ふらっと 人権情報ネットワーク

ふらっとへの手紙



ふらっとへの手紙 「クローバー」代表 藤田和子さん vol.4

2014/06/13


生きにくい社会をつくっているのは、認知症の人への「まなざし」 若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」代表 藤田和子さん



病気になったこと以上に辛かった

 私は自分自身がアルツハイマー病になって、病気を隠して生きるという選択はしませんでした。それ以前からPTAや市民団体で人権活動をしていて、「病気を発症しての生きにくさ」を自分で発信していかなければと思ったからです。

 人権活動に関わるようになったのは、娘が小学生の時。同和教育推進委員会の役員になったのがきっかけでした。役員を終えた後も担当の教師や役員仲間と人権を考える会「たんぽぽ」を立ち上げ、同じ活動を続ける多くの仲間との出会いがありました。

 そこで気づいたのは、周囲の人たちの「無関心さ」が差別がなくならない社会をつくっていて、自分もその構成要員だということ。そして、困難を抱える人が生きにくいのは、当事者に向けられる「まなざし」であることを学びました。

 実際に、自分がアルツハイマー病になって、認知症の人への「まなざし」が、病気になったこと以上に生きにくい社会を作り出していることを身を以て知ったのです。その厳しい現実が、当事者として生きていかなければいけない、私の生き方を方向づけた気がします。

  「認知症になっても安心できる社会」とは?

「認知症患者は人に迷惑をかけ、何も理解できない人」とさまざまな場所で刷り込まれ、この病気になったら「人としてお終いだ」的に考えられているなど、社会には認知症への誤解や偏見が渦巻いています。当初、私もそう見られているのだと考えると、身がすくむ思いでした。

 それが間違いだと感じるのは患者本人です。認知症にはいろいろな種類があるのに一括りにされがちで、施策にしても介護者をサポートするものや、高齢の認知症患者を支援するものばかりが先攻しています。
「認知症になっても安心できる社会を」とスローガン的にいわれますが、実際に多くの誤解や偏見をなくしていかなければ、本当の意味で患者本人が安心して生きていける社会にはなりません。

 私はとにかく自分から発信していかなければと、発症1年後からいろんな集まりに伺い、患者本人としての想いをお話をさせてもらってきました。
 最初は病気を公表することにも不安があり、家族に影響があるかもしれないという声もあって、匿名で活動していた時期もありました。しかし、私が悪いわけでもないのに、本当の私としてなぜ活動できないのかと疑問に思ったのです。

誤解や偏見をなくすため「クローバー」立ち上げへ

 でも、社会に訴えていくには個人の力では限界があります。そこで、それまで一緒に活動してきた仲間や医師、弁護士、社会福祉士、産業カウンセラーなど多くの方の支援を受けて、若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」を立ち上げることになりました。発症から3年目の2010年11月のこと。

 クローバーの四葉が表すのは、「本人」「家族」「支援者」、そしてもう一枚が「社会」。この四葉には、これまであまり語られることのなかった若年性認知症の人々が抱える問題をみんなで一緒に考え、たとえ認知症になっても幸せに生きられる社会にしていきたいという願いが込められています。

 現在、会員は患者とその家族、支援者など74名。若年性認知症についての無料の電話相談を初め初期の認知症患者本人への支援事業、また誤った認知症観を転換するための啓発事業を行い、私自身も各地で講演活動を続けています。

 若年性認知症の人が声を挙げて、まだ10年そこそこ。無力でも私が発信を続けるのは、若年性アルツハイマー病になっても希望をもって自分らしく生きていくんだということを伝えるため。
 ただ地方では都市と比べて、こうしたクローバーの活動に賛同してくれる人たちはごくわずかで、それはすごく残念です。

私に与えられた役割

 あなたは「認知症になっても安心できる社会」とはどんな社会だと思いますか?
 よくありがちな「ちゃんと介護してあげますよ」「居場所を作りますよ」という介護者視点での発信ではなく、当事者の立場から考えてほしいのです。

 これまでの「高齢になれば誰でも認知症になるんだ」といった考え方のままでは理解したことになっていないことを分かってほしい。社会の中で一緒に生きていくためには、自分たちはじゃあ何をすればいいのかを一緒に考えてもらいたいのです。

 私が希望するのは、まず本人が安心できる社会。「認知症になったら社会から排除されるんじゃないか」「冷ややかな目で見られるのでは?」といった不安がなくなる社会です。そんな社会に1日でも早くなることを願っています。

 また、初期の診断がすごく有効な若年性認知症だからこそ、安心して受診できる医療体制を早急に整えてほしい。早めに受診して早期発見ができても、医療者が早期治療に賛同してくれないと意味がありません。
 そうなるためには初期の患者さんの声が必要であり、多くの方が安心して声を上げられる社会になってほしい。人は誰もが尊厳をもって生きていいのですから。

 現在、私はアリセプトの他、体調を落ちつけるために抗不安薬を、頭痛には鎮痛剤を服用しながら安定を保つ毎日です。
 体調が思わしくなく辛いこともありますが、周囲の支えと的確な治療によって、こうして安定した状況でいることが可能なんだということをたくさんの人に知ってもらいたくて、当事者じゃなきゃできない、私に与えられた役割だと思って活動を続けています。(2013年11月14日談)


藤田和子(ふじたかずこ)
1961年鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に9年間勤務。同居する認知症の義母、及び義父を10年余り介護の後、個人病院に復職し8年勤務。2007年6月に若年性アルツハイマー病と診断され、翌年退職。10年11月に若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」を設立。11年から13年11月まで鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。