ふらっとへの手紙 李 信恵さん ヘイトを許さない、生まない社会へVol.2
2016/05/13
ヘイトスピーチ、ヘイトデモが社会問題として認識されるようになってきました。2016年1月には大阪市でヘイトスピーチ対処条例が成立、施行されました。「在日コリアンは特権をもっている」といったデマとともに民族差別を拡散するヘイトスピーチをする団体として「在日特権を許さない市民の会(在特会)」が知られていますが、ライターとしてもユーザーとしてもインターネットに深く関わってきた私がみるかぎり、ヘイトスピーチは在特会が登場する2009年以前からありました。SNS(mixiなどネット上のコミュニティ)で在日コリアンが交流している場で朝鮮学校を誹謗中傷するなど嫌がらせをするのです。けれどその頃の私は「こんな理屈が社会に通用するわけがない」「変な人たちだから無視していれば消えていくはず」と考え、無視していました。
ところがヘイトスピーチはどんどん広がり、在特会が生まれ、ついには路上に飛び出しました。拡声器を使って公然とヘイトデモをする在特会を見ながら、「なぜここまで見過ごしてきたのか」と強く後悔しました。以来、ヘイトデモの情報が入ればできる限り現場にかけつけ、ネット上でヘイトスピーチを見つけたら指摘や抗議をしてきました。
やがて私の名前や顔が知られ、名指しで激しく誹謗中傷や差別を受けるようになります。悩んだ末に、2014年8月、在特会と前会長、そして差別発言をまとめて発信する「保守速報」に対して損害賠償を求める訴訟を起こしました。多くの人を匿名で傷つけ続けること、差別を煽って商売にするような社会を放置しておけないと考えたからです。訴訟にはお金も時間もかかり、プレッシャーも甚大です。本当に悩み、今でも悩んでいますが、「もう十分闘ってるんだから、いつやめてもいいよ」と言ってくれる人たちに支えられてがんばっています。矛盾しているようですが、二次被害を心配して強く反対した人がいたことで「これだけ考えてくれる人がいるならがんばれる」とも思いました。
ヘイトスピーチに対してカウンターをする人たちはグループもあれば個人もいます。私はライターとして取材もします。
差別語や「出て行け!」「殺せ!」という言葉を連発するヘイトスピーチに対し、カウンターの側も「帰れ!」「アホが!」と大声で対抗します。差別の言葉を打ち消したい、通りかかった人たちに聞かせたくないという思いや「差別は絶対に許さない」という怒りをこめた声です。でも「汚い言葉でやりあって、どっちもどっち」と批判されることもあります。DVなどの被害経験から男性の怒鳴り声や大きな音を聴くのが辛いという人もいます。
そこで最近、銀座でのヘイトデモに対してサイレントカウンターをやってみました。無言でプラカードを掲げ、「差別はやめよう」と呼びかけたのです。「差別する声だけが響き渡って耐えられない。攻撃されている人たちに申し訳ない」という声も出ました。どんなやり方がいいのか、カウンターの仲間たちとともにずっと悩んでいます。
「どっちもどっち」という見方には、高見の見物という姿勢を感じます。自分の場所をはっきり決めたら、「どっちもどっち」とは言えないはず。カウンターのやり方に疑問があれば、アイディアを提案してほしい。差別問題に関わると、「偉いね」と冷やかされたり、距離をおかれたりすることがあります。私は仕事もなくしました。でも何年間かヘイトスピーチを見過ごしてきたという悔いを繰り返したくない。ひとつひとつのヘイトスピーチに現場で対抗していくことが大事だと考えています。その積み重ねがヘイトスピーチに対する問題意識の高まりや大阪市の対処条例につながったと思うし、この流れをもっと強めたいと考えています。
私自身は取材でメモをとったり写真を撮ったりするのでプラカードはもたず、声も出しません。名前や顔が広く知られてしまっているので、乱暴な言葉で言い返したりするとそこだけ切り取られて攻撃されるという理由もあります。だからずっと黙って聞いています。
一方で、怒りを表現するのも大事なので、言い返すというやり方もありだと考えています。ただ、差別を打ち消すために差別的な表現を用いるのは絶対にいけません。カウンター側に年齢や外見の特徴などを言い立てる人がいたら、すぐに怒ります。カウンター活動の初期の頃は乱暴な表現もありましたが、さまざまなマイノリティーの人たちと出会い、ともにカウンターやパレードに参加するなかで人権や差別に関する学びが深まってきたと感じています。
私はネットや現場で延べ1万人ほどの人と対話をしてきました。ツィッターでの書き込みは7万回に及びます。その多くが差別的な発言をする人たちでした。少数ですが「もうこんなことはやめます。ごめんなさい」と言ってきた人もいます。もしかしたら黙ってやめた人もいるかもしれません。とても傷つくし疲れるけど、ゼロじゃないことに希望をもっています。
歴史や事実を知らず、当事者との出会いがないから、差別を煽る人たちに乗せられてしまう。差別する人を否定し、切り捨てるのではなく、出会って対話することをこれからも大事にしていきたいと思っています。(2016年4月談)