アルツハイマーは人生の最後に母が神さまからもらったプレゼント 映画監督 関口祐加さん
2015/07/24
映画監督・関口祐加さんが、認知症の母の日常に自らカメラを向け、大ヒットしたドキュメンタリー映画『毎日がアルツハイマー』(2012.7)、続編の『毎日がアルツハイマー2』(2014.7)。この作品を観て、介護のイメージが一変したという人は多いだろう。重いテーマがコミカルに描かれ、各シーンで思わず大笑いしてしまう。底抜けに明るい孫たちが祖母と向き合う姿も心魅かれるが、何より母・ひろこさんが気持ちがいいぐらい開けっぴろげで、人間くさいのだ。そこは29年間オーストラリアで培ったドキュメンタリー映画監督ならではの手腕、独創的なプランニング力と創意工夫が認知症ケアに対しても活かされている。
「もしかして認知症?」。母・ひろこさんの異変をきっかけに、10歳の息子を別れた夫に託し、29年間暮らしたオーストラリアから2010年に帰国した関口祐加さん。あの手この手を駆使しての在宅介護の傍ら、ひろこさんを被写体にしたドキュメンタリー映画を製作し話題となっている。現在、続々編『毎日がアルツハイマー最終劇場公開版』を製作中だ。 |
忘れもしない、2009年のクリスマスです。毎年、年末年始は息子の先人(さきと)と一緒に日本に里帰りしていたんですが、みんなでケーキを食べてワイワイやった後に、母が「しまった、ケーキ買うのを忘れちゃったよ!」と言い出したんです。
実は、その前の9月も、母の79歳の誕生日をみんなでお祝いしたことを忘れていたんですが、その時はまだ余裕があって、「ボケた、ボケた〜!」なんて歌ってました。でも、クリスマスの時は様子が違ってた。母自身が一番ショックだったようです。「どうなっちゃうんだろう」と今まで見たことのない「恐怖に怯える目」をしていて、その時「一人にはしておけない」と思い、帰国を決意しました。
母は子どもの頃から学業は首席だった人で、父と結婚してからは米穀店を切り盛りしながら私たち姉妹を育てました。14年前に父が急逝してからは、ずっと一人暮らし。ただ、2階に妹一家が住んでるので、私は全然帰国する気はなかったんです。
妹は若い時から母と折り合いが悪かったんですが、結婚後は別所帯ながらなんとかうまくやっていると思っていました。ところが認知症になった母は、鍵どころかチェーンをかけて妹を階下の母屋に入れなくなった。これではお手上げですよね。妹から泣きの電話が入ったのも、帰国しようと決断したきっかけの一つです。
それからは早いですよ。私は父似の猪突猛進型ですから、住んでいたオーストラリアの家を2週間で整理しました。その時、先人は10歳でしたが、別れた夫と話し合って預けることにしました。すごく可愛がってくれている腹違いのお姉ちゃんもいて、息子には愛してくれる家族がいる。一方、母は一人ぼっちだと思ったんです。自分の決断に迷いはありませんでした。ただ後で聞いたら、先人もすごく苦しんだ時期があったようですが。