昆布も売ります、病気も売ります
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「降りていく生き方」横川和夫・著(太郎次郎社・2000円+税) ※本をクリックするとamazonの購入ページへリンクします |
「病気だから」「障害があるから」と、“健常者”たちは病者・障害者を「保護しなくてはいけない」と考えがちだ。薬で症状を消し、仕事を取り上げてお金を与え、立派な施設をつくる。しかし一時的に症状が消えても病気が治ったわけではなく、お金は使ってしまえば何も残らない。一方で、症状やお金の不安がなくなっても、将来の不安や施設での人間関係のトラブルなど、やはり悩みの種は尽きない。 それならば、いっそのこと「悩み(苦労)を取り戻そう」というのが「べてるの家」の考え方だ。「べてるの家」の授産施設は、病気や障害を克服し元気な社会人として社会復帰するための場ではなく、人としてあたりまえの苦労を存分に味わう場なのである。具体的な暮らしの悩みとして問題を現実化し、仲間同士で共有しながら生き抜くほうが、病院や施設や薬に“守られる”よりも実は生きやすい。この考えをもとに、地元特産の昆布の産地直送事業や紙おむつの宅配など、「べてるの家」はさまざまな事業を興してきた。「生きる苦労」を取り戻すために。 「生きる苦労」に直面すれば、きれいごとだけではすまない。「心やさしい人が精神病になる」という美しき誤解があるが、「べてるの家」では世間並みに十分醜い人事抗争も発生する、と向谷地さんは言う。本音やエゴをぶつけ合い、妄想の世界と現実を行き来しながら、自分や相手の病気を受け止め、あるがままを生きる。そのパワーに医療者や見学者も巻き込まれ、「がんばり過ぎている自分」「無理している自分」を振り返らずにはいられない。「べてるに来ると病気になる」と言われる所以だ。 また、「生きる苦労を取り戻す」とは、決して「真面目」「忍耐」「勤勉」などを身につけることではない。失敗を繰り返す自分、そういう自分を許し受け入れてくれる仲間がいることを実感し、自分もまた仲間を許し受け入れる。あるいは自分の失敗は自分で責任を取る。その経験こそが「生きる苦労」であり、目的なのだ。この思いは「べてるの家」のキャッチフレーズ、「弱さを絆に」「三度のメシよりミーティング」「昆布も売ります、病気も売ります」「安心してサボれる会社づくり」「精神病でまちおこし」にも込められている。
ユーモアと温かい眼差しに包まれて
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グランプリを受賞した早坂さん(左)と向谷地さんとのユーモアあふれるやりとりに、会場は爆笑の連続 |
2003年度のG&M大会。グランプリには、台湾旅行中に発作を起こした早坂潔さんが選ばれた。スライドで旅の経過とともに早坂さんの様子がユーモアたっぷりに報告され、向谷地さんや日赤浦河病院の精神科医、川村敏明さんの「一緒に行かなくてよかった」という言葉に会場が爆笑する。流行語大賞には統合失調症ならぬ「逃亡失踪症」が選ばれ、こっそり職場を抜け出すのが抜群にうまい荻野仁さんが元祖逃亡者として認定、表彰された。記念品は「安心して逃亡できる、逃亡用サンダル」だ。また、自分の幻聴に「くどう・くどき」君と名前をつけ、数多い「べてるの家」の幻聴さんのなかでもマスコット的存在として親しまれる幻聴さんを育てた林園子さんには、最優秀新人賞が贈られた。発病し、名古屋から浦河へやって来た林さん。「名古屋で元気でいるより、浦河で病気でいる方が幸せです」とコメントした。賞品は、しつこい幻聴が出た時のための「“くどうくどき”がやって来た、それはきっと暇なのよすごろくゲーム」。メンバーやスタッフ手作りのゲーム盤にはユーモアと温かい気持ちがたっぷりつまっているのがわかる。そしてその気持ちは会場全体に伝わっていく。毎年参加する人の気持ちがよくわかる雰囲気だ。 「べてるの家」の販売部長であり、もっとも有名なメンバーでもある早坂さんだが、G&M大会での受賞は初めて。「無冠の帝王」と呼ばれていた早坂さんの“喜びの声”を紹介しよう。「びっくりした。オレが9年かけてとれなかったGM大賞を(これまでは)新人がとっていった。簡単なようで難しい賞だ。やたら病気が出て入院すればもらえるってもんじゃない。ここに来てからの20年は深いべ。これからもたくさんの若い人、悩んでる人に浦河に来て、べてるに来て、苦労していってほしい」。
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