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罪を犯した障害者も共に暮らせる社会へ

2008/07/01


一人の受刑者が刑務所で目の当たりにしたのは、所内を埋め尽くす凶悪犯ではなく、知的障害や身体障害など社会的ハンディを抱える人たちが大半という日本の刑務所の現実だった。彼らの世話係を任され、深く関ることで、目をそらすことができなくなった障害者福祉の実態。出所後、生きる術を模索する中で、もがき苦しみながら細く長い糸をたぐり寄せるように行き着いたのが、罪を犯した知的障害者に寄り添う道である。その歩みは多くの福祉関係者や社会をも動かし、今や刑務所を運営する側に立つ。元衆議院議員、山本譲司氏(45歳)の新たな人生はスタートしたばかりである。

罪を犯した障害者も共に暮らせる社会へ 山本譲司さん

2001年、政策秘書給与流用事件で1年6カ月の実刑判決を受け、刑務所に服役した山本譲司さん。栃木県の黒羽刑務所で与えられた懲役作業は、一般受刑者からも「塀の内の掃き溜め」と呼ばれる「寮内工場」での障害や病を抱えた受刑者の世話係だった。そこで出会ったのは、知的障害や身体障害、認知症、視覚・聴覚障害、覚せい剤の後遺症など、ハンディのある人たちばかり。それまで大手メディアでも一切伝えられなかった獄中の真実、その433日の生活をつづった『獄窓記』を2003年に上梓。出版を機に、予想もしなかった道を歩むこととなった。

福祉の代替施設と化した刑務所

私が障害者福祉の悲惨な現実について、「この現実を変えていかなくては」と強く意識し始めたのは刑務所内でというより、『獄窓記』という本を書き出してからなんです。文章にしてアウトプットすることで、改めて服役時代を振り返ることができました。
塀の中というのは、漠然と目に映ってることしか分からない世界。「刑務所の中で苦しみを避けるには、自分が人間であることを忘れろ」「世の中に人権という言葉があることを忘れろ」と先輩の受刑者に言われるぐらい人間としての感覚が麻痺してしまい、思考を巡らして能動的に何か考える余裕などない場でした。
私自身、都議会議員を含めると12年間議会に籍を置いていて、頻繁に福祉の現場に足を運び、福祉政策について分かったようなことを論じ、「福祉のエキスパート」という自負もありました。しかし、日本の福祉の現状はまったく見えていなかった。そのことに、服役してみて初めて気づいたんですよ。情けないことですが・・・。
まず、刑務所という場を勘違いしていました。凶悪犯を懲らしめて懲罰的に塀の中に閉じ込めている場所、かつ、あの高い塀は社会の安全を保つために造られたもの。そんなふうに理解していたんですが、実は逆で、あの塀によって多くの人たちが、冷たく厳しい娑婆の世界から守られているんです。
確かに、懲りない面々というような受刑者が1~2割はいますが、8~9割は社会の中に居場所がなく、孤立し、排除され、不幸にして罪を犯すに至ってしまったというような人たちです。その生い立ちを振り返れば、人生のほとんどを被害者として生きてきたというような境遇の人たちが実に多かったんです。本来、福祉のセーフティネットに引っかからなきゃいけない人たちが、そこからポロポロとこぼれ落ち、罪を犯したことでようやく司法というネットに引っかかって刑務所に保護されている、それが実態でした。
私がいた黒羽刑務所の「寮内工場」というところは、失禁者が後を絶たず、常に奇声が飛び交うような場所。私の主な仕事は、障害がある受刑者の下の世話と話し相手でした。彼らは一般受刑者とも隔離され、慰問行事などにも参加できず、毎日、幼稚園児でもできるような単純作業を繰り返すのみ。しかも、刑務官が扱いやすいように薬づけの日々でした。
山本さん 今、日本社会全体に景気の後退による将来への不安、あるいは凶悪犯罪が起きる中での社会不安などが渦巻いています。そうなると、かつてのナチスドイツのように、障害がある人たちやマイノリティーとなる人たちなどを排除しようとする傾向が高まってきます。いや、実際に、もうすでにわが国は、そんな動きが始まっているのかもしれません。そして、その排除の先にあるのが刑務所で、そこに、受刑者1人あたり年間300万円以上という多額な税金が使われているんです。果たしてそういう国でいいのかどうか。凶悪犯を閉じ込めて罪を受けさせる所であるはずの刑務所、実はその大部分が、本来なら福祉的支援を受けるべき人たちで溢れている。その意味では、今や日本の刑務所は福祉の代替施設と化してしまっている、といっても過言ではないと思います。

法務省の「矯正統計年報」によれば、2005年新たに刑務所に服役した受刑者は3万2000人。そのうち知的障害者と認定される知能指数70以下の人たちは、約7400人で23%。測定不能の人も加えると、およそ3割が知的障害者であるかもしれない人々だ。しかも、知的障害者と認定される受刑者の7割以上が再入所していて、10回以上服役している人が約2割を占める。ただし、彼らがその障害特性によって罪を犯しやすいというような医学的因果関係はまったくない。
「これまでの人生で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ」。山本さんが強いショックを受けたという、ある受刑者の言葉である。

実際に福祉の現場に身を投じてみると、多くの障害者にとって日本という国がいかに生きづらいかが見えてきます。
日本の福祉は、障害者や高齢者に対して、車椅子を押し、食事や入浴の介助をし、おしめを替えるというような、いわば「美しい福祉」しかやってこなかった、という側面があります。しかし、自分で食事もでき、お風呂にも入ることができる、だが、生まれながらに人や社会との折り合いをつけるのが苦手だというような障害を抱えている人もたくさんいるんです。これが、軽度の知的障害者と呼ばれる人たちです。
ところが、そういう人たちのニーズにあった福祉的支援は、ほとんど用意されていません。医学的に言えば、身体障害、精神障害、知的障害及び発達障害など障害をもつ人たちは、国民のおよそ1割。その中でも軽度の知的障害者が圧倒的に多い。そんな彼ら・彼女らは、今、推し進められようとしている福祉政策のもと、「自立、自立」とどんどん催促され、一人で生きていくことを余儀なくされ、結局のところ孤立し、挙げ句、排除されてしまっているんです。その排除の先が刑務所だと考えると、私が目の当たりにした刑務所の現状、これは刑務所の問題ではなく、福祉、そして社会全体の問題だということになります。