難民と共に生きる社会であるために RAFIQ 田中惠子さん
2019/04/19
難民問題は欧米での問題である――。そんなイメージはありませんか? 実は日本で難民認定を申請する人は年々増えています。一方で、難民として認定されるのはごくわずか。たとえば2017年は約2万人が申請しましたが、認定されたのは20人。認定率は0.1%です。世界の主要先進国での認定率が30~60%であるのに対して、なぜ日本はこれほど認定率が低いのでしょうか。そもそも難民とはどんな人たちなのでしょうか。大阪に拠点をもち、難民を支援する活動をしている「在日難民との共生ネットワークRAFIQ(ラフィック)の田中惠子さんにうかがいました。
――まず、難民について基本的なことを教えてください。難民とは、どんな立場にある人なのでしょうか。
難民条約により規定されています。次の5つの条件を満たす人が「難民」です。
1.「人種」「宗教」「国籍」もしくは「特定の社会的集団の構成員であること」または「政治的意見」を理由として、
2.(出身国で)迫害を受ける恐怖があり、
3.(出身国で)迫害を受けることが客観的にわかり、
4.出身国の外にいて、
5.出身国の保護を受けられない、または保護を受けることを望まない
1945年に第二次世界大戦が終わった時、ヨーロッパには約6000万人にのぼる難民が存在していました。この人たちに基本的人権をどう保障していくのかが世界的な課題で、国連の最初の仕事となります。1948年、「世界人権宣言」が採択され、すべての人間に「庇護を求める権利」と「差別されずに基本的人権を享受できる」ことが確認されました。
これを受けて、1951年に国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所が立ち上げられ、「難民の地位に関する条約」が採択。1967年にはこの条約を補足する「難民の地位に関する議定書」が採択されました。この2つを合わせて「難民条約」と呼ばれます。日本は1981年に難民条約に加盟しました。
私たちRAFIQでは、難民条約の定義に当てはまり、日本で支援者がいない難民を中心に支援活動をおこなっています。
――ドイツやフランスなどヨーロッパの国々では、難民問題が国を揺るがす問題として議論されています。最近はシリアやトルコなど中東を中心にボートで国を脱出する人々の姿が多く報道されました。しかし日本ではどこか「遠い出来事」のような空気があります。
難民についての知識や理解が圧倒的に足りていないと感じています。最初に難民の定義についてお話ししましたが、もう少し具体的に「難民とはどんな人か」をお伝えしたいと思います。
難民条約での規定のうち、2点目の「迫害を受ける恐怖」がもっとも重要なポイントであることを知っておいてください。実際に殺されたり、刑期20年などと宣告されて収監されたりするだけでなく、「精神的な恐怖」も含まれます。日本では「貧しくて生活できないから」と認識する人が多いのですが、違います。迫害の恐怖があって国を出た人が「難民」です。家は出たけれど国内にとどまっている人は「避難民」といいます。また、自らの意思で国を出てきた人たちは「移民」です。
繰り返しになりますが、自らの意思ではなく、そこに留まっていると殺されるという状態に近い、社会生活が送れない、基本的人権が守られていない状態にあり、仕方なく国から出てきている人たちが「難民」です。
日本の報道では「難民」と「避難民」「移民」が混同されており、正確ではありません。「行き場のない」というイメージで、「帰宅難民」などと難民という表現が使われますが、間違った表現です。
では、なぜ日本で難民問題が「他人事」のような空気になるのでしょうか。
日本も決して難民問題と無縁ではありません。実は毎年、難民申請認定者は増えており、2017年は約2万人が申請しました。しかし、認定されたのはわずか20人で、認定率は実質0.1%です。
世界の主要先進国では、数千から数万人単位で受け入れており、各国の難民認定率は30~60%です。難民に対して厳しい姿勢を見せているアメリカでも2万人以上を受け入れています(2016年)。2018年に出されたUNHCRの報告書では「特異的に難民の受け入れが少ない」と名指しされた5カ国のなかに日本が入っています。
つまり、日本国内に難民が少ないのは受け入れていないからです。迫害の恐怖から逃れるために出身国を出て、日本に保護を求めている人たちは2017年だけで約2万人もいたことが認識されていない。これが今の日本の実態です。
――申請を却下する理由は何でしょうか。
条約に加盟すると、国内法をつくらなければなりません。日本の国内法として「難民認定法」があります。正式には「出入国管理および難民認定法」といいます。
出入国管理法とは、その名の通り「外国人を管理する」法律です。一方、難民認定法にある「難民」とは基本的人権を守られるべき存在だと難民条約で定義されています。基本的人権を守るには、ただ認定するだけでなく、保護しなければなりません。しかし日本の場合は保護するための法律がなく、なおかつ管理するための法律と一体化されている。これが日本における難民の悲劇となっています。
認定の基準が厳しいのは、もともと外国人の管理をしていた人が難民認定にも携わり、「違法調査」すなわち「違法ありき」の視点で調査、判断しているためではないかと考えられます。国際法である難民条約をきちんと学び、理解しているのかどうか、甚だ疑問です。
――難民認定はどのような流れでおこなわれるのでしょうか。また、日本における難民認定の問題は何でしょうか。
日本で難民認定申請をおこなうには、各地方入国管理局に申請します。申請用紙は28カ国語分がありますが、提出する資料は日本語に翻訳しなければなりません。次に難民調査官のインタビューがありますが、代理人は同席できません。さらに難民であるという「証拠」を求められます。本人の証言だけでは事実かどうかわからないということです。さらに「証拠」を日本語に訳して提出することも求められます。しかし、たとえば拷問されたとして、拷問の証拠写真を撮り、持ち出せる人がどれほどいるでしょうか。
また、基本的に日本語を話せる難民はいません。母国語の通訳がつかないなかで難民であることを説明するのは非常に困難です。さらに母国語といっても地方によって言葉や表現が違うことも多々あります。
「外国の」事例ですが、「私は山に隠れました」と証言した人がいましたが地図で確認するとその場所に山がなかったので認定されなかった方がいました。しかし裁判では、その地域の人々は小高い丘を「山」という事を証明し認定されました。出身国の状況しっかり調べずに判断した例です。「山」の概念が違うということを理解せずに日本人のイメージで判断すると「嘘をついた」とされてしまいます。
女性の場合、性暴力を受けた可能性もあります。しかし男性の担当官に対して話すことにためらいを感じるのは当然でしょう。それでも難民認定を受けるためにと、勇気を出して2度目以降のインタビューで話したら、「なぜ最初から話さなかったんだ」「信用できない」と言われたりします。
政府機関から拷問を受けた人は、役人という立場の人間に警戒心をもつ人もいます。拷問や恐怖心がトラウマになり、話せないという人もいるでしょう。そうした配慮は全くされていません。
こうした結果が認定率0.1%なのです。日本にあるのは「認定制度」ではなく「不認定制度」であるとしか思えません。
認定と不認定の「分かれ目」は不明です。なぜなら認定されると「難民認定証」が交付されますが理由は書いてありません。不認定の時は、A4の紙1枚位に簡単な理由が書かれているだけです。私たちが支援した人たちのなかにも同じような理由で申請を行っても、認定された人と不認定の人がいますが、本当の理由はわかりません。
支援というのは、証拠として提出する文章を翻訳したり、担当官のインタビューの前にリハーサルなどをして内容の整理やアドバイスをするなどです。けれど同じようにしても、同じ国でも、「Aさんは認定されたけど、Bさんは不認定」ということがけっこうあり、本当に不透明です。
――日本の難民受け入れに対する姿勢そのものが人権侵害にあたることがわかってきました。ほかにも問題はあるでしょうか。
まず、難民認定以前に、難民申請者に対する保護制度がありません。たとえば、正規のパスポートで入国して難民申請した人に対して、難民かどうかを振り分ける「振り分け期間」が2ヶ月間設けられています。難民申請ではなく、「難民として申請できるかどうか」を振り分ける期間です。2ヶ月経って初めて、「難民申請中なので日本に滞在できる」という6ヶ月の在留資格を得られます。しかしこの2ヶ月+6ヶ月の間は就労できません。かといって保護を受けられる施設や制度もありません。
命からがら日本にやってきて、保護施設もないのに就労も禁じられる。いったいどうやって生活すればいいのでしょうか。
ほかの国では、結果が出るまではそこで暮らせる給付金を出したり、就労できたりします。保護もしなければ働いて生活の糧を得ることもできない。それでもひたすら耐えてがんばっています。とても自制心の強い、すばらしい人たちだと私は思っています。
一方、出身国でパスポートを出してもらえなかった人は、ブローカーにパスポートを作ってもらって出国するしかありません。切羽詰まった恐怖から逃れるためですが、これが「不法入国」となります。また、観光などの短期在留資格が切れてしまい、その後に申請した人や職務質問や摘発などで在留資格がないことが判明した人は「不法残留」となります。いずれも「入国管理法違反」で退去強制令書が出て、送還まで入国管理局に収容されてしまいます。
出身国でも日本でも何の罪も犯していない人が、それまでの事情をまったく考慮されず、収容され、最終的には命の危険を感じる出身国へと強制送還される。これはあきらかに「難民条約」に反しています。収容された人は入管法の違反者として捕まっているわけですが、難民申請した段階でほかの入管法違反者とは別に対応すべきだと考えます。
――実際、どうやって暮らしているのでしょうか。
私たちがすべて把握しているわけではありませんが、同国人のネットワークで支え合うことが多いようです。たまたま役所で会った人がアパートの大家さんで、「うちの部屋が空いているから来てもいいよ」と言ってもらった人もいます。横断歩道を渡る時に同国人とたまたま出会ったという人もいれば、国を出てくる時にある程度まとまったお金を持ってきたという人もいます。たくさんの人の善意が彼らを何とか支えているという状況です。
――無自覚に「~難民」という言葉を使っているのが象徴的ですが、いかに自分が難民問題を理解していないかを痛感します。他人事にしないために、私たちはどう関われるでしょうか。
まず、日本にも多くの難民がいて、すでに私たちとともに暮らしていることを意識してほしいと思います。電車で隣に座っている外国人や、スーパーで買い物をしている外国人が難民だということもあります。「難民なんて見たことがない」と言う人もいますが、多くの人はすれ違ったりしているでしょう。
つい先日も、中東出身で、1月に入国、2月に難民申請をした人から相談がありました。10歳の子どもがいるため、4月から地域の小学校に入学したいと役所に申し出たら、「在留資格がないのでできません」と言われたと。先ほど説明したように、申請から2ヶ月は振り分け期間で在留資格が出ません。その間、子どもの学ぶ権利まで保障されないというのはおかしいではありませんか。
ちなみに文科省は外国人について「就学の要望があった場合は認める」としています。在留資格の有無には一切触れていません。
自分が住んでいる地域にも、子どもも含めて基本的人権が保障されないまま、難民が暮らしているかもしれない。だとすれば、何をすべきなのか?という想像力を働かせ、意識をもってください。
――RAFIQは新しい難民の保護法の実現に向けて、政府に政策提言をおこなっているんですね。
今までお話ししてきたように現在の「出入国管理および難民認定法」には多くの問題があります。何より難民の人道的保護になっていない。私たちは同じ問題意識をもち、難民を支援している「なんみんフォーラム(FRJ)」の加盟団体などと共同で政府に提言をしています。出入国管理法と難民認定法を切り離す、入管に収容しない、母国語での資料提供などですが、本質的に何が言いたいかというと「灰色の利益を優先する」ということです。すなわち、難民かどうかを判断しにくい場合は難民としての利益を優先する。よく「疑わしきは罰せず」と言いますが、同じような意味ですね。
現在は「完璧な難民」でなければ認められないという方針なので、ほとんど難民認定が出ません。すべての人間に「庇護を求める権利」と「差別されずに基本的人権を享受できる」という世界人権宣言に立ち返り、国際社会の一員として、また、地域社会でともに生きる者として、隣人の基本的人権を守るのは当然です。それは私たち自身の基本的人権を守ることにもつながっています。
(2019年3月インタビュー 取材・構成/社納葉子)
●参考サイト
RAFIQ 在日難民との共生ネットワーク