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特集



部落問題ありのまま vol.3

2008/05/09


なんで男ばかりが目出つのか? プロフィール

ようこそのお運びで、厚く御礼申し上げます――。3月末で終わったNHKの連続ドラマ『ちりとてちん』を興味深く見ていた。人並みはずれてドンくさいヒ ロインがいっぱしの落語家になるまでを、コテコテの大阪弁とベタベタなノリツッコミ&泣かせで見せるドラマである。男社会である落語界で、夫でもある兄弟 子から「女やからウケへんのや」などと言われて悩むヒロインには共感した。
部落解放、差別撤廃を社会に訴える部落解放運動だが、その体質はけっこうな男社会である。役職に就いているのは圧倒的に男性である一方、総務的な仕事を担っているのは女性が多い。
「なんで男ばっかりなんですか?」と、ある人に聞いたことがある。すると、「別に男でないとあかんと決めてるわけじゃない。自分たちは女性にもどんどん 参加してほしいし、実際、声もかけてるんやけど・・・」と、煮え切らない答えが返ってきた。
しかし、運動団体で「活躍」するだけが解放運動ではない。さまざまな場所で、自分やパートナーと向き合いながら、差別や人権について考え、行動している女性は少なくない。今回は、そんな女性たちに会った。

あぶらかすを食べていることは口外禁止

青山はるかさん(仮名)は、1983年、大阪市南部の被差別部落・浅香に生まれた。地区内は、解放運動推進派と、騒ぐから余計に差別されるという「寝た子 を起こすな」論派の人たちで二分されており、両親は後者だった。青山さんや2歳下の弟を「部落とは関係ないところで育てたい」と考えていたようだ。放課 後、いとこたちは青少年会館での子ども会活動に通っていたが、青山さんは会館前を素通りして帰宅していた。
小学校2年の時、部落外の土地を買い、建築士の父が設計した家を建てた。同時に同和教育推進校から一般校へと転校。自分が部落出身者だと知ったのは、その頃だ。
「道徳の時間、『にんげん』(副読本)に書かれてある部落の描写が浅香そのものだったんです。それでその日の夜、4人でご飯を食べている時に、母に“浅香って部落なん? ウチは部落なん?”と聞きました」。
「そうやで」と答えた母や父にことさら深刻さは感じなかった。しかし「浅香から来たとは言ってはいけない」「遊びに行ってもいけない」とは言われ続け た。部落の食文化の代名詞的存在である「さいぼし」と「あぶらかす」を家で食べていることも、口外禁止だった。
「ウチはあぶらかすを水菜や大根と炊くんです。フライパンで炒って醤油をかけたものをご飯と食べるのもすごくおいしくて、私や弟はそのおかずが出ると めっちゃ喜ぶんです。だけど“食べてることはよそで言うたらあかんよ”とずっと言われてました」
青山さんの両親が多感な時期を過ごした1970年代、ムラの環境はまだ改善半ばで、周囲からの差別も厳しかっただろう。努力家だという両親にとっては、 一見荒れた生活を送るムラの人や、運動によって住宅や仕事を得ようとすることが情けなく映ったかもしれない。両親はともに「大学へ行ける学力をつけさせる のが親としての責任だ」と考え、学費も自分たちで準備した。部落や運動から距離を置き、努力し真面目に生きることで差別されないようにする。こうした考え 方をもつ部落出身の人は少なくない。
まして青山さんの母親は、「女に教育はいらん」という祖父の元で育ち、栄養士になる夢をあきらめて早くに亡くなった母の代わりに弟妹の世話をしたという。勉強好きな娘が存分に学び、のびのびと育つ姿は大きな喜びだっただろう。

カミングアウトすることへの怖れと不安

部落出身であることを知りつつ「当事者意識はなかった」という青山さんだが、大学時代に真正面から向き合うことになる。
入学式後のガイダンスで、部落問題を学べることを知る。『部落問題』の講義概要を読み、面白そうだなと思ったのがきっかけだった。ムラをよく言わない両親について考えてみたいとも思った。「あくまで“両親の問題”だったんです」。
初めてのカミングアウトはスムーズだった。授業後の交流会で先輩から「なんで部落問題を選んだの?」と聞かれ、「父親が浅香の出身で母親も部落出身なん です」とごく自然に答えられた。浅香との交流が盛んな大学だったが、浅香の子が入学してきて一緒に学ぶことは珍しかったようで、青山さんは歓迎された。
一方で、解放運動に関わっている人や2回生の春に出会った後輩には話せなかった。
「運動をやっている人に対しては、ムラから逃げた青山の娘だと知られたら悪く言われるんじゃないかと怖かった。1年間部落問題を勉強して、若い世代の中 にも差別意識や部落に対する忌避意識があることを知った分、よく知らない軽い興味をもってやってきた後輩には、カミングアウトしたらどう思われるかわから ないという不安がありました」
目の前で、1つ下の後輩が「私、在日なんです」と、みんなの前でさらりと言ったのはちょっとした衝撃だった。
「私はそんなに軽く言えない。自分より部落問題を理解している先輩たちには言えても、会ったばかりの後輩たちには言えなかった。そして家では、自分が部 落問題について学び、ちゃんと考えているということを親に言えないんです。そんな自分って何だろうと、今では考えられないぐらい悩みました」。
そんな青山さんの気持ちをしっかり受け止め、的確なアドバイスをしてくれたのが同じ大学で学ぶ先輩であり、部落問題を教える教員だった。結論や答えなど簡単には出ない悩みをていねいに聞き、受け止めてくれる人がいるかいないかは大きい。

親の思いに気づいた時、自分の生き方が見え始めた

部落について考えることが、「親の問題」から「自分の問題」へと変わり、青山さんは、部落出身者である自分と向き合い始めた。なかでも2回生の夏休み、香川県の小さな島の部落をカミングアウトできなかった後輩たちと一緒に訪ねた経験は青山さんを大きく変えた。
島の人たちに温かく迎えられ、後輩たちが「部落」と真摯に向き合おうとする様子を見て、「差別されるのでは」という恐れと「本気で考えようとしているの か」という不信感が溶けていった。また、島で解放運動に取り組んでいる、両親と同世代の部落の人たちの「子どもたちには差別を受けさせたくない」という強 い思いに触れ、両親もまた同じ思いをもちながら自分と弟を育ててきたことに思い当たる。そして自分たち家族が「逃げ出してきた」浅香の人たちも。
「運動する人も、部落を避ける人も、寝た子を起こすなと言う人も、その原点には子どもにだけは差別を受けさせたくないという思いがあることを知りまし た。逆に言えば、差別があるから部落から逃げたり、寝た子を起こすなと言ったりするわけです。だから私の両親は何も悪くないというか、そういう状況のなか で両親なりの判断をして私たちを育ててきたんだということがストンと胸に落ちたんです。私自身も後輩にカミングアウトできない自分のことをすごく格好悪い なと感じていたけど、そんなふうに自分を責めなくてもよかったんだと思えました」
そして、青山さんは決意する。
「じゃあ、私は私のやり方で部落問題と向き合えばいいんだと。後輩たちのように、部落問題についてちゃんと考えてくれる人たちもいるということがわかり ましたし。両親は心配するかもしれないけど、仲間もいっぱいつくっていこうと思いました」。
今、各地の部落を訪ねたり、イベントに参加したりして、多様な背景や価値観をもつ人たちとの出会いを楽しんでいる。そして少しずつ、周囲の人に自分が部落出身者であること、そのことで悩んだり考えたりしてきたことを伝え始めている。