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アルツハイマーは人生の最後に母が神さまからもらったプレゼント 映画監督 関口祐加さん

2015/07/24


辛い介護にしているのは、介護するあなた自身

 関口監督が留学したのは、専攻した国際関係論をオーストラリア国立大学院で極め、帰国後は教授の道へという母の夢を叶えるためだった。しかし、勉学中にドロップアウトし、映画監督になった娘に母は激怒。監督デビュー作品『戦場の女たち』では20代でパプアニューギニアへ。マラリアになりながらも、電気も水道もない村で6ヵ月以上生活。現地の人たちとの裸のつき合いを経験し、自分でものを考える力を身につけたことは本当に大きいと話す。映画監督として基盤を築き、結婚して息子も生まれた第二の故郷・オーストラリアが大好きで、骨を埋めてもいいと考えていた。

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 帰国後は、母にカメラを向けながら介護する日々が始まりました。認知症になった母に初めて人として魅力を感じたんです。それまでの母は、真面目で人にも自分にも厳しい優等生タイプ。本音を見せずに建前や世間体で生きてきた人だったので、とても分かりづらかった。
 私は子どもの頃から堅物の母が大の苦手で、逆に父はとても面白く大好きでした。それが今は認知症の力を借りて、抑えてきたものをワーっと噴き出している。母は遂に解放され喜怒哀楽を隠さず、怒るわ、大笑いするわ。ドキュメンタリー映画の監督なら絶対に撮りたい被写体ですよ。だって、もうむき出しですからね。

 最初は、まず認知症について勉強しようと地域包括センターの認知症講座に行ったら、ビックリ。中核症状(認知症の人に共通して現れる症状)だけじゃなく、認知症になると徘徊する人がいるとか暴言を吐く人もいるといった悲観的な周辺症状(認知症の副次的症状)の話ばかり。まさに「ネガティブキャンペーン」だと思いましたね。メディアも医療関係者もみんなそうで、認知症になったら大変としか言わない。だから、絶望的になってしまうんです。家族の会に行っても、みなさん介護の現状をグチるか、親が「顔を洗うことまで忘れた」と泣くか。洗えないなら拭いたらいいじゃないというようなアイデアがないことにも驚きました。

 母がアルツハイマー病だと診断され、いろいろなアドバイスをもらいましたが、京都の友人だけが「アルツハイマー病を楽しんで」と言ったんですよ。お父様が同じアルツハイマー病で、車でいろんな所に連れて行くうちに、息子を運転手だと思い込んでしまった。そこで彼は父親の世界を共有して、運転手役になり切ったんです。お風呂に一緒に入ったら「君は、なんて奇特な運転手さんなんだ」とすごく感謝してくれたそうです。彼はそれを「僕の顔は分からなくなっても、人に感謝する父の人間性は変わらない」と言い切ったんです。

 大事なのは、中年になった我々がそこに気づける人間になっているかどうか。ほとんどの人は親が自分の顔を分からなくなって情けないと悲しんでいるのではないでしょうか。それは自分中心の思いなんですね。だから、私はそれを「自己愛介護」と呼んでいます。
 みんな介護する自分の大変さを分かってほしいんですよ。問いかけるべくは「大変にならないように外に助けを求めていますか?」「どこかに相談していますか?」ということ。「ひょっとしたら自分で大変な道を選んでいませんか?」と。自分ができないことは助けてくださいとSOSを出せるかどうかなんです。