ぼくは「戦争、絶対反対」です。 野中広務さん
2005/11/25
改憲論議が一部で高まっている。「自分の国は自分たちで守るべきだ」「世界平和に貢献するためにも軍隊は必要だ」という主張に対し、「どんな形であれ、戦争に関わってはいけない」という声は「現実的じゃない」と否定され、かき消されがちだ。そんななか、元衆議院議員であり、自民党幹事長も務めた野中広務さん(80歳)は一貫して「反戦」を主張している。その背景にある思いとは――。
―――1925年(大正14年)生まれの野中さんは、かつて軍国少年だったそうですね。
そうです。国家のため、天皇陛下のために戦争へ行き、見事な戦死を遂げるのが男子の本懐だと教え込まれ、自分でもそう思い込んでいました。旧制中学4年の 時には航空学校にも志願したんですよ。跡取りだったので親に大反対されて、泣く泣くあきらめましたが。召集令状がきたのは1945年1月。入隊する時は 「靖国(神社)で会おう」と仲間と言い合いました。
―――敗戦が決まった時、どんな気持ちでしたか?
それはもう、すごい衝撃ですよ。カーッとして「死のう、死のう」と仲間たちと自決しようとしました。そしたら大西という少尉が「ばかやろう! 死ぬ勇気が あるなら郷里に帰れ。できるなら国を誤らせた東条英機を殺して、日本の再興のためにがんばれ!」とぶん殴って止めてくれたんです。
駐屯先の四国から岡山、神戸、大阪と焼けた町を見ながら京都まで帰り着きました。すると、京都の駅前に昼だというのに何百人という人がザーッと寝ている。 戦災を受けていない京都の町に浮浪者がワッといるんです。その様子に異常を感じ、「ひょっとしたらこの国は革命が起きるかもしれない」と思いました。 ちょっと血の気が多かったのかね(笑)。素直に家に帰れば元の生活に戻るしかない。いっそ行方不明になって、籍のない人間として生きていくほうが面白いか なと思い、一週間あまり友人の家を泊まり歩きました。ぼくと一緒に高知へ行った友人の家では、お母さんが「うちの息子はまだ帰ってきません。元気でした か」と訊かれました。「元気でしたよ。もうすぐ帰ってきます」と言うと、ぼくにすがりつき、涙を流して喜ぶんですよ。「元気だとわかっただけでうれしい」 と。それで「ああ、うちのおふくろも俺が帰ったらこんなに喜ぶのかな」と里心が出て、帰ることにしました。そしたら当のおふくろにものすごい怒られた (笑)。「あんたを京都市内で見たという人がいる。何をしとったんじゃ!」と。
そうこうしている間に、大西少尉に言われたとおり、東条英機を暗殺しようと東京へ行った連中がいました。ぼくにも手紙をくれていましたが、親父が握りつぶ してしまった。作戦は失敗し、死んだ仲間もいます。彼に対して申し訳ないという気持ちで、どれほど親父を恨んだかわかりません。あれからずっと、ぼくは大 きな荷物を背負ってます。
―――もし戦死されていたら、靖国神社で東条英機と「会って」いたかもしれませんね。
ケンカしてるでしょう。「なんという戦争をしてくれたんだ、なんでおまえが祀られているんだ」と。
―――中国や韓国からの反発が高まるなか、戦後60年を迎えた今年の夏は過去最高の20万人が8月15日に靖国へ参拝しました。特に若い人が増えているようです。
メディアが、歴史そっちのけで「参拝するか、しないか」という部分だけを取り上げるから、妙な形で注目されてしまった。物事を単純化して、中身をよく吟味しないまま二者択一しようとする今の風潮は大変危険だと思います。
若い人には本当の愛国心、国を誇る気持ちを持ってほしい。
―――本当の愛国心とは何でしょう?
日本人は、何の道具もない時代から山に道をつけて木を植え、“日本の山”をつくってきました。川には井堰をつくり、川下にはため池をつくってみんなで水を 分けた。梅雨の時期に田植えをすることによって水を蓄え、災害が都市に及ばないようにもした。そして何百年と同じ場所に植えても土地が痩せない「米」とい う作物を民族の主食にしてきました。春には豊作を祈る祭、秋には豊作を感謝する鎮守の祭をし、そこから日本の伝統芸能が発展しました。謙虚な気持ちで自然 とともに生きてきた民族なんです。
ところがプロパンガスができると薪を使わなくなり、山に価値を与えないようになってしまいました。さらにアメリカの要求で建築基準法が変えられ、外材がど んどん入ってくる。外材について松くい虫も入り、さらに山は荒れました。そういうなかで、いち早くカネになるものをと針葉樹政策をとった。確かに杉や檜の 成長は早い。しかしこれらの木はしっかりと根をはりませんから、雨が降るとすぐに地盤がゆるみます。しかも山を手入れしないから落ち葉や枯れ枝はたまり放 題。それらが積もり積もって、大雨が降ると一気に土石流となって大きな災害を引き起こすようになりました。
これはひとつの例です。山や川、田んぼなどを通じて都会にさまざまなものを供給してきた地方は、単なる「田舎」ではなく、民族の根幹を支えてきたんです。 しかし「規制緩和」の美名のもと、ことごとくつぶしてしまった。規制緩和は必要です。しかし一部の業者だけが得をするようではいけない。
規制緩和によって地方にもコンビニやスーパーができました。確かに便利ですが、採算がとれないとなったらサッサと出て行く。しかしいったん“シャッター街 ”になった商店街はもう元には戻りません。時間をかけて地域で培ってきたものを簡単に壊してしまう。弱者に対する目線というものが本当になくなってしまっ たと感じています。若い人たちには、目先の便利やかっこよさだけでなく、日本という国の風土や文化をよく知ってほしい。そしてその独自性を誇りにしてほし い。本当の愛国心とはそういうものだとわたしは思います。
―――そうした地方の痛みは、なかなか都市には伝わりませんね。
地方が痛めば、結局は都市も痛みます。流した汗が報われる社会の尊さを忘れて、マネーゲームで世の中が動くということです。年金制度が崩れ、社会保険がつ ぶされていく。医療や介護の負担が重くなっていく。そういうなかでフリーターが増えてきて、フリーターと正規雇用の人たちとの生涯の所得格差は1億円を超 えるようになってきた。こういう状況はいずれいびつな社会状況をつくってしまう。いや、もうつくってしまったと言えるでしょう。