部落問題ありのまま vol.2
2007/11/02
事の発端は、「何気ない」ひと言だった。各学校のPTA役員たちが集まる市Pで、いくつかのグループに分かれて今後の取り組みについて話し合っている最中、
「○○中学校って荒れているんでしょう?」
と言い出した人がいた。
「どうして?」
「△△小学校(校区内に部落がある)の子がいるから」
「それはどういう意味ですか」
「これ以上言ったら問題になるから」
というやりとりが続く。そのなかで、「その発言はおかしい」と指摘した人がいた。
安孫子さん自身はその場にいなかった。「おかしい」と指摘した人は名指しされた○○中学校の保護者で、悩んだ末に教頭に相談し、学校から教育委員会に報告された。安孫子さんには市Pの前会長から話が回ってきた。すでに教育委員会や市役所の人権部などが事実確認に動いており、「市Pは勝手に動くな」と釘を刺された。
今なら話がこじれるのを怖れる気持ちも理解できるが、安孫子さんは「自分たちのなかで起きたことなのに、どうして話し合いもできないのか」ともどかしかった。PTAの動きを止めようとする関係者と話し合ううち、運動団体の指摘によって行政が動くという「図式」ができあがっていることや、差別行為をした 側がさまざまな形で糾弾を逃れようと画策することがわかってきた。
しかし、安孫子さんにとっては「仲間」への思いだけがすべてだった。
「私が市Pに参加した年に環境浄化委員会を人権環境委員会へと名称を変え、人権の視点を大事にした活動をしてきました。人権フォーラムなど新しいことに みんなで取り組むなかで、いろいろな問題について話し合い、問題意識を共有し、絆ともいえるつながりができたと思っていたんです。そしていつの間にか、私 たちの間で差別など起こるはずがないと信じ込んでいたんですね。だから差別発言があったと聞いた時はショックでした・・・」
動くなと言われても、動かずにはいられなかった。夏休みだったが、安孫子さんは関係校でPTA役員会を開いて話し合ってほしいと、文字通り走り回って働 きかけた。市Pの役員会でも話し合いを重ねた。差別について語り合えば、それぞれの価値観や生き方を問われずにはいられない。涙ながらに自分たちの思いを ぶつけ合うこともしばしばだった。
自分たちの問題として向き合おうと奮闘する安孫子さんに共感する人は少なくなかった。しかし、「あなたた ちのせいで問題が大きくなった」と安孫子さんたち市P役員会を非難する人たちもいた。発言者は話し合いを避け、最終的には転居していったのだが、それも安 孫子さんたちが追い詰めたせいだと言われた。
「あれぐらいの発言で、ここまで問題を大きくして」
「発言のなかにハッキリとした差別の言葉はあったのか」
「その場で指摘するぐらいで収めておけばよかったのに」
「相手が引越すところまで追い込んでおいて、取り組みができてよかったなんて嬉しがるな」
子どもの安全や環境問題には積極的に発言や行動をする人たちが、「差別」という言葉が出たとたんに身をひ く。事をできるだけ小さくし、穏便に済ませようとする。誰かを傷つける言動をした人をかばい、おかしいと指摘した人を非難する。差別と闘ってきた人の話に は涙を流して感動するが、自分の周辺の差別には冷やか・・・。安孫子さんの場合に限らず、よくある反応だ。こうした周囲の態度は、問題をきちんと受け止め ようとする人を消耗させる。
最初に発言の問題性を指摘した人は、「私が発言者を追い詰めた」と自分を責めて落ち込んだ。
「私たち役員がどれだけ悩みながら話し合いをしてきたかは知ろうともしないで、表面的な部分だけで言いたいことを言うんですよね」
と安孫子さんはため息をつく。