63歳の時、静江さんは札幌の職業訓練校で1年間かけてアイヌ刺繍の技術を習得した。アイヌ刺繍を基礎から学び直したいというのが表向きの理由だが、その根本には「『アイヌの基本』を身につけておかねば」という思いがあった。長い長い葛藤の末に「アイヌ」へと戻ってきたのだった。 現在、宇梶静江さんは古布にアイヌ刺繍をほどこした「古布絵」で、国内外にその名を知られている。アイヌ文化を広く伝えるための講演活動も行っている。少女時代から好きだった絵をはじめとする創作活動に専念する毎日である。
「わたしは(差別や偏見、それに伴う自分自身への抑圧から)解放されました」っていう顔してたけど、本当はどこかスッキリとは解放されていなかった。なぜだか、自分ではどうしても解決できなかった。 アイヌ刺繍を始めた時、そこから何かひとつはじけた芸術が生まれないかと考えていたんですよ。ところがアイヌ刺繍って完璧で、くずすところがない。くずせばもうアイヌ刺繍じゃなくなってしまう。その時、「これはすごいことだ。昔の人は完璧なものを作り出した人たちなんだ」と思ったんです。 さらに、ひとりで刺繍をしている時、「糸の先はどこからきたんだろう」とふと考えたんです。細い刺繍糸の先が荷物を背負う縄であったり、しめ縄であったりするんですけど、最後にたどりついたのが木や草の繊維でした。その時、カーンときました。今、人間の社会で当たり前のように便利に使わせてもらっている糸ですが、最初に蔓を編むようなことを考えた人や繊維を取ることを覚えた人たちがわたしたちの先祖だったんです。すごいことだと思いました。そこで一気に解放されましたね。 アイヌは、「すべてのものにはそれぞれの役割がある」と考えます。人も動物も植物も、たとえ機械でも、それぞれの役割があり、存在価値に上下はないと。また、殺されたから殺すという敵討ちの発想はありません。どんな理由だろうと、人が人の命を奪ってはいけない。裁くのは「天」なのです。 ほかにもアイヌは言葉では言い尽くせない深いモラルをたくさんもっています。簡単に表現できるものではないので、今の時代、大きなメディアを通じて伝えるのは難しいでしょう。だからせめてわたしは自分の目線で同胞たちに伝えていきたい。せっかくアイヌに生まれて、やっと解放された。そういう自分がアイヌ文化の素晴らしさを伝えるなら、多くの人に注目されることより、まず同胞のひとりが解放されることを大事にしていきたいと考えて活動しています。(※文中の絵や刺繍は宇梶さんの作品です)
(2004年11月17日インタビュー text:社納葉子)
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