部落問題ありのまま vol.4
2008/06/14
犯人の男性が逮捕されるまで、およそ1年半の間の被害件数は約400件、うち約100件が浦本さんに関す るものだった。自分に直接向けられるだけでなく、自分の名前をかたって人を攻撃するという悪質さに、浦本さんは持って行き場のない怒りと不安、「なぜだ、 なぜだ」という堂々巡りの問いに苛まれ続けた。ここまで人の尊厳を踏みにじるには、部落に対する強い差別意識や憎しみがあるのだろうとも考えた。
「彼の“人となり”とか、なぜこんなことをしたのかを知りたくて、警察や検察に通ったし、彼のご両親にも会いました。公判も全部聴いたんです」
しかし、どこから彼の「動機」を聞いても、浦本さんが「なるほど」と思える内容ではなかった。逆に、拍子抜けするほどばかばかしいものだった。男性は公判で「動機」について、こう語っている。
「今回の事件は『同和利権の真相』という本に触発されたこともあると思う。内容を自分で確かめもしないで事実と思ってしまって、解放同盟はひどいことをしている団体と思い、こらしめてやろうという気になってしまった」
「軽い気持ちでやった。こんな大事になるとは思っていなかった」
「浦本さんのことは知らなかったし、知らない人がどれだけ苦しんでいるかなんて思いもしなかった。別に浦本さんでなくてもよかった」
事件の渦中にあった1年半を「生き地獄」と表現する浦本さんにとって、信じられないほど軽い動機だった。
「最初は嘘だと思っていたんです。そんな程度の情報や理屈で、ここまでひどいことはやらないはずだと。でも何度も同じ言葉を聞くうちに、どうも嘘を言ってるわけではないと思い始めました」
男性は大学を卒業後、10年間就職できなかった。ようやく見つけた職場でもリストラされてしまう。社会への不満をくすぶらせ、屈辱感にまみれた心を持て余した末の犯行だった。
「事情を聞けば大変だったろうとは思いますが、それにしてもなぜあんな形でぼくたちに矛先を向けたのか。それは最後までわかりませんでした」
「誰でもよかった」「軽い気持ちでやった」という動機の軽さと、人を徹底的に傷つける卑劣な手口とのアンバランスには今も納得できない。一方で、裁判が始 まるとインターネット上で「本当に悪いのは浦本だろう」などと、浦本さんを名指しで誹謗中傷する書き込みが相次いだ。事件を起こした男性が特別におかしい わけではないと浦本さんは感じている。匿名を隠れ蓑に、説明のつかない悪意や差別がいくらでも人を傷つけられることも痛感した。それだけに、同じようなこ とがまたいつ起こるかもしれないという不安が常に重くのしかかる。
浦本さんを傷つけ混乱させたのは、犯人だけではない。犯人が浦本さんの自宅アパート周辺にばらまいたはが きを読み、アパートの大家さんに何度も浦本さんの退去を求めた周辺住民が何人もいたのである。そのことを浦本さんが知ったのは、犯人が逮捕された後だっ た。その間、高齢で一人暮らしをする大家さんは自らも嫌がらせのはがきを受け取りながら、「浦本さんは、はがきに書かれているようなひどいことをする人 じゃない」「はがきのほうが間違っていると思う」と反論し、浦本さんを守り続けてくれた。そのことを知った浦本さんは、大家さんに言葉にできないほどの感 謝をしながらも、大家さんに「迷惑」がかかり続けることが耐え難かった。
ある時、浦本さんを退去させることをしつこく求める近所の男性に困った大家さんが、ちょうど部屋にいた浦本さんに電話をかけてきた。困り果てた声を聞いた浦本さんはすぐに大家さんの部屋に向かい、思いがけない「対面」となった。
自分の退去を求める男性は、見知らぬ顔だった。浦本さんはまず自己紹介をし、男性のしていることが部落差別であり、非常に人を傷つける行為だと、できるか ぎり冷静に話しかけた。男性にとっては、まさに自分が追い出そうとしている当の本人が現れたわけである。ところが、一切悪びれる様子もなく、「自分は浦本 さんを知らない。したがって何の恨みもない。差別するつもりもない。ただ、部落の人だから出て行ってほしいと思っただけだ」というようなことを、あっけら かんとした調子で繰り返すだけだった。
「矛盾だらけの話で、私にはまったく理解できなかったですね。でもおじさんのほうは私の話をまったく理解できないわけです。逆に、こういうことはやめてくれと言っている私のほうが極端なことを言ってるようにとらえているんです」
話すほどに空しさと疲労を覚えながら、浦本さんはふと思い当たった。犯人も、そしてこれまで東京で経験してきた部落差別も、同じだと――。