顔の見える関係づくり
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浦河町のメインストリートに堂々登場の「ぶらぶらざ」。「べてる」の主力商品・昆布をはじめ、さまざまな商品を販売。地域の人たちとの交流の場でもある。 |
地域の事業主たちと交流し、今や年商1億円を売り上げ、年間千人を超える人々が見学に訪れる「べてるの家」。地域との摩擦や就労の難しさに悩む人々から“成功の秘訣”を聞かれることも多い。しかし、特別なことをしたわけではないと向谷地さんは言う。「むしろこんなに地域に迷惑をかけたところは他にないんじゃないかと思いますよ。火事を出したりケンカで大騒ぎしたりと、大変なことがたくさんありましたから。それなのになぜ地域の人たちが反対運動も起こさずにいてくれたのかというと、“顔が見える”からじゃないでしょうか」。騒ぎを起こせば、当然、近所から苦情が出る。「責任者、出てこい」という話になる。ところが「べてるの家」には責任者がいない。そこで火事やケンカの当事者はもちろん、他のメンバーも連なって近所や警察、消防署へお詫び行脚に出かけることとなる。だから地域の人たちは、「べてるの家」にどんな人たちがいるのかをよく知っている。「すると、“誰々さんがまた酒を飲んでるわ”という感じで、それはもう許せるんですよ。調子がいい時には隣近所の人たちと立ち話したり、一緒に自治会の集まりに出たりして。一人ひとりがちゃんと顔を見せて人間同士のつきあいをしていれば、周りを困らせたり失敗しても、不思議と受け入れられる。そして事を起こした時の後始末にもやっぱり当事者の顔があるという、そういう“顔”の問題だと思うんですね。それを我々のような立場(医療者やソーシャルワーカーなど専門職)の人が代わりにカバーしたり何かとしゃしゃり出たりすると、「ちゃんと管理しろ」「責任とれ」という話になってしまう」(向谷地さん)。 ちなみに、「べてるの家」には規則や決まりもない。作っても守られたためしがないからだ。守らせようとすると、守らせようとした人自身が「絶対、病気になる」とすら言われている。
右肩上がりをよしとする価値観を見直す
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「べてるの家の『非』援助論」浦河べてるの家・著(医学書院・2000円+税) ※本をクリックするとamazonの購入ページへリンクします |
また、「べてるの家」は、町や地域を褒めることを忘れなかった。「これは大事なことです。私たちは偏見や差別にあったとしても声高に糾弾するのではなく、逆にグッと自分たちを抑えながら、“この町はいい町だよ。住んでる人たちはぼくたちが何度失敗しても辛抱してくれている”と褒めてきたんです。悪口を言わないことを大事にしてきた。これは作戦としてね」。さらに、地域の人たちに対して自分たちの理念を伝えることが大事だという。「それも精神障害者の云々ということを超えて、住民としてどういう地域をつくっていきたいのかという理念を伝えるんです。いわゆる精神障害に引き寄せた議論は、町の人たちにとっては“自分の問題”にならない。でも“いい町にしたい”という理念に対する反対は絶対に起きないですよ。だからぼくたちがひたすら言ってきたのは、“日高昆布を売りたい、寝たきりの人たちのために紙おむつの宅配をやりたい、この町をもっとよくするために一生懸命やりたい”ということなんです」。 浦河町の人々が特別に理解があったわけでも、「べてるの家」の人々が特別にすばらしかったわけでもない。ごく「普通」の人たちが、数多のトラブルを経験するなかでお互いを知り、許しあい、自分たちのやり方をつくり出してきたのである。そして今日もまた、「べてるの家」では誰かが発作を起こし、誰かと誰かがケンカをしている。そしてそれを見た人は言う。「今日も順調!」と。 私たちは、国も人も右肩上がりがよしとされる社会に生きている。しかし、誰もが右肩上がりを目指す(あるいは強制される)ことのおかしさにそろそろ気付いてもいいのではないだろうか。「べてるの家」の試みは精神障害に対するコペルニクス的転回のみならず、すべての人に通じる「楽しく、自分らしく生きるヒント」が満ち満ちている。
●浦河べてるの家
URL:http://urakawa-bethel.or.jp/
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