女人禁制システムを人権意識を持って見直しを!
2004/02/13
女性は「大峰山」に登ってはいけない。相撲の土俵に上がってはいけない・・など、私たちの周りには、「女人禁制」といわれる領域が存在します。それに対して、「男女差別だ」という批判の意見がある一方で、「宗教的な理由」だとか「日本の伝統文化だ」と言う人もいます。あなたはどう考えますか? 「女性は穢れている」が「宗教上の理由」?----「女人禁制」すなわち、男性には禁じられていないのに女性には禁じられていることに、今、どのような領域があるのでしょうか? 「女人禁制」の領域は、もともと宗教の世界から生まれたといえます。多くの人がまず思い浮かべるのが、奈良県の「大峰山」のことでしょう。「大峰山」は古くから修験道の聖地として女性の入山を禁じ、現在もその登山口には「是従女人結界(これより にょにん けっかい)」という石碑が建てられ、女性の入山を拒んでいます。高野山や比叡山などもかつては同様であったほか、現在、「大峰山」以外にも後山(岡山県・兵庫県)、宇賀山(大分県)でも、山開きなど特定の日に、女性の入山を禁じています。 ----男女平等をうたった日本国憲法が制定されて50年以上経つというのになぜ? と、思うのですが。
女人禁制は、法律的な規制ではなく、「宗教的な理由」であるといわれています。修行のさまたげになるとか、女性は穢(けが)れているという浄穢思想によるものです。「大峰山」に関しても、これまでも「民主的な制度ではない」と市民らが開放をもとめる声を上げ、幾度も論争されてきました。しかし、宗教的な理由、それをもって「日本の伝統文化なのだから、目くじらを立てることではない」という意見も聞かれてきました。また、「自分には関係ない。どちらでもいい」という、無関心な声も聞きます。 ----修行のさまたげになる? 浄穢思想? 「宗教上の理由」とはどういうことなのですか。 そもそも、男性が女性よりも優位にあるという考え方に立脚します。端的にいうと、男性の僧侶が修行するときに、近くに女性の存在があると「さまたげ」になる。女性には生理があり、また出産のときに出血するから穢れている存在である。そういった概念に基づき、「その掟を破ると、“山の神様”が怒り、良くないことが起きる」などと。
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