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若年性認知症の人たちと共に担う福祉農業プロジェクト 若年認知症サポートセンター「きずなや」 若野達也さん

2017/03/28


近鉄富雄駅(奈良市)から車で15分ばかり。奈良街道沿い・矢田丘陵の中腹に10万平方㍍を超す追分梅林がある。かつて観光客でにぎわった4000本もの梅林だったが、約10年前の造成工事でわずか70本に。しかし今、「若年性認知症の人たちが働ける」場であると同時に、「認知症に優しいまちを目指す」場となっている。「認知症になってもその人らしく暮らせる場づくり」を願う若野達也さん(43歳)の揺るがない熱意によるものだ。その拠点となっているのが、梅林を見渡せる古民家にある「若年認知症サポートセンター きずなや」である。

若年性認知症の人たちと共に担う福祉農業プロジェクト 若年認知症サポートセンター「きずなや」 若野達也さん

 「達也は親せき中でいちばん人の役に立つ子や、お前ら見とけよ!」
 小学校5年の時、祖父が親族に向けてそう言い放ったのを、ふすまの陰で聞いていた。
 自分の存在を唯一認めてくれた祖父の言葉は、勉強もスポーツも苦手で劣等感の塊だった若野少年を奮い立たす。その場で、「これからはじいちゃんのためだけに生きよう」と心に決めたという。
 その祖父が認知症病棟に入院することになり、若野少年は学校帰りに約1ヵ月間、毎日、祖父を見舞った。
 しかし、そこに広がっていたのは、目を疑うような光景だ。施錠された病棟、異臭が漂う10人ほどの病室。病室内では叩き回っている人もいれば、暴れている人や罵声を上げ続ける人も。祖父は静かに寝ているだけなのに手首をひもで縛られ、ベッドの柵につながれていた。
「なんでじいちゃんは縛られているんですか?」
「ひもをはずしてください」
「ナースコールのベルを手の届く位置に変えてください」
 祖父を必死で守ろうと申し出る少年に、看護師は素っ気なく「危ないからダメ!」、「退院して自分で看ればいいじゃないの」と返してきた。
「僕はその時、じいちゃんにされてイヤだったことをやらない社会にしよう、高齢者福祉を正す仕事に就こう。そのために福祉大学に行こうと決めたんです」

若くして居場所を失っていく若年性認知症の人たち

kizunaya2.jpg 30年以上経った今も、その気持ちはまったく揺るがない。
 これまで活動の場を次々と変えてきたのも、「認知症であっても『普通の生活』ができる場づくりを」という信念を軸に、当事者本人の気持ちを汲み取ってきたからだ。
 念願の福祉大学卒業後、高齢者向けの病院に入り、認知症の実態を見た。市役所の障害福祉課に移ってからも、精神保健福祉師として精神障害者の相談に乗りながら、その親や祖父母の認知症の実態を目の当たりにする。精神科病院を退院できても家族に受け入れられない人、問題行為が多くて一般の施設に入れてもらえない認知症の人たちの存在も知った。
 若野さんは、行き場のない人たちのためには「自分で居場所を創るしかない」と、蓄えを投げ出して東奔西走。サポートを得て、2004年、31歳で奈良市にグループホーム「古都の家 学園前」を開設した。
 ところが、グループホームの入所者は、高齢者より若年性認知症の人たちのほうが多かった。他の施設で断わられた50代後半から60代前半の男性たちだ。「働けるうちはまだ働きたい」という本音に耳を傾けながら、若くして居場所を失っていく若年性認知症の実態に衝撃を受ける。
「本人は発症してもまだ仕事を続けていたり、家で過ごせる段階の人。当時、退職しても介護保険を使うまでには数年ある人たちの居場所がなかったんです。仮に進行してデイサービスなどに通えても、周りは高齢者ばかりで抵抗があって行けない。そうすると福祉と切れてしまう人たちです」

「もっと働いて、社会貢献したいんや」

 若野さんは、全国で初めて奈良市にできた若年性認知症の家族会に足を運び、実態を調査。専門家さえ支援の術を知らない現実に直面し、介護保険制度で対応できない人たちには、本人も家族も定期的に集まれるインフォーマルな場所が必要だと痛感する。その必要性を市町村の役所や県庁に訴えても、一方通行に終わった。
 ここでまた自ら切り拓くしかないと、2009年、奈良市のショッピングセンターの一角に「若年性認知症サポートセンター絆や」を開設した。現在の「きずなや」の前身だ。1階をスタッフや本人の活動の場とし、2階は家族会の相談や情報交換の場に。そして、認知症への偏見をなくすために、「若年性認知症の人はまだまだできることがある」「何も分からないわけじゃないんだ」と、住人たちに知ってもらおうと啓発活動からスタートした。
 また、本人たちが「働ける」「社会貢献できる」環境づくりのため、地域の祭りの手伝いや地元の家庭の庭掃除、草むしり、洗車などの仕事を請け負った。しかし、安定した収入にはつながらない。「働く」ことを持続可能な状況にすることも難しかった。若野さんは行き詰まりを感じ、絆やの事務所をいったん閉める。

認知症の人たちも地域おこしの担い手に

 そこで、発想を根本から変えてみた。目の前の「若年性認知症の人の困りごとの解決」を目指すのではなく、視野を広げて「地域の困りごとの解決」に目を向けたのだ。
「若年性認知症の人の話を聞いていくと、高齢者の悩みとは全然違っていました。やはり働きたい、社会に貢献したい、できるうちは子どもに何か買ってあげられるぐらい稼ぎたいという思いが強いんです」
 しかし、介護保険制度はもともと働けない人が対象だ。この人たちをどうやって支援していけばいいのか迷う中で、若野さんが思いついたのが地域の人たちと計画して関われる仕組みだった。
「地域で困ってることを一緒にできないかなと考えていったら、高齢化によって担い手が減り、つぶれていくような場がたくさんあることが分かった。それなら、つぶれる前に一緒にやっていくことでお互いのメリットにならないかと思いました」
 注目したのが、5年前から閉鎖されたままになっていた追分梅林。かつて4000本の梅が咲き誇る名所だったが、農地改良造成工事のため70本に減り、荒れ果てていた。
「ここだと梅をもう1回咲かせて、その中で認知症の人たちも働ける、障害者も集まれる場になればいいと思ったんです。地元の農業組合と話し合い、組合の再生のお手伝いから仕事をつくれるチャレンジをさせてもらえることになりました」
 農業と福祉のコラボレーションだ。
 土地を無償で借り、梅林が見渡せる空家を譲り受けて、2014年に若年認知症サポートセンター「きずなや」を開設。ジャングル化した土地の雑草を刈り、新たに約500本の梅の苗を植えた。さらに、奈良伝説の神木「大和橘(やまとたちばな)」を育成し、地域発展のために商品開発を行う「なら橘プロジェクト」にも参加。生薬の原料となる「大和当帰(やまととうき)」も約500本植樹した。若年性認知症の人たちを中心とした「福祉農業連携プロジェクト」である。

稼いだ後は一緒に飲もう

kizunaya3.jpg こうしたチャレンジに対して取得した各種助成金を活動資金として、現在、若年性認知症の働き手に時給800円(交通費別)、1日3時間程度の労働の場を提供している。共に汗を流すのは、50代半ばで若年性認知症を発症した男女5人(女性1人)と、若野さんの思いに共感するスタッフやサポーター計20人ほど。青空の下で土を運び、小石を拾い、肥料をやり、草を抜き......といった汗を流す作業である。
「みなさん1人ひとりがより良い福祉農業の担い手です。ここで働くことで自分の中でまだまだやれる、まだこれはできるという自尊心が高まるのではないか、また、作物を育て、成長して実をつけていく過程を楽しんでおられるのではないかと思います。それに、ここには同じ認知症の仲間がいて、気を遣わなくていいという安心感はあるようです」と若野さん。
 心地よい労働の後は、一杯飲む楽しみも。近所に飲みに行くこともあれば、きずなやが酒の席になることもある。
「この福祉農業プロジェクトで勉強不足だったのは、閉鎖した状況でバトンをもらったこと。他の成功例ではつぶれていない状況で譲り受け、翌年には収穫があって現金に還元できている。そこは反省点です」
 これまで梅、大和橘、大和当帰を3本柱に、ジャムやアイスクリーム、バターなどのオリジナル商品を開発、販売してきたが、安定供給はまだ難しい。試行錯誤しながら、オリジナルの商品化も企画中だ。
 今、活動を続けながら将来を考えると、やはり祖父の教えに戻る。
「今後、本人さんの認知症が進行して中等度、重度になられた時、介護施設に入れる人はともかく、在宅介護になる人は、地域の中でどうやって暮らしていけるのかが、私たちの課題でもある。実際に若年性認知症の人が集まれる拠点は作れたし、その中で少しでも給料がもらえる仕組みもできた。今度はその次の段階の、認知症でもその人らしく最期まで生活できる仕組みを考えていきたいです」
 今春(2017年)には、世界約70カ国が参加する「国際アルツハイマー協会 国際会議」が京都で開かれる。認知症の研究や治療ケアについて最新の実践を学び合う場だ。
「国内のさまざまな認知症の会が初めてまとまって、一緒にやろうという感じです。それぞれの得意分野を発揮しながら、繋がり合っていければと思っています」  
 そう語る若野さんには、さらなる夢がある。2016年に東京に誕生した「マギーズ東京」のような支援施設を創ること。マギーズ東京はイギリス発祥の施設で、専門家が常駐し、がん患者やその家族がいつでも気軽に行けて無料で相談できる素敵な場所だ。同じように認知症の人たちがいつでも気兼ねなく集まれる場所づくりを望んでいる。
 常にベースにあるのは、「認知症であっても、その人らしく暮らせる社会に」という祖父の教えである。

(2017年2月/取材・構成/上村悦子)

<若年性認知症>
65歳未満で発症する認知症。厚生労働省によれば2009年の調査で若年性認知症者数は3万7800人。専門家によると、実際にはその3倍とも言われる。そのうち39.8%が脳血管性認知症、25.4%がアルツハイマー病、そして頭部外傷後遺症、前頭側頭葉変性症、アルコール性認知症......と続く。働き盛りの現役世代が多く、病気への無理解から職を失うケースが少なくない。生活への不安や精神的な葛藤は大きい。

若野達也(わかのたつや)さん
1973年生まれ。96年日本福祉大学卒業後、医療ソーシャルワーカーとして働く。2004年奈良市に認知症グループホーム「古都の家 学園前」を設立、運営。09年から若年性認知症の人の就労支援に取り組み、14年SPSラボ若年認知症サポートセンターきずなやを開設。全国若年認知症支援者・家族連絡協議会事務局次長。認知症フレンドシップクラブ理事などを務める。