせてやってると思ってるんだ」と妻を威圧する夫などが典型的です。
性暴力やDV、あるいは性的な虐待や搾取といったものは単なる暴力ではなく、ジェンダーの問題が関与しているという認識は国際的なものです。1993年の国連総会において「ジェンダーによる暴力」が定義され、撲滅に向けた国際的な取り組みへの合意が採択されています。
また勧告のなかには、性暴力に関する刑法を改正すべきというものもあります。現在の刑法177条は、強姦は「暴行または脅迫を用いて」と規定しています。何が暴行、脅迫にあたるかは裁判所が判断するわけですが、しばしば男性中心の視点から非現実的な解釈がなされ、無罪になる傾向が非常に強いのが現状です。「激しく抵抗した」と証明できなければ「合意があった」とすら判断されるのです。
戦後、新憲法が制定され男女平等になったため、民法は大幅に変わりました。しかし刑法はあまり変わっておらず、特に強姦罪に関してはまったく変わっていません。そして明治40年当時の社会は、強姦は女性に対する犯罪というより、独身女性なら父親、既婚者なら夫に対する罪としてとらえられていました。つまり「女性を所有している男性に対する罪」だったのです。日本だけに限りません。古今東西、女性の貞操は「家の財産」でした。
そうした考え方のもとでは、女性に性の自己決定権などありませんから、「強姦され、傷物になるぐらいなら死んでもいいから抵抗しろ」というのが掟です。「命をかけて抵抗しろ」ということです。
さすがに少しずつ法解釈のうえでは変わってきていますが、基本的に刑法177条には女性の人権よりも社会秩序や風紀の維持を守る観点から強姦はよくないという考え方が根強くあります。そのため、抵抗の度合いが少ないと合意があった証拠とみなされてしまうのです。ましてナンパに応じてドライブに出かけ、山中で強姦されたといったケースでは起訴すらしてもらえません。実際、「気の毒だけど自業自得」と思われる方も多いのではないでしょうか。
けれども本来、ドライブに行くこととセックスに応じることとはまったく違う話です。あるいはキスをしてもいいが、セックスはしたくないということもあるし、セックスしてもいいと思ったけれど途中でその気がなくなったという場合もあります。いつ、誰とセックスするかは本人が決めることで、その意志が最優先するもの。性はまさに人権としての自己決定権です。
欧米をはじめとする先進国ではすでに1970年代から80年代にかけて改正されています。日本政府も2004年に強姦罪の法定刑を2年から3年以上の懲役に引き上げる改正をしました。また勧告に応えるため、法務省は2014年10月から性犯罪の厳罰化を議論する有識者検討会を始めています。今後は時代遅れの刑法が多少は改正される可能性はあります。
民間においても、女性運動のなかで「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」といった動きもあります。ただし、法制度がいくら改正されても、女性自身も含めた人々の考え方が変わらないかぎり、人権としての性的自由という観点は定着しないでしょう。
欧米で1970年から80年代にかけて法律が変わっていったのは、女性たち自身が「女性の性は人権だ、性的自由は女性の権利のひとつだ」と訴える運動を積み重ねてきた結果です。私たちも、男性も含めて「性とは人権である」という意識をもち、性に関わる問題をとらえなおすことから始めなくてはなりません。
(講演日:2015/08/04)
●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度のテーマは「戦後70年と人権」。「ヘイトスピーチと法規制」「性暴力、セクシュアルハラスメント」「同対審答申50年」「基地問題と沖縄差別」「護憲・改憲の前に、まず知憲」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。