松山猛さん(作家) 僕らの周りには渡れない「イムジン河」がたくさんある
2002/11/29
シリーズ「音楽とともに」(1) 同じ人間同士でありながら、なぜお互いを認め合えないのだろう。なぜ差別が起きるのだろう。どんな言葉よりも心を潤す「音楽」を通して、さまざまな人々の共生を考えます。 「イムジン河水清く、とうとうと流る 水鳥自由に、群がり飛び交うよ・・」
僕が子どものころ住んでいた京都・東福寺界隈には、いろんな人たちが暮らしていました。近くには朝鮮から来た人たちの集落があったし、朝鮮動乱で傷ついた連合国軍の兵士のための病院もあって、古い京都の町並みにチマ・チョゴリ姿のおばさんや、アメリカの黒人兵やオーストラリア兵たち、また托鉢の坊さんも行き交うという不思議な風景が広がっていた。でも、それは僕にとっては「当たり前の世界」だったのです。 どここらか聞こえてきた「あの美しい歌」 日本全体がアメリカと安全保障条約を結ぶかどうかで大騒ぎになっていて、政治家暗殺が起きるなど、主義・主張の違う人は排除しようという動きが強かった時代でね。せめて中学生同士の争いごとをなくしたかった僕は、ケンカよりサッカーの対抗試合をして理解を深め合おうという計画を立てた。担任から「大人が介入するより子ども同士でやったほうがいいよ」と勧められ、僕は、銀閣寺の近くにあった朝鮮中級学校に試合の申し込みに行ったんです。その時、聞こえてきたのが、コーラス部で練習していた「あの美しい歌」でした。
「イムジンガン マルクウン ムルウン フルロフルロ ネリゴ ムスドウル チャユロヒ ノムナドゥルミョ ナルゴンマン」
その頃の僕は、中学のブラスバンド部でトランペットを吹いてましてね。周りに気兼ねなく音が出せる九条大橋で練習をしていて、同じようにサキソフォンの練習に来ていた朝鮮中学のM君と仲良くなり、気になっていた「イムジン河」を教えてもらえることになったんです。数日後、Mくんは譜面と朝鮮語の歌詞と、1番の日本語訳をメモしてきてくれた。意味が分かるようにと新しい「朝日語小辞典」も添えて。ちょうど親しくしていた在日の多くの友だちが、帰国船で北朝鮮に帰っていった時期で、歌詞の意味を聞いて複雑な心境でした。 |
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