部落問題ありのまま vol.5
2008/10/24
いわゆる部落問題について話していると、「私は部落の人と知り合ったことはないけど」と言う人が多い。私もかつてはそう思っていた。けれども仕事を通じて 部落問題について知ったり考えたりするようになってつくづくわかった。私も含め、多くの人は「部落の人と知り合ったことがない」のではなく、身近に部落の 人がいるなどと想像もしないだけなのだ。それはつまり「自分は部落とは無関係」、だから「部落問題は自分の問題ではない」ということだろう。
ノンフィクションライターの角岡伸彦さん(連載「偏屈でも、いいかな?」) は、そうした「一般市民」に向けて部落問題を書いてきた。部落差別の理不尽さや苛酷さを訴えるよりも、部落に生きる人たちのたくましさやしたたかさに光を 当てる。また、差別を取り繕うような行政の姿勢にも、強面と被差別という裏表の顔を使い分け、結果的に利権や不正を温存してきた部落解放同盟のあり方に も、ユーモアを織り交ぜつつ鋭い突っ込みを入れてきた。
と書くと、硬派で骨太な人物像が浮かぶかもしれない。ご近所仲間で飲み友だち(?)の私から見ると、腰痛予防のためにヨガに通い、安くて質のいい魚を探 してチャリンコを走らせ、料理と飼いウサギのナンシーをこよなく愛する、小市民的な自称「偏屈」の男性である(ややこしいわ)。知人を紹介した時、「ぼ く、部落民なんです」と自己紹介し、好きなクラシックやアートについて持論を展開していた。知人が企画した展覧会の作品をいきなり「未熟だ」と言った時は 「おいおい」と思ったが、話は盛り上がった。
当たり前だが、部落の人と一口に言っても、部落に対する考え方、生き方、性格はさまざまだ。それにしても、部落出身を名乗りながら運動とは一線を画し、 運動のあり方を批判的に見ながらさまざまなメディアを通じて部落差別を語る角岡さんは、希有で個性的な存在だと思う。酔いにまかせて「偏屈というより自意 識過剰ちゃうのん」と失礼千万なことを言ったりもするが、実はちょっぴり尊敬しているのである(ちょっぴりかい!)。
というわけで、今回は角岡さんがいかにして「偏屈ノンフィクションライター・角岡伸彦」になったのかを追いながら、私も偏屈に部落問題を考えてみたいと思う。