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民主主義とは目の前のゴミを拾うこと 映画作家 想田和弘さん

2013/08/28


日常的に権利を行使することが憲法を生かす

想田和弘さん

――気心知れた関係だからこそ、隣でずっと観察していて意見を言いたくなったことはないですか?

 友だちとしては「もうちょっとやり方があるだろう」と何度も言いそうになりましたが(笑)、言わなかったです。ぼくの最大の目的は、自分の観た現実をそのまま映画にすることですからね。
 ただ、今回は山さんもほかの候補者も前作『選挙』を前提にしてぼくにコミュニケーションをとってくるので、ぼくという存在も必然的に映りこんでしまうんですね。観察は観察ですが、「参与観察」といってぼく自身も含めた世界の観察になっています。
 その究極が、先ほどもちょっと触れた、自民党の候補者から「絶対に自分たちを撮るな」と言われる場面です。それでもぼくはカメラを回し続けたのですが、その日のうちに自民党川崎市連の弁護士から「今日撮影したものを映画に使うな、映像を消去しろ」という通知書がきました。
 正直、怖かったです。訴えられたら面倒だしお金もかかるし、映像を使うのをやめようかなあとも本気で考えました。
 しかし弁護士に相談すると、「公人が公道で選挙運動をやっているのを撮れないというのは考えられない。訴えられる可能性はあるけど、裁判になっても勝てると思う」という見解でした。その根拠が憲法第21条、つまり表現の自由、言論の自由なんです。それを聞いて、「引けないな」と思いました。ここで自主規制してしまうと、憲法にはちゃんと表現の自由が保障されているのに、自らその権利を放棄してしまうことになります。逆に言うと、憲法に「表現の自由、言論の自由」と書いてあるだけで使わなければ意味がないんです。ぼくたち自身が日常でその権利を行使したり守っていくことで、初めて憲法が生きてくるんですね。そういうことに初めて気づきました。
 特に今は自民党が改憲を本気で目指し、自民改憲案では第21条が骨抜きにされようとしていますよね。ぼくは表現者の端くれとして、そんなことは絶対に容認できない。日本国憲法第12条には、こんな文言もあります。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

――選挙というテーマで観察映画を制作するなかで、憲法や政治についてあらためて考えられたんですね。政治や憲法を自分の問題として考えることに距離を感じている人も多いと思われますが。

 そうですね。これはぼくの持論ですが、「消費者民主主義」とでも呼ぶべき状況が蔓延しているように感じます。つまり、有権者が自分自身を政治サービスの消費者としてイメージし、政治家が提供するサービスに「票」と「税金」という対価を支払っているような感覚をもっているのではと。民主主義の本質を考えれば、とても誤ったイメージなんですが、そう考えるといろいろ納得がいくんです。
 たとえば、先の衆院選や参院選でも顕著だった低投票率。あれは「ろくな候補者=商品がないから買わないよ」という姿勢の現れなのではないでしょうか。だって、不完全な商品を買う人間は、「賢い消費者」ではないですから。
 また、政治家も有権者を消費者として見てるんじゃないかと思うんですよ。だから「国民のみなさま」って言ったりして、やけに慇懃無礼じゃないですか。でも、別に国民を尊敬しているわけではなく、むしろ軽蔑してる。だから、誇大広告で釣ろうとするみたいに、いわゆる「アベノミクス」みたいなわかりやすくキャッチーな政策でごまかそうとする。
 実際、消費者として自らをイメージしている有権者は、政治家が提示する誇大広告的なキャッチコピーに釣られやすい。なぜなら難しい政治課題についてわかりやすく説明するのは政治サービスの提供者の仕事であり、自分には勉強する責任も義務もないと考えているからです。自分で研究し吟味しない有権者が、政治家にだまされやすくなるのは当たり前ですよね。