薬物を乱用し、薬物依存症まで陥る若者が増え続けている。中でもシンナーは手に入れやすいことから、10代の中学生や高校生にもっとも乱用されている薬物だ。かつてシンナーに溺れ、18歳の秋、一夜にして視力を失った牟田征二さん(35歳)は、薬物の恐さをひとりでも多くの若者に知ってほしいと講演活動を続けている。
ビニール袋に入れて吸引する様がアンパンを食べる姿に似ていることから「アンパン」、あるいは「ガキのくすり」と呼ばれるシンナー。アルコールと同じ酩酊作用があって多幸感や陶酔感をもたらし、現実逃避の手段として青少年が乱用する場合が多い。乱用を続けると幻覚、幻聴が始まり、無気力になっていく。さらに、シンナーが切れるとイライラして攻撃的になる。また、有機溶剤であるシンナーは油を溶かす性質があり、体内の細胞に含まれる脂肪分を溶かすため、脳や神経系の細胞を死なせ、歯を溶かして骨までむしばんでいく。 |
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仲間に勧められ初めてシンナーを吸ったのは14歳の冬。「どんなに気持ちいいんだろう」という単なる好奇心からだった。両親にも、学校の教師にもよく怒られ、生活が乱れていた時期。もちろん害があることなど知らなかった。 「とにかく1回目のシンナーが気持ちよかった。身体がしびれてきて、酒に酔った時よりも気分がよくて、かなりの快感を味わいました」。そして、「部屋が動き出したり、壁に絵や文字が浮かんだりと幻覚も起きました」と当時を振り返る牟田さん。2~3日後にはシンナーを積極的に求めるようになり、完全に快感と幻覚の世界にのめり込んでしまった。 シンナーそのものは手に入りにくかったというが、ニスやボンド、薄め液などで充分だった。周りの友人はどんどん離れていき、残ったのはシンナー仲間だけ。犯罪とは知っていても、罪悪感もなく、さらに多量に、頻繁に吸うようになった。仲間のたまり場に抜き打ちでやって来る生徒指導の教師にも、学校に呼び出された親にも、どれほど厳しく叱られたことか。それでも生活を改める気にはならなかったという。
あまりの非行ぶりに手を焼いた両親は、中2の終わりに施設に入れるが、3週間ほどで出てきた牟田さんは地元中学に復帰し、またシンナーに走るという無鉄砲ぶり。シンナーを手に入れるためだけに数え切れないほどの非行をくり返した。学校の教師にも見放され、中3の1学期には再び施設へ。その後、別の施設に送られたが、それでも立ち直れず、高校受験も失敗した。 「頭にあるのは仲間とシンナーを吸おう、タバコを吸おう、何か悪さをしようということだけでした」 大人たちの説教も言葉も何も耳には入らない。たまり場には学校やクラスに馴染めず、仕事もしない同じ境遇の似たもの同士が集まっていた。見た目は恐そうな連中でも居心地がよくて、バイクを乗り回し、シンナーを吸っては非行をくり返した。高校の代わりに受け入れてもらった職業訓練校でも、訓練生とケンカして2週間で退学処分。16歳には事件を起こして、17歳まで施設に入っていた。退所後しばらく仕事をしていたが、また仲間と再会し、シンナーに手を出してしまった。このころから体調はどんどん悪くなっていった。
18歳の秋だ。目覚めたら何も見えない。目の前が真っ暗で、パニックになった。前日、いつものように自宅でシンナーを吸っていて、死の恐怖を感じるほどの吐き気と息苦しさ、脱力感におそわれ、病院に連れて行かれた記憶が蘇った。「シンナーのせいだ・・・」。 後日、精密検査を受けた大学病院で、「視神経が死んでしまって、2度と視力は回復しません」との宣告。前日まで1,5あった視力が一夜にしてゼロとなった。前ぶれなど一切なく、いきなりの失明である。ことの重大さに初めて気づいたという牟田さんは絶望と後悔につつまれ、家の中で暴れることしかできなかった。 「それからの3年間は絶望の状態。もう何の役にも立たなくて存在価値もなく、邪魔になるだけでは生きていけないと思っていました」
光を失った翌春、自宅から近い佐賀市の盲学校普通科へ強制的に入れられた。普通なら大学1年になる年齢。両親からはもちろん慰めの言葉などなかった。失明のショックから立ち直れない牟田さんは、そのムシャクシャを晴らすためにまたシンナーを吸い始める。 「失明までして、これ以上はひどくならないだろうと。その一方で、肝臓が悪くなったのか気分が悪くなり、シンナーはもう合わないと感じるようになりました」 数カ月後、今度はシンナーを大量に吸ったことで、失明時と同じような吐き気におそわれた。目以外に障害が増える予感がしたそうだ。 「目だけでもきつかったのに、次は神経か耳かにくるかもと考えるだけでゾッとした。体調もすごく悪くなり、2つも障害をかかえることはできない」と、この時点で心底恐ろしくなり、ようやくシンナーを断つ決心がついた。
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