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生活保護制度は私たちの「生きる権利」です 雨宮処凜さん

2013/05/02


生活保護制度は私たちの「生きる権利」です 雨宮処凜さん

 生活保護を受給する人に対する風当たりが強い。なぜここにきてバッシングが強まっているのか。実際はどうなのか。「反貧困ネットワーク」の副代表であり、運動と取材を通じて多くの人の声を聴いてきた雨宮処凛さんに話を聞いた。

ガス抜きとしての生活保護バッシング

――雨宮さんはずっと貧困問題をご自身のテーマとしてさまざまな活動をされてきました。2000年に最初の著書(『生き地獄天国』)を出されてから13年、今の状況をどうとらえていますか?

 ずっと「このままではダメだ」という危機感をもってやってきましたが、今は活動してきたなかで一番、社会が悪い方向に向かっているような気がしています。
 貧困問題は、リーマンショックや派遣村の時に一気にクローズアップされました。低賃金で長時間働くワーキングプアの実態も知られるようになり、貧困は自己責任ではなく「政治の問題」であるという意識は当時広まったと思うんですね。それが2009年の政権交代にもつながったんじゃないかと見ています。
 ところが、政権交代によって労働や貧困の問題に手をつけられるのかと思ったら、結局たいしたことはされず、何も実現しないままに終わってしまいました。そして状況がどんどん悪くなっている。全体が厳しくなればなるほど、弱い立場の人を叩く気運は高まっていくものなので、生活保護を受給している人へ厳しい風当たりも非常に強まりました。

――貧困問題が社会の問題としてクローズアップされ、その後の反貧困運動へとつながりました。また、ツィッターやfacebookなども使った市民のネットワークや情報の共有の広がりも進んでいます。にも関わらず、「貧困」を社会問題、政治問題として考え、解決していこうという動きが高まらないのはなぜでしょうか。

 たとえば東日本大震災以降、ひんぱんに行われるようになった脱原発デモは、全国で数百万規模の人が参加しています。行動で自分の意思を示す直接民主主義のハードルはすごく下がって、意識が変わってきたきた人たちがたくさんいると思うんです。けれど一方で、昨年12月におこなわれた総選挙では、そうした意思が反映されたとは思えない、むしろ正反対の結果で、私もショックでした。
 まだ分析しきれていないのですが、人々の意識や行動が二極化しているように感じます。社会に対する責任を自分自身が動くことで果たしていこうと考え、行動する人が増えてきた一方で、ガス抜きのように何かのバッシングに乗っかる人も増えているのではないかと。その2つの層の距離がすごく広がっているような気がします。
 でもそれもやっぱり貧困が深刻化していることの表れだと思うんですね。生活に追われていれば、落ち着いてものを考える時間もないし、本や新聞を買うお金もないでしょう。気持ちはどんどん荒れて、何かを攻撃したくなる。それが自暴自棄と紙一重の投票行動だったり、ネット上で誰かを集中的に攻撃する"祭り"的なものだったりするのかなと。それほど積極的、自覚的でなくとも、多くの人がそうしたものに参加することによって、結果的に政策にも反映されてしまう。それが今回の生活保護の切り下げだったのではないかと思います。