女人禁制システムを人権意識を持って見直しを!
2004/02/13
「女性はセックスの対象」という考え----「宗教上の理由」で、山が女人禁制領域となったのは、いつごろからですか。
日本の仏教が女性を明確に排除し始めたのは平安末期の、いわゆる平安仏教の確立の時期。空海の開いた高野山、最澄の開いた比叡山がそれぞれ「結界」を定め、女性をその対象としたときからでしょう。 ----明治政府は、女人禁制を解いたのでは・・・? 1872年(明治5)、明治政府が「神社仏閣ノ地ニテ女人結界ノ場所有之候処、自今廃止候条登山参詣等可為勝手ノ事」という太政官布告を出しました。これは、1876年(明治9)、東京で開催される初めての内国勧業博覧会に先立ち、来日する外国人たちが京都を訪れるであろうことを意識して布告されました。外国人の多くは夫婦同伴ですから社寺仏閣への見学の妨げになることを恐れたのです。近代国家としてのメンツでしょうか。 合理性があるとの錯誤が生み出す男尊女卑意識----そういった経緯を知ると、今なお女人禁制が残っているのは、妙ですね。女性は出産したり生理で血を流すから「穢れている」などという考え方はあり得ないし、女性が男性よりも「劣っている」と、本気で思っている人などいないでしょうに。 「穢れ」の意味やその成り立ちを知ることなく、女人禁制を「伝統文化」「習慣」ととらえることには、問題を指摘せざるを得ません。「伝統文化」は、普遍的な原理であるとはいえないのに、長い歳月を経過することにより、あたかも正当な文化であるといった主張が生まれたり、合理性があるかのような錯誤をもたらしてきたのです。 「宗教的な理由」「伝統文化」は、(1)なくしていいもの、(2)新しく変えていった方がいいもの、(3)残していく方がいいものの3つのパターンを想定できると思います。「大峰山」などの「女人禁制」は、明らかに(1)だといえます。 女人禁制のシステムにより、「女性は男性よりも劣ったものである」「穢れたものである」という思想が社会意識化され、機能させてきたことは、「女(男)だから」という性別役割分業意識にも影響を及ぼし、現在、問題となっているドメスティック・バイオレンスやセクシュアル・ハラスメントなどの精神的基盤を形成してきたことも考えなくてはならないことです。 (2004年2月取材)
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