部落問題ありのまま 最終回
2008/12/19
「部落や部落問題の“今”をありのままに感じて考えてみよう」と始めた連載も今回で最終回となった。連載の企画を考えた時は「あれもこれも」と考え、実際 に原稿に登場した何倍もの人にさまざまな話を聞いた。しかし改めて読み返してみると、自分の思い描いていた「ありのまま」にはまだまだ遠く及ばないのがよ くわかる。いや、むしろさまざまな人に話を聞けば聞くほど、部落の「ありのまま」など広すぎて、また人々の考え方も生き方も多様で、ひとくくりに語れない ことを思い知らされるばかりだった。
今回は今の私の率直な気持ちを書いてみようと思う。
私が出合ってきた部落出身の人たちのなかには、部落解放運動と関わりをもたない人たちもいる。なかには、意識的に運動と関わることを避けてきたという人も いた。たとえば、大阪・西成出身でアート系の出版社を経営する竹井正和さんは、「集まって声をあげることだけが運動じゃない。一人で闘う気持ちをもつこと も大事や」と言う(Be FLAT「一人で闘え。怒りを忘れるな」)。 私はフリーランスで仕事をし、離婚もした。フリーで生きる自由と厳しさを日々感じながら生きているので、竹井さんの言葉にはとても共感する。離婚を決意し た時は、「地に足がついてない」と意味不明な非難をする人もいたし、親しくもないのに「財産分与はどうなるの?」と訊いてきた人もいた。また、フリーラン スで仕事をしていれば、軽く扱われることは珍しくない。それをどうかわすか、いかに傷つかずにやり過ごすかを考えながらやってきた。基本的には割り切って 受け流すが、相手が自分を軽く見ていることはきっちり胸に刻んでおくし、正面から抗議したことも何度かある。闘いというほど大層なものではないが、自分の 身は自分で守るしかないことは重々承知している。
一人で闘うには相応の覚悟がいるし、孤独でもある。けれども何かと闘う時にはいずれにしてもリスクが伴う。誹謗中傷を受けることもあるだろうし、仕事に 差し障ることもあるだろう。場合によっては身に危険が生じるかもしれない。それでも、「一人でも」闘うという覚悟がない人間が百人集まってもしょうがな い。
・・・とまあ、一人でごちゃごちゃ考えていると、どんどん「だから一人がいい!」となるのが私の困ったところ。そんなツッパリを「まあまあ」と柔らかくほぐしてくれるのが、今でも部落解放運動であり、活動家の友人たちである。
先日、ある友人から久しぶりに電話があった。「元気ですか?」と訊く彼は鼻声だ。地域で地道な解放運動に取り組んでいるのだが、やりたいこととやらなけ ればならないことが常にひしめいている状況で、自分が納得できる活動がなかなかできないという。「でも、精神的には一山越えて、ちょっと元気出てきまし た」と自分を励ますみたいに話をまとめる。
私より10歳近く年下の彼は、私の書いた記事を読むと近況報告を兼ねたメールをくれる。人間関係にすれ違いが生じると、すぐに「もうええわ」と見切ろう とする私に、「登ってる山は同じ。登り方が違うだけやねんから、どっちが正しいとか間違ってるとかいうことじゃないと思いますよ」と諭してくれたことが あった。思わず、「うまいこと言うなあ」と感心して、肩の力が抜ける私。いつまでたっても未熟だなあと恥ずかしくなる。