映画『私のはなし 部落のはなし』 満若勇咲✕角岡伸彦 対談
2022/07/22
角岡 あさって(5月21日)に公開される『私のはなし 部落のはなし』と関係してくるので、最初になぜ僕たち2人が出会ったのかをお話しします。
今から15年前の2007年に、当時大阪芸大の3回生だった満若君から連絡がありました。彼とは20歳以上離れているので、君付けです。屠場・食肉センターを撮りたいということで、いろんなところに取材依頼したんやね?
満若 そうですね。連絡したけど、どこもそれは厳しいと言われたんですが、東京・芝浦の「お肉の情報館」で、大阪に食肉に詳しいフリーライターの方がいるのでご紹介いただいたのが角岡さんでした。
角岡 別に詳しくはないねんけどね。
満若 『ホルモン奉行』(解放出版社、2003年)という本を出されてました。
角岡 ホルモンが、どこでどのようにして食べられているか、という本です。それ以前に『被差別部落の青春』(講談社、1999年)を上梓してまして、この本の中で兵庫県加古川市----僕の故郷なんですが----にある屠場の近くの食肉工場を取材しました。
満若君が会いに来た時に、僕の本を読んでるのかを聞いたら、全然読んでなかった(会場笑い)。
満若 そうでしたっけ。読んでないのは理由がありまして...。当時、牛丼の吉野家でバイトをしてました。牛が肉になる過程に興味があって、部落問題を撮りたいということではありませんでした。で、いろいろ調べていくうちに、屠畜が部落問題と密接にかかわっているということを知ったんです。
角岡 でも、屠場の取材をほうぼうで断られてるから、なんでかなと思わへんかったん?
満若 牛を解体するという行為に対する忌避意識なのかなと思ってたんですね。
角岡 部落と結びついてなかった。
満若 結びついてなかったですね。
角岡 彼から屠場を撮りたいという相談があって、加古川の屠場の理事長をされていた中尾政国さんに連絡したら、撮影ができることになって、約1年後に『にくのひと』というタイトルの映画が完成しました。DVDを送ってくれたので見たら、学生の作品といっては失礼なんですが、非常に質が高かった。高野山の夏季研修(部落解放・人権夏季講座)でも上映されたよね。
満若 『ふらっと』(ニューメディア人権機構のウェブサイト)でも角岡さんが紹介してくれました(『大学生、屠場を撮る』2008年4月4日)。それがきっかけになって高野山で上映されたりとか、あと今はなくなったんですが、アムネスティインターナショナル・フィルムフェスティバルで上映されたりして好評をいただいたんです。
角岡 高野山とか人権問題関連のイベントに呼ばれるのを最初は嫌がってたよね?
満若 おぼえてないですねえ。
角岡 自分は肉がどうできるかを撮っただけで、人権問題に関心がある人に見せたいとは思ってない、というようなことを言ってたよ。
満若 あ、本当ですか。そんなこと言ってましたっけ?
角岡 それは僕もわかるところがある。部落出身で部落問題の本を書いた。本として評価されたいけども、人権問題の枠組みの中でどうのこうのというのは、なんかこう、世界が狭いなという...。
満若 もともと肉になる工程に興味があったので、啓発映画みたいにくくられるのは、監督としては嫌だなあと。映画として見てほしかったという気持ちがあったのかもしれないですね。
角岡 上映が広がって、一般公開されることになったんやね。
満若 大学を卒業した2010年に、東京のミニシアターで公開されることが決まって、その準備を進めていたんですけど、試写状のデザインも刷り上がっているタイミングで、部落解放同盟兵庫県連さんから、この映画に問題があるということで抗議を受けました。
角岡 どんな内容だっけ?
満若 まず、具体的な地名を出している。もうひとつは、映画の中で主人公の青年が、賤称語を交えたジョークを言った。彼本人ではなく、仲間内でこういうふうに言っているということを教えてくれたシーンだったんですけど。それが、部落差別を助長する内容だと。あとは中学生が屠場を見学に来るんですが、(屠畜作業に)顔をしかめるシーンがあったんです。それも屠場への偏見や差別を助長するのではないかという抗議を受けました。
角岡 ドキュメンタリーなので、実際にあったことをそのまま撮るよね。それが僕は非常に興味深かったんですが。部落民同士で会話をする際に、部落問題や部落差別を茶化したり、冗談めかして言ったりすることはある。冗談めかして言った主人公の職人が、部落の人ではなかったのも大きかった。
満若 抗議を受けたから映画公開を封印したわけではなくて、兵庫県連さんと話し合いをしていく中で、撮影した地域の人たちにも僕が解放同盟ともめていることを知ることになって、地元の人から「どういうことやねん」という声が上がりました。
でも大きかったのは、主人公の青年が「もう映画にかかわりたくない」と強くおっしゃられたことですね。出演者が嫌がるものを上映するわけにはいかないので、映画を封印したということです。『にくのひと』を見たいという声はいただいているんですけど、さすがにそういった経緯があるので、上映するわけにはいかないんです。
角岡 大阪芸大では原一男監督のゼミだったんだよね。『ゆきゆきて、神軍』の。
満若 そうです。最近では『水俣曼荼羅』を監督してます。
角岡 『にくのひと』を撮ったあと、就職活動をしてなかったよね。
満若 してなくて、たまたま角岡さんの義理の弟さんが東京でカメラマンをやってるという噂を聞きつけて...。
角岡 え、知ってたん?
満若 いや、角岡さんから聞きましたよ。(会場笑い)
角岡 僕のカミさんの弟が映像カメラマンだった。辻智彦っていうんですけど。『私のはなし 部落のはなし』では撮影を担当してます。晩年の若松孝二監督作品を撮影していて、知る人ぞ知る人物なんですが。
満若 若松監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008年公開)の映画を辻さんが撮ってたということを角岡さんから聞いてました。それで辻さんを紹介していただいて...。
角岡 僕が東京に行ったときに、3人で会ったね。満若君が「弟子にしてください」とお願いした。義理の弟が「君、僕が撮った作品を見たことあるの?」って聞いたら、見てなかった。(会場笑い)
満若 そんなんばっかりですね(笑)。
角岡 それで智彦君に弟子入りして、テレビや映画の撮影助手として仕事を始めたんやね。
満若 そうですね。映画は若松孝二監督の作品にたずさわらせてもらうことが多かったんですが、テレビではずっとやりたいと思ってたドキュメンタリーの撮影を続けてました。
角岡 イギリスのマン島で開かれた電動オートバイのレースに行って、ドキュメンタリーを撮影してたね。あと『世界の車窓から』(テレビ朝日)も撮影してたね。
満若 そうですね。『車窓』では撮影のアシスタントとしてインドに行ったり、あとはNHKのBSのドキュメンタリーの仕事をしたりしてました。海外に行くことが多くて、1年の半分くらいは海外で過ごすという生活を10年ぐらい続けてました。
角岡 オートバイレースもそうだけど、けっこう機械が好きで、『にくのひと』でも、作業に使う道具や機械類をけっこう映してた。本当に機械が好きやね。
満若 はい。それもあって、カメラマンという職種を選んだんです。
角岡 去年、奈良県の御所市にある大正中学校のドキュメンタリーも撮ってたね。
満若 障害を持ってる生徒や、どんな事情がある生徒もクラスで過ごすということをやってる学校なんですが、東京ではそういう学校はすごく珍しい。私の妻がテレビのディレクターで、僕が撮影を担当して大正中を取材しました(『54色のいろ鉛筆 奈良 大正中学校の挑戦』NHK・ETV、2021年放映)。
角岡 義理の弟のところは、何年いたんだっけ?
満若 10年以上ですね。
角岡 あさってから公開される『私のはなし 部落のはなし』ですが、どういう経緯で作ったのかを聞かせてもらえますか。『にくのひと』が上映できなくなって、部落問題は鬱陶しいと思ったこともあったんやね?
満若 そうですね。『にくのひと』は二十歳のときに作った作品で、初めてのドキュメンタリーなんです。監督としては非常に思い入れのある作品で、当時お世話になった人に今でも感謝してます。単に上映できなくなっただけでなく、封印しなければならなかったのは、監督としては非常に忸怩たる思いはありました。
角岡 多くの人に見てもらう機会が失われたわけやからね。
満若 当時の僕は、なぜこのような抗議をされなければならないんだという疑問を持っていました。映画が公開されて「何か問題が起こって、お前は責任を取れるのか?」と問われても答えが出ないし、モヤモヤするだけでした。「責任取れます」とは言えないじゃないですか。それにどう答えたらいいかわからなかった。抗議を受けた当事者が、映画でも何でも作ればいいじゃないか、という気持ちになったのは正直なところあります。
角岡 それがなぜ、もう一回作ろうかなと?
満若 理由はひとつではなくて...。ひとつは、角岡さんの存在がけっこう大きくて。角岡さんが毎年、年賀状で「次は何を作るの?」って書かれてたんですよ。
角岡 他に書くことないからね。(会場笑い)
満若 毎年正月にはプレッシャーがありました。
角岡 それ、初めて知った(笑)。
満若 年賀状をもらうたびに、これは監督やらなあかんなあと思ってました。角岡さんにはカメラマンではなくて、監督として認めてもらってるという感覚があったんで、これは期待に応えねばという気持ちもありました。
もうひとつは『にくのひと』の取材でたいへんお世話になった中尾さんが、5年前にお亡くなりになった。映画を封印したあとも、中尾さんは「満若君が監督として次に進んでいくのが一番の恩返しなんやから、今後もめげずに頑張りや」とずっと言ってくれていました。その中尾さんが亡くなってしまった。これは次を作れ、ということなんかなと。
満若 中尾さんがカメラマンになる道を開いてくれたと言ってたもんね。
満若 大学を卒業したあと、10年は下積みしようと思っていました。30歳になったら、自分の今後のキャリアをどうするかを考えようと。ちょうどそのタイミングで中尾さんが亡くなった。カメラマンの仕事は楽しいんだけど、監督として映画を作りたいという思いも芽生えていました。そんないろんな事情が、ちょうど2016年に全部固まってたんです。
角岡 2016年と言えば、部落差別解消推進法が施行された年やね。
満若 それもできたし、全国部落調査復刻事件も起きた(被差別部落の地名や住所などを掲載した戦前の図書を復刻する動きに対して、部落解放同盟や当事者が出版差し止め請求した)。いろんなことが2016年にまとめて起きたんですよ。
自分としても、過去を封印した監督ということだけでとどまってしうまうのは、やっぱりよくないだろうと。次に映画を作るのであれば、もう一回、部落問題と向き合うべきではないかと考えました。
角岡 なるほど。
満若 いま振り返ると、当時の自分の部落問題に関する認識は、非常に甘かったなという反省もありました。それは、差別をされるかもしれない不安に対して、想像力が足りていなかった。抗議を受けた時、当然ですが相手は映画の内容に関して、かなり怒ってたんですね。ドキュメンタリーを作っている人間であれば、その背景にきちんと向き合うべきだった。それを大学卒業後に、仕事をしていく中で学んだんです。
そういった反省もあり、当時の自分はダメだった。やるならば新しいものを作って、もう一回向き合うべきだと思って、今回の映画の制作を始めました。
角岡 10年は撮影技術を学びたいという話は、以前に満若君から聞きました。「もう充分に技術は持ってると思うよ。自分がまだまだ未熟だと思うことは大事やけど、そんなことを言ってたら、いつまでたっても新しい作品はできひん。そろそろ始めたら...」というようなことを満若君に言った記憶があります。そろそろ、予告編を見てもらいましょうか。
満若 見ていただく前に、今回の映画をざっくり説明しますと、京都、大阪、三重県の三つの被差別部落を中心に、出身者の方たちや関係者の方にいろんな話をしていただくというドキュメンタリー作品です。
角岡 映画を作る際に、そもそもどういう構想だったん? どんな映画にしようと思ってたの?
満若 2016年に全国部落調査復刻事件が起きて、まずはその取材を始めました。ただ、法廷内は撮影できません。報告集会だけ撮っても、これだけでは映画はけっこう厳しいんじゃないかと考えました。
角岡 それはそうやね。
満若 じゃあどうすれば映画として成立するのか。部落問題を描くにあたって、いくつか方法論はあると思うんですね。たとえばひとつの地域に住み込んでそこを描くとか、誰か主人公を立てて、その人を通して部落問題を描いていくとか。15年前の自分の部落問題に対する認識が甘かったので、一から勉強し直して、部落史の本を読んだり、いろんな方の研究を読んだりしました。
いろいろ考えた末に、ひとつの地域だったり、誰かひとりに部落問題を背負わせられないのではなかと。ひとつの地域を描いても、そこから少しは部落問題は見えるんだけど、1ヶ所だけではダメだろうと。やっぱり複数の地域、かつ出てくる人も複数、いろんな登場人物が出て初めて部落問題が描けるのではないか----というのが、初期段階の構想でした。
角岡 けっきょく場所で言うと、大阪府箕面市、三重県伊賀市、京都市の3カ所の部落を撮影してたね。他にも候補があって、最終的に3つに絞ったってこと?
満若 長野でも取材しようと思ったんですけど、顔を出しての取材のハードルが高くて、断念したんですよ。30代前半ぐらいの結婚差別に遭ったカップルがおられて、差別した側の話も聞けるような取材ができないかなあと。お会いして話を詰めてたんですけど、やっぱり顔出しは難しいということで、けっきょく断念しました。
角岡 ドキュメンタリー作品は、顔や名前、地名を出すのは重要やからね。
満若 全国部落調査復刻裁判の取材を進めるなかで、たまたま大阪でイベントがあって、三重県に住んでおられる松村元樹さん(反差別・人権研究所みえ常務理事)に会ったんですよ。彼が非常に魅力的な方だったので...。
角岡 どういった魅力?
満若 なんでしょうねえ...。とにかく実直な方だなあと。『にくのひと』の一件を知った上で、部落問題をテーマにした映画づくりの話をしたら、きちんと聞いてくれました。
角岡 『にくのひと』の監督と聞いて、距離を持つ人もいるからね。
満若 あと、ネットの差別書き込みのモニタリングをずっとされていて、それは現代的なテーマなので取材できればいいなあと。コンタクトを取って話をしていくうちに、松村さんの地元を取材することになっていったんです。コーディネーターという形で入っていただいて、取材のアテンドをお願いしました。
角岡 映画は3地区の部落に行ってインタビューしたり、部落の人同士、あるいは関係者同士が話をしたりしてるのを映し出してる。中世から現代に至るまでの部落がどういうふうに形成されたのかも見せています。
満若 静岡大学の黒川みどり教授に、近代に入ってからの部落の呼称がどう変化したかを振り返っていただいています。実は当初、歴史を入れる予定はありませんでした。どうしてもお勉強ぽくなっちゃって、映画としての面白みがなくなるんじゃないかと考えたんです。
ではなぜ歴史のパートを入れたかというと、部落問題について何も知らない人、よくわからない人にも見てもらいたいと思ったからなんです。それで黒川さんにお願いして、歴史を語っていただきました。
角岡 撮影していくうちに、歴史も必要やなあと思ってインタビューをしたということ?
満若 そうですね。当初は当事者の語りだけで部落問題を描いていきたいなあと考えていましたので。
今回の映画は、トークセッションみたいなシーンがよく出てきます。僕はあまり会話に参加せずに、当事者の人たちに集まっていただいて、好きなことを話してもらう。そういう方法を取ったのは、僕がインタビューをしてしまうと、僕と取材対象者との関係性からしか出てこない話ばかりになるからなんです。
それはそれで"あり"なんですが、今回やりたかったのは、自分たちの気心の知れた人、たとえば友達や家族との関係性の中から出てくる話を撮りたかった。なので当事者が対話するシーンが多くなりました。
角岡 これは予告篇にも出てくるんやけど、映画の最初で、若者3人が語ってるシーンがあるよね。「撮影スタートします。じゃあ自由にしゃべってください」と言っても、盛り上がることもあるやろうけど、うまいこといかないこともあったんちゃう?
満若 二十歳前後の3人に関しては、ひとりが部落出身者で、残りの2人は出身ではないけど、ひとりは部落に住んだことがある。彼らは小学生からの親友なんですよ。部落問題について、しゃべったことは一度もないって言ってました。「せっかくだから映画という場を使って、なんかしゃべってみたらどう?」みたいな感じで声をかけました。
角岡 へえ、部落をテーマにしゃべったことなかったの。そうは見えへんかったけど。
満若 テーマ設定はしたんですけど、基本的には彼らに全部お任せしたんですよ。自分が住む地区が部落だと知った瞬間とか、その子が住んでるところが部落ということをいつ知ったのかとか話してもらいました。3時間ぐらい撮影したんですけど、ほぼ介入せずに、彼らだけで話しているのを撮れたんですよね。
角岡 若者のほかにも年配の人たちが、グループでしゃべってるシーンもあったね。
満若 そうですね。撮ってて思ったのは、部落差別の話題って、けっこう盛り上がるんですよ。いろんな話が飛び交うなかでトピックになったりする。京都に住んでるおばあちゃんが友達と酒盛りをするシーンを撮ったんですよ。初めは共通の話題の氷川きよしについて話をしてたんですけど、だんだん酒がまわってくると部落の話になってくるんですよね。
角岡 それは、部落問題をテーマに映画を作ってる満若君がいるから、というのではなくて?
満若 僕が話を振るわけでもなく、だんだんと部落問題の話になって、それが内容的にも密度が濃かった。たとえば朝田理論についてとか(戦前戦後の京都の活動家・朝田善之助による部落差別に関するテーゼ。差別の本質・社会的存在意義、社会意識としての差別観念をいう)、あとは部落地名総鑑の話だったりとか(部落の地名・住所などの情報が掲載された書籍が売買されていたことが1975年に発覚した)。運動をされていた方ということもあるんですけど、その話が一番盛り上がっていました。
角岡 たとえば3人がいたら、話をまわすために司会役が必要やん。人選はどうしてたの?
満若 僕が会ってみて、いいなあと思う人に声をかけて、その人にお願いしました。司会進行役をしてくれそうな人に一任して、事前に打ち合わせはするんですけど、基本的には話したいことを話してもらう。横で聞いてて、もうちっと突っ込んで聞いたほうがいいんじゃないかなというスケベ心が出る瞬間はあったんですけど、ぐっと堪えて、彼らの自然な会話の中で出てくる言葉を撮影していきました。
角岡 カメラを意識していない自然さがあったね。それは満若君との関係性、グループ内の関係性があったからこそなのかな。
満若 そうですね。複数人のトークを撮ろうと思うと、だいたいカメラを何台か置いて撮影することが多いんです。今回は1台だけで、カメラの存在感を消して、その場の雰囲気を大事にしながら撮りました。話しやすい雰囲気づくりは心がけました。
角岡 それが演出や撮影の技術なんやな。自由にしゃべってくださいと言っても、そんなうまいこといかないと思うんだけど、そこはうまいこと撮れてるなあと思った。
さっき言うてた氷川きよし好きの京都のおばあさんなんか、生活に密着して撮影してる。洗濯物を干すときに、氷川きよしの顔写真入りのハンガーが見えるように映っていたりとか、酒盛りのシーンとか、要らんと言やあ要らんような気がするんやけど...。
満若 いや、必要だと思って...。(会場笑い)
角岡 カットするとなったら真っ先にカットされてしまいかねないやん。でも、あそこが面白かった。
満若 ドキュメンタリー作品として面白いものを見せるということを考えると、あそこは必要になってくるかと思いますね。
角岡 映画のパンフレットにも書いたけど、あのおばあさんが改良住宅を出ていく朝に、迎えに来る人を待っているうちに寝てしまって、いびきをかいてるシーンがすごくいいよね。あれは絶対に残そうと思った?
満若 なかなか撮れるシーンではないですから。現場でも、あれはよく撮れたなあと思いました。部落問題をテーマにしつつ、語弊があるんですけど啓発映画ではなくて、まず映画として面白いものを作る。それが面白ければ、結果的には啓発映画にもなるのではないかなあと思っています。
角岡 上映時間は3時間半もあるけど、全部で何時間くらい撮影したの?
満若 そんなに撮ってないですね。50時間くらいです。
角岡 『にくのひと』と同じくらいの撮影時間やね。『にくのひと』は1時間の作品やから、それだけ撮影技術が上がったということかな。
満若 あとはお金の問題もあります。
角岡 なんぼかかったん?
満若 はい?
角岡 なんぼかかったん?(会場笑い)総予算はいくらぐらい?
満若 配給と宣伝は別ですけど、制作費は700万ぐらいですね。僕とプロデューサーの大島さんで半分半分です。
角岡 取材費は全部でると思ってたけど、折半なんやね。
満若 コンパクトにやれば、もっと安くできたとは思うんですよ。どんな映画になるかもまったくわからないまま、悩みながら撮影していたので、どんどん撮影日数もかさみ、交通費・旅費・人件費がいつの間にか膨大になって、自腹を切らざるを得なくなったという状況ですね。
角岡 最初から折半は決まってたんや?
満若 折半して、足りない分を出すという話です。
角岡 お客さんが入って、初めてかかった費用が回収できるということ?
満若 お客さんが入らないと回収できないですね。(会場笑い)カメラマンって遠洋漁業みたいな職業なんですよ。ロケに1カ月間行って帰ってきて、貯まったカネを制作につぎこむ。そんなことを、映画の撮影期間の2年半、ずうっとやってました。
角岡 最初の計画では、どれくらいの期間で撮影をしようと思ってたの?
満若 ちょうど子どもが生まれるタイミングだったんで、1年で終わらせようと思ってたんです。子育てがあるので、さすがに映画づくりはできんやろうと思ってたんですけど、生まれてからも1年半ぐらい撮影してました。コロナウイルスの流行で撮影が長引いたというのもあるんですが、僕の中でどう映画としてまとめるか、アイデアが固まらなかったっていうこともありますね。
角岡 撮りながら構成を考えてたっていうこと?
満若 構成は考えてなかったです。何を撮れば映画になるかっていうことしか考えてなかったです。構成は編集のときに考えてました。
角岡 へえー、そうか。まあそれは僕らライターもそうなんやけどね。取材してから構成を考えるから。
満若 ただ、差別している人を取材したいというのはずっとあったんで、その人がなかなか見つからなかった。それが見つかったので、撮影を終えることができました。
角岡 ああ、60代の女性のことね。親から部落出身者との結婚を固く禁じられて育って、それをわが子にも厳守させると語ってた。あのシーンは、最後のほうに撮ったんやね。
満若 去年の2月とか3月くらいに撮影しました。部落差別を残してきた側の意識を出さないことには、部落問題を描いたことにはならないだろうという思いがありました。差別する側が顔を出せないというのも興味深いなあと思いました。
角岡 全国部落調査復刻裁判の被告で、部落の動画を撮影している男は、顔を出してたね。映画を見た人の中には「う〜ん」という反応もあるだろうけど、取材してどうでした?
満若 なぜ彼を取材したかというと、『にくのひと』で抗議を受けた時、自分が当事者性がないということを自覚しました。その立場でどう部落問題と向き合うか、関係性を結んでいくかということは、今回の映画でかなり意識しました。
全国部落調査復刻の裁判で訴えられた内容は、かつて自分が抗議されたことと重なる部分があったんですよね。地名を出しているというところで。そういった関心もあって、彼を取材したんです。
角岡 なるほど。
満若 彼と一緒に動画の撮影についていったりとか、インタビューをしたりして実感したのは、彼だけが特別ではないのではないか、ということです。
業界の人や別の取材をしている人に「いま何を撮ってるんですか?」と聞かれて「部落問題の映画を撮ってます」と答えると、「あ、部落か...。部落って、血が濃いよな」みたいなことを平気で言うんですよね。同和利権的なことも、すごくよく聞くし。
そういった意味でも、(全国部落調査復刻)裁判の被告の行動や発言の母体となっている意識は、多くの日本人がかかえてるものと共通するのではないかと。そっちの意識も描きたかった。
角岡 そうだったんだ。
満若 もうひとつは、この映画は、特に部落にルーツを持たない、当事者じゃない人に見てもらいたいんです。自分が当事者性を持たないなかでは、どうしても自分事にはなりにくい。差別されるかもしれない不安の度合みたいなのって想像はできるけど、体験はできないし、100%理解することは難しいんですよね。
でも逆に、差別する側の意識だったり、見方だったり、偏見というのは、そこに自分が足を踏み入れる可能性があると思うんですよね。部落出身者とは結婚しない、させないと言うおばちゃんの差別意識だったり、ネットで地名をさらしたり動画を流したりするのを自分事としてとらえてほしい。その思いがあって、差別する側の人たちを敢て取り上げています。
角岡 それは重要な視点だと思う。でも、繰り返すけど、裁判の被告が出てることに、ハレーションがありそうだね。
満若 そうですね。
角岡 僕は距離を置いて撮ってるなあというふうに思いました。被告に賛同して撮ってるわけではないからね。
満若 彼らも部落問題を構成しているひとつのパーツとして落とし込んでいます。これがたとえば1時間半の映画だったら、そこだけすごく目立ってくると思うんですけど、3時間半という長さがあるからこそ、差別する側も描けたのかなあと思ってます。
角岡 その配分が、ちょうどいい感じやと思ったけどね。
満若 やっぱり上映時間が1時間半だと、差別する側の意識は、描けなかったと思います。逆にそこだけ目立ってしまうし、きちっと伝わらないのではないかと。
角岡 休憩をはさんでだけど、3時間半の長さをどう見続けさせるか、どう工夫したの? たとえばグループでしゃべってる内容をワンシーンで流すんではなくて、分割してるけど。
満若 シーンは分割してはいるんですけど、流れは意識して作っていて、その主題は何なのかを分析しながら作ってます。たとえばアイデンティティの話なのか、地域の話なのか、恋愛の話なのか。それらと歴史を学ぶパートを結び付けて構成してます。そうすることによって、よくわかんないんだけど3時間半見れる、そういう時間軸の映画にしました。
角岡 長いとは思わなかったけどね。それも技術かなあと。腹をくくって撮ってるけど、見る側が試されてるなあとも思いました。裁判の被告が出てきたからけしからんというような単純な話ではないなあと。
満若 これまで試写会を何回かやってきたんですけど、見たあと自分と部落問題のかかわりを話したくなる映画だという評価をけっこういただいてます。それが一番いい見方といいますか。自分自身はどうなんだろう、そういった振り返りをしていただけると、作り手としては嬉しいですね。
角岡 いよいよ、あさってから公開ですね。
満若 1万人に見ていただくことを目標にしてるんですけど、なにせ3時間半というハードルなので...。
角岡 それは映画として面白かったら、全然問題ないと思うよ。ぜひ映画館に足を運んでください。ありがとうございました。
満若 ありがとうございました。
<会場からの質問>
----ドキュメンタリーとして面白い作品を作りたいという話があったんですけど、満若監督の考える面白さってどういうことでしょうか?
満若 人によって面白さはかなり違うとは思うんですけど、僕が面白いと思うのは、解釈の幅があるというのが、ひとつかなと。いろんな見方ができる。あとは出てくる人たちの存在を身近に感じれるかどうかもポイントなのかな。しゃべってる内容とかメッセージ性とかよりも、出ている人の存在を肌で感じられる瞬間というのがドキュメンタリーにはあって、それが面白い作品なのかなあと思います。
それをかなり意識的にこの映画には盛り込んでいます。『にくのひと』でうまくいかなかった反省があるので、過去の自分に見せたい映画を作りたかった。僕が昔に想像できていなかった、今を生きている人たちがかかえている不安を感じれるものにしたいなと思ってました。それは一定程度、達成できたのかなあと思っています。
角岡 あと、眠たくならないということですね。次どうなるんやろか、展開が気になって寝る暇もない作品。この映画がそうでした。
----この次また、部落問題の映画を作る考えはあるんですか?
満若 あります。今回の映画に踏み出すまでは、部落問題は面倒くさいなあと思ってたんです、正直言うと。面倒くさいというのは、抗議があるからというよりも、ちゃんと学ばなければいけないなあという、勉強することへのためらいがありました。生半可な勉強をしても通用しないだろうということもあった。勉強が得意ではないので、そういった意味での覚悟は必要だなあと。
この映画を作るにあたって勉強していると、部落問題から見る日本というのは、テーマとして面白いなあと思いました。ようやく部落問題というものに、一歩は近づけたかなと思っています。これを作ることが出来たので、次はたとえば個別具体的な地域とか人だとか展開できるなという感覚はあります。具体的に何を撮りたいかというのは考えてないんですけど、部落問題をひとつのテーマとして継続していければなあと考えています。
<公開後のはなし>
映画『私のはなし 部落のはなし』は、上映時間が「3時間半というハードル」(満若監督)があるにもかかわらず、公開1カ月半で監督が目標にしていた観客動員1万人を突破した。組織的なバックもない長尺のドキュメンタリー作品としては、異例であろう。来年の年賀状にも「次、何つくる?」としたためたい。<文責 角岡>
日本の<差別>を丸ごと見つめて学びほぐす
いまだかつてないドキュメンタリー映画
監督 満若勇咲
プロデューサー 大島新
2022年|205分|日本|ドキュメンタリー
©『私のはなし 部落のはなし』制作委員会