あなたのお話お聴きします 僧侶 前田宥全さん
2011/08/19
誰にも相談できない悩みを抱え込んで、ため息をつく。あれやこれや考えを巡らせるも、解決の糸口がなく、ふさぎ込んでしまう-----。他人事ではないと思う人も多いのではないだろうか。2010年の自殺者は3万1690人で、13年連続で3万人を超えている。そんな中で、1991年から、「あなたのお話 お聴きします」という活動をしているお坊さんがいる。
東京都港区の正山寺という小さなお寺の住職、前田宥全さん(40)だ。「辛い気持ちを、私に吐き出してください」というこの活動の経緯と思い、400人以上の話を聴いてきた感触をうかがった。
——「あなたのお話 お聴きします」。どのような仕組みなのでしょうか。
私が住職を務める正山寺の門前に「あなたのお話 お聴きします」と書き、その下に「他人には些細なことでも、あなたにとっては重大な問題ですから」と書き添えた紙を貼っているんです。それを見た通りがかりの人や、「こんなお寺があるよ」と口コミで知った人たちが電話してこられ、予約してもらって、私がお話を聴かせてもらっています。1回80分、一日に3人まで。無料です。
——「あなた」とは、檀家さんとか同じ宗派とかに限らないんですね。
ええ、どなたでも。お寺というのは、地域の一部として、本来、何でも相談できる場として存在してきたものだと私は思うからです。尋ねられてもいない宗教的な話を一方的にしないことと、相談内容を漏らすことがないことを了解事項としています。相談者の数は、カウントし始めてから290人を超えており、累計400人ほどになると思います。
——そもそも、この活動を始められたきっかけからお聞かせください。
経歴からお話しますね。私は、江東区にある真言宗のお寺の三男で、お寺の跡取りになる必要がなく、大学時代は介護福祉士を目指していたんです。ところが、4年生になった時、突然母に「私の実家の寺を継いでほしい」と言われたんです。叔父が亡くなってから、祖母が「特定代務」として維持していた、曹洞宗のこの寺です。
その時に思い起こしたのが、いつも本堂に座り、ひっきりなしに訪ねて来る人の話し相手をしていた父の姿でした。365日、門を開け放ち、みんなの話を聴くって、考えてみたら、すごいことだと。僧侶として生きるとはどういうことかと一週間考え、「継ぎます」と返事。大学を卒業して、永平寺で2年半修行をし、ここ正山寺の住職になったんです。
——お父様が、訪ねて来る人の話し相手をされていた姿というのが、「あなたのお話 お聴きします」につながるのでしょうか。
そうですね。
私が住職になったころ、正山寺は、乱暴な言い方をすれば、檀家さんにとって「お墓があればいい」といった感じのお寺でした。お墓参りには来られる檀家の方は、本堂に来るわけでも、私に会いに来るわけでもなく、素通りされる。そういうお寺は日本中に少なくないようですが、私はこれでいいのかと疑問を抱え込みました。
そんな折りに、法事の後の「あと席」で、檀家の方々とお酒を飲みながら、故人の思い出話やご供養の話などをする機会があり、実はみなさん、さまざまに葛藤を抱えていらっしゃるのだと気づきを得られたんですね。
「人間は死んだらどうなるのだ」「どう生きてゆけばいいのか」「自殺っていけないのか」「お経のあの言葉はどういう意味だ」「家族が自死したのは、自分のあのひと言いけなかったんじゃないか」……。
「お坊さんと話したら楽になる」と言われ、父の姿を改めて思い出し、地域の人たちに、正山寺を「何でも相談できるお寺」と認知してもらいたいと思ったんです。
——ご住職になるのと並行して、カウンセリングの勉強もされたんですか?
ええ。永平寺から帰ってきて、臨床心理士やバランスセラピーの学校に通い、資格を取りました。話せば長くなるので、短く言いますが(笑)、私の宗教者としてのスタンスは、「住職はお寺の経営者ではない」なんです。お布施の額を聞かれたら「1円から、上限はありません」とお答えします。ですので、住職になってから、職としては、学校や病院の嘱託としてカウンセリングを仕事にしていました。
——なるほど。そういう経緯があって、「あなたのお話 聴きます」の貼り紙をされた。
苦しみをかかえた人へのメッセージのつもりでした。紙を貼った翌日、さっそく一人目の女性がやって来て、生活苦や家族の問題を切々と語り、「出口のないトンネルにいるようだ」とおっしゃいました。希死念慮----つまり自死願望のある方でした。
私にできることは限られています。お金は貸せないし、相談者もそれは分かっておられる。丁寧に聴いてさしあげることだけが、私の役割だと。
——悩みを的確に話せる人は少ないのでは?
まず、いらっしゃらない。ですから、私は「整理がつかなくていい。支離滅裂でもいいから、今心の中でもやもやしていることを全部話してください」と申し上げるんです。その中で、「今おっしゃったのは、こういうことですか」と投げかけると、ハッとして「そうなんです」とおっしゃる。
話すうちに、ご自身のことが整理されていく。ひと言で「辛い」と言っても、どういう辛さなのか。どこから始まったのかを考える。そういう作業を、私が相談者と一緒に進めさせてもらうんです。解釈的にならないために、メモをとらず、頭で聴きます。途中で何も口をはさまないでも、私が理解したと感じて、「すっきりした」とおっしゃってくださる方もいて、そんな時、手応えを感じます。
——相談者の年齢層は? 「死にたい」とおっしゃる方は、多いのですか?
年齢は幅広く、10歳から90歳まで。
「死にたい」とおっしゃる方、多いですね。最終的な状況として、一番多いのは鬱病ですが、鬱病を、自死願望の理由としてあげられないと思うんです。鬱病だから自死したくなるのじゃなくて、鬱病には、そうなる以前の要因があるからです。
ざっくり言うと、過去および現在の職場や家庭などの人間関係。いきなり罵讐雑言を浴びせかけられて、パニックになるケースもあれば、過去からつながっているケースもある。今の職場や家庭に問題はなくても、育ってきた環境で、認められなかったとか虐待を受けていたなどが要因であることも、少なくありません。
——お話の内容を、少し教えてもらってもいいですか?
10歳の子は、貼り紙を見て、すっと境内に入ってきて、石像の前でずっと手を合わせていたんです。声をかけると、「お母さんとお父さんが仲良くなくて。(石像に)お願いすれば、仲良くなるかもしれないと思ってきた」と、その場で話してくれました。
得体のしれない不安を抱えている中学生も、パワハラに遭って会社を辞めた30代、40代の方もいます。「自分は生きている価値がない。死ぬしかない」と思い詰めていらっしゃった方もいました。
食べていけない、住む場所がない----と話す生活困窮者には、行政の福祉窓口などにつなぎますが、ここに来られる中では1割ほどでしょうか。
一人暮らしの高齢者で、「自分は今後どうやって生きていったらいいのか分からない。話せる人もいない。あと10年生きるとしても、その10年を今のような生活をしていくのはあまりにも寂しすぎる。死んじやったほうが楽かと思う」とおっしゃった方もいらっしゃいました。「私でよろしければ、これからも話を聞きますので、気持ちを話す場としてここをご利用されませんか」と申し上げました。リピーター率は6割ほどです。
——「自殺しちゃいけないんでしょうか?」と問われたら、どうお答えになるんでしょうか。
私は、「自死することが必ずしも悪いことではないと思う」と答えます。
すごく苦しんだら、自ら命を絶つのもありかなと思うからです。
いろんな苦しみを吐露された50代の男性が、「死んじゃダメなんですよね?」と問いかけられた時、私は「正直なところを申し上げれば、そこまで苦しまれているなら、死にたいと考えたほうが自然だと思う。私だったら、死んでいたかもしれません」と答えました。するとその方は「ああそうなんだ。そこまで言われたのは初めて。勇気を得た」とおっしゃった。何かがスコンと落ちたらしくて、それから連絡がこないですね。
——震災以降、被災者や関係者の方からの相談はありますか?
一件もありません。
震災後に変わったと思うのは、悩みを抱えている方が、置いてけぼりを食ったような感覚、寂しさを感じているんじゃないかということです。
「私なんかこの程度のことで、悩んだらいけないんだ」「震災に遭った人、ご家族を亡くした人から見れば、ちょっとしたことだ」とおっしゃる方が、少なからずいるからです。そこに「私のことも忘れないで」とメッセージが込められているように思います。
もっとも私は、NPOのライフリンクの電話相談にも参画していて、そちらでは震災後、宮城、岩手、福島の三県からならフリーダイヤルでつながるんですが、「周りは家族を亡くしたり、悲惨な方ばかり。とても私の気持ちを辛いと話せるような状況じゃなくて」という方からの相談を受けます。
私が、貼り紙に「他人には些細なことでも、あなたにとっては重大な問題ですから」と書き添えているのは、まさにそこ。たとえば電車の中で受けた視線から、「社会は冷たい」と悲観し、ネガティブに考える人もいる。一般的には些細と思われる事柄が、人を死に追い込むまでに発展すると、気づかされます。
——さらに、2007年に出来た「自殺対策に取り組む僧侶の会」の副代表でもいらっしゃいます。
「自殺対策に取り組む僧侶の会」は、死のこと、生きることに接する道を選んだ者としての超宗派の僧侶約40人の会です。月に延べ60~80通の手紙が届くんですが、その手紙をスキャンし、3人にメールで送って、議論して返事の文面を共同で練る。そして、手紙を書いてきた人に「ひと肌」を感じてもらうため、一人が手書きで返事を出す。そういう活動をしています。
届く手紙には、便箋20~30枚にぎっしり綴られたうえに、飲んでいる薬の資料が何十枚も添付されたものもあれば、「もうダメ。死ぬ」の一行だけのものもあります。長い手紙も一行だけの手紙も、その重さ、危機感は同じ。
自分のフィルターを通して、この人が何を訴えようとしているかを感じ、返事を考えるんですね。
場合によって、弁護士や福祉の窓口などを紹介することもありますが、たとえば仕事をなくしたから、新しい職場を見つければ解決というものではないと痛切に感じます。傷ついた、傷つけられたその分をケアしていかなくちやいけない、と。
——今後も、こういった活動を継続予定ですね。
もちろんです。一人ひとりが生き生きと暮らせる社会になるためには、悩みを打ち明けられる社会がまず必要ですから、その一助になれるよう活動を続けます。今、各地に、同様の活動が増えていっているのをうれしく思います。
繰り返しになりますが、自死は個人的な問題だけでなく、いくつもの社会的要因によって追いつめられた末の死ですから、社会の問題です。それに、どなたも「これくらいのこと、些細なこと」と悩みを封じることはないとも申し上げたい。辛い時、遠慮なく相談してください。
(2011年6月インタビュー/取材・原稿 井上理津子)
前田宥全(まえだ・ゆうせん)さん 僧侶。財団法人メンタルケア協会 精神対話士。1970年、東京都江東区生まれ。東北福祉大学卒業後、永平寺での修行を経て、曹洞宗正山寺(東京都港区) 住職に。1991年から「あなたのお話 お聴きします」の活動を始める。「自殺対策に取り組む僧侶の会」副代表を務めると共に、NPO法人自殺対策支援セ ンター「ライフリンク」の活動にも参画している。 |
関連リンク 正山寺 ライフリンク 自殺対策に取り組む僧侶の会 関連図書 『いのちの問答』(藤澤克己著、幻冬舎、1260円) 『ルポ仏教、貧困・自殺に挑む』(磯村健太郎著、岩波書店、1995円) |