ウィシュマさんの事件から考える問題だらけの日本の外国人政策 弁護士 指宿昭一さん
2024/12/18
深くつながる「入管問題」と「外国人労働者問題」
私は弁護士として幅広く人権問題に取り組んできました。そのうちのひとつに外国人政策、とりわけ入管(入国管理局)問題があります。入管はかなり広い分野をフォローしていますが、特に混乱しているのは在留資格を失った人の処遇です。そこでさまざまな人権問題が起こっています。
もうひとつ重要な柱として、外国人労働者問題があります。この2つは別の問題のように見えて実は深いところでつながっています。
まず最初に外国人問題の背景についてお話します。日本では少子高齢化の進展で若年人口が減っていくことは避けられないと考えられています。2023年4月、国立社会保障人口問題研究所が日本の将来推計人口という数字を出しています。それによると、日本の総人口は50年後に現在の7割に減少、65歳以上人口は全体のおよそ4割になると推計しています。また、2066年には外国人が人口の10%を超えるという予想が出ています。しかし、私はこれから人口の10%も外国人が来てくれるのか、そちらのほうが問題だと考えています。
先日、技能実習生のベトナム人がたくさん集まる埼玉県にある大恩寺というお寺を訪ねました。ある実習生は「月15万円ほど稼いでいるが、ベトナムへの仕送りはできない。円安のため今送金すると損になるので状況を見ている」と話しました。韓国を選んだ彼の弟は月30万円の給料をもらっているそうです。今、ベトナムでは外国へ出稼ぎに行くのなら日本より韓国のほうがいいというのが定説のようです。円安の問題だけではなく、働きにくさなども関係しての発言だと思います。
アジアでは今、労働者確保の争奪戦になってきています。台湾や韓国はもうかなり受け入れを強めていますし、かつては送り出し国であった中国が受け入れを始めています。そうした中でだんだん日本に来る人は少なくなってくるだろうと予想されます。
一方、日本社会は企業にしろ地域社会にしろ外国人の労働者あるいは住民に頼らなければならない状況になっています。そのなかで日本の外国人政策がそれに応えられているでしょうか。
ウィシュマさんはどんな状況でなぜ死んだのか
スリランカ人女性・ウィシュマさんの事件についてお話しします。
2021年3月6日、名古屋入管に収容されていたスリランカ女性・ウィシュマさんが飢餓状態のなかで亡くなりました。先進国の日本で、しかも国の施設のなかで餓死者が出るとはいったいどういうことなんでしょうか。
ウィシュマさんが収容されたのは、2020年8月です。長期に及ぶ収容生活のなかで次第に食事を摂れなくなり、約5ヶ月が過ぎた2022年1月ごろからはまったく飲食できない状態になりました。2月15日の尿検査ではケトン体3プラスという数字が出ました。これは体が飢餓状態になっていることを示す数値です。
事件後、多くの医療関係者から「通常この数値がわかればすぐに病院に連れていき点滴をするはずだ。なぜそうしなかったのか」と言われましたが、ウィシュマさんは亡くなるまで一度も点滴を受けたことがありませんでした。
収容されているウィシュマさんの様子を映したビデオが残っています。その一部が裁判を通じて遺族の代理人である私たちの元に届きました。ウィシュマさんは自分が栄養失調に陥っていることを認識していて、日本語で何度も「点滴をお願いします」と現場の職員に伝えています。入管職員は「私の力ではどうしようもない、ボスに伝える」と答えています。おそらく伝えたのでしょうが、何も対応はなされませんでした。
3月4日には外部の病院に連れて行かれています。ところが点滴はされず、なぜか精神科を受診しています。やせ衰えて瀕死の状態の人に点滴などの応急処置もせず、精神科の薬が処方されています。
入管職員は、精神科医師に対して詐病(仮病)の可能性があるという情報を伝えていました。その2日後の3月6日、ウィシュマさんは亡くなりました。
亡くなる直前のビデオには衰弱し自力で上半身を起こすこともできないウィシュマさんが映っています。血圧も脈もとれない状態だったにもかかわらず、救急車を呼びませんでした。現場の判断だけでは救急車を呼べない体制になっているのだと思います。亡くなったあと、ウィシュマさんの体重は収容されたときから21.5キロ減っていることがわかりました。
この事件について入管庁と名古屋入管は、医師の指示に従って適切に対処していたと発表しました。どの医師の指示かはわかりません。少なくとも外部の病院の医師は入管が把握していたケトン体3プラスという情報を知らなかったと証言しています。
さすがにこれは批判を受けました。メディアも報道しはじめましたが、それには理由があります。ちょうど入管法改正法案が提出され、批判を受けながらその審議が進んでいた時期だったからです。そのため当時の法務大臣が指示を出し、調査が始まりました。
ウィシュマさんの事件に関して、問題点が3つあります。
1つ目。まず、なぜ点滴をしなかったのか。これは怠慢や見逃しではなく意図的だったと考えています。ウィシュマさんは留学生として来日しました。同国人と同棲していたのですが、相手からDV被害を受けて学校に行けなくなり、在留資格を失いました。
入管に収容されてからしばらくして、かつて同棲していた相手から「殺してやる」と書かれた手紙が届いたため恐怖を感じ、帰国しないことを決断しました。支援者に頼み仮放免になったら支援者の自宅に身を寄せる約束を取り付け、その手続きもしていました。帰国しないと言ったことが入管の逆鱗に触れたのだと思います。
入管は強制送還対象とした外国人を、一人でも多く早く帰国させたいと躍起になっています。強制送還というと身体拘束をして無理やり帰すようなイメージがあるかもしれませんが、実際はじわじわと圧力をかけ、本人に帰国を同意させるのが入管の手法です。同意させる手段として治療しないというやり方がまかり通っています。言語道断ですが、ウィシュマさんもその対象となり、本人にスリランカに帰りますと言わせたかったのだと思います。強制送還させるためには外国人の命と人権も顧みないというのが入管の体質です。
2つ目。仮放免という形でウィシュマさんを外に出すこともできたのになぜしなかったのか。入管自身が最終報告書に「一度仮放免を不許可にして、自分は強制送還の対象者なんだという立場を理解させ、帰国を説得する必要があった」「ウィシュマさんが仮放免されて支援者のもとで生活するようになれば帰国の説得や送還がより困難になるからだ」と述べています。
3つ目は入管の責任が問われないことです。これは権力犯罪です。しかし、こうした権力犯罪が起訴されることはほとんどありません。入管庁の幹部は検察官で占められており、いわば入管と検察は一体の組織です。また、日本の国家に根付く民族差別構造もあると私は考えています。
都合よく運用されてきた「在留資格」と外国人労働者
外国人が日本という国で生活し働いたり何らかの活動をするためには、在留資格が必要です。在留資格には期限があり、できる活動の範囲が限定されており、なかなか厳しいものです。
この在留資格を失ってしまうと、原則として収容され退去強制手続きが始まり、最終的には強制送還の対象者になります。実際に強制送還の対象になった人の95%はそれに従って帰国しています。ですから帰らない人が何十万人も日本に残っているわけではありません。
現在強制送還を命じられているけれども、帰るに帰れない状況にあって日本に残っている人たちは約4200人です。その人たちを入管は「送還忌避者」と呼んでいます。
この4200人にどんな人たちが含まれているのかというと、まずは難民申請者、難民として日本に逃げてきた人たちです。しかし日本では難民申請をしてもほとんどが認められません。例年で0.5%程度、ここ2年ほどは1%から2%くらいになっていますが、諸外国と比べると驚異的に低い数字です。いわゆる先進国では50%から60%くらい認められている国も多くあります。しかし日本では背中に拷問されたあとがあるのに、認められないというような人がたくさんいます。
次に、日本人や永住者と結婚した人たち、あるいはその子ども、また1980年代から90年代に来日し、長期間日本で働いてきた人たちです。生活基盤が完全に日本に移り日本に定着し、今さら出身国に帰っても暮らせない人たちです。
1990年代は入管も警察もそういった人々を見逃していました。見逃すどころか中小零細企業の製造現場や建設現場での労働を支える人材として積極的に活用していたわけです。2000年代に入ってから急に厳しくなり強制送還の対象になりましたが、今さら帰れないという人たちがいます。
さらに、何らかの理由で親に在留資格がなく、日本で生まれた自分には在留資格がなかったという子どもたちがたくさんいます。
相次ぐ法の改悪、止まらない国ぐるみの人権侵害
2023年入管法を改正する法案が提案され成立してしまいました。私は改悪入管法と呼んでいますが、とりわけ大きな問題は難民申請をしている人を強制送還できるようになったということです。
国際的なルールで難民申請をしている人は強制送還してはいけないというノン・ルフールマン原則があります。難民条約に規定され日本の入管法にも明記されています。その原則があるにもかかわらず例外を設けて3回以上難民申請をした人は強制送還をしても良いということになってしまいました。日本の難民認定がまともに機能していない中で、本当に送還されれば帰国後に殺される人が多く出てくるでしょう。人道上も国際条約上も許しがたいことです。
技能実習生に対する人権侵害に対する報道を見聞きした人は多いと思います。私は人権侵害が起こる状況が構造的に作られていると見ています。まず、出身国を出るときに多額の紹介手数料を労働者に負担させていること。たとえばベトナムから日本に来る場合、入管庁の調査では来日前に送り出し機関や仲介者に支払った費用の平均額は54万2311円、費用を借金している人は全体の55%となっています。しかし私の実感では、一人につき100万円程度を払っていると思います。ほとんどの人が借金をして、このお金を用意します。多額の借金を抱えて来日し働いているわけですから、職場でパワハラやセクハラがあっても、賃金が支払われなくても、長時間過重労働であっても、辞めるわけにはいきません。まだしも別の企業に移ることができればいいのですが、制度上できないことになっています。借金を抱えた債務労働の状態で、しかも転籍ができない奴隷的な構造です。
さすがにこの制度は問題であるとして技能実習制度を廃止し、育成就労という別の法案が出され審議されていますが、その中にも永住資格を取消す制度がスルッと入ってきました。有識者会議で1年かけた議論を元に法案が出てきているはずですが、それとは全く関係ないところから永住資格の取り消し制度が出てきました。
具体的には、税金の不払いなどが故意であれば取り消されることになっています。あと在留カードを忘れたというような軽微な入管法違反も全部入ります。国際的にも例のないものだと思います。
外国人の人権が守られない国では、日本人の人権も守られない
かつて安倍元首相は「日本ではいわゆる移民政策はとらない」と言いました。不思議な言葉です。とるもとらないも移民は日本社会の中に存在しています。
しかも移民政策はとらないと言いながら、実は移民に対する管理政策だけはとっています。移民政策は本来、ともに社会を構成して、国籍の有無に関わらず生きていける統合政策であるべきです。しかし日本はこの統合政策が極めて弱いいっぽうで、厳しすぎる管理だけが強調されています。これは歴史を紐解くと明らかです。
たとえば関東大震災が起きた時には、朝鮮人や中国人が数多く虐殺されました。在日コリアンの人々は「日本人」であった時代も、国籍を剥奪されてからも、非常に厳しい管理と抑圧のもとに置かれてきました。
1980年代以降、ニューカマーといわれるアジアやアフリカやラテンアメリカから多くの人が来日しましたが、その人々に対しても厳しい政策を取り続けました。
ある入管の幹部職員がこう言っています。「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」。1965年に出版された本の中にある言葉です。現在の入管の考え方にそのまま引き継がれていると思います。
外国人の人権が守られない国では、日本人の人権も守られません。一方、ウィシュマさん事件以降、市民が入管問題について声を上げるようになってきています。ウィシュマさん事件の法廷は傍聴席が常に満員です。彼女の事件に限らず入管のさまざまな問題について、多くの市民が街頭やSNSほかいろいろな形で声を上げるようになってきています。日本の外国人政策は変わっていかねばなりません。私はその希望はあると思っています。