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ふらっとへの手紙



ふらっとへの手紙 「クローバー」代表 藤田和子さん vol.1

2013/12/20


不安と混乱に耐え切れない日々でした 若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」代表 藤田和子さん



 18歳から64歳までに発症する「若年性認知症」をご存じですか。

 私が自分自身の記憶に異変を感じ、単なる物忘れとは違うことを自覚したのが2007年の4月、45歳の時でした。その後、自分がどうなっていくのか分からないという例えようのない不安の渦に巻き込まれて、1年3ヶ月。やっと信頼できる主治医に出会い、「若年性アルツハイマー病」と診断されました。それから6年半、投薬の微妙な調整と周囲の人たちの支えによって、多少の生活のしにくさを抱えながらも、現在、自立した毎日を送っています。

  私のなかから記憶が消えていく...... 

 当時、わが家は夫と3人の娘たちの5人家族。私はパートで看護師を続けながら、専門学生の長女を筆頭に3人の娘の子育てや家事に追われ、また学校の役員に、地域の人権活動にと忙しい日々を送っていました。

 異変を感じ始めたのは、発症に気づく半年前から。外出先で友人と約束しても、帰宅するとその日時を忘れていたり、娘に同じことを何度も尋ねて「さっきも言ったよ」と言わたり、直前の記憶をはっきり思い出せないことが増えていきました。

 テレビを観ようとリモコンのスイッチを入れても、入れたことを忘れてスイッチオンし、逆に切れてしまうことも。看護学生だった長女から「お母さん、病院へ行ったほうがいいんじゃない」と言われたりもしました。しかし、私は「もうこの年齢だしね」とそれほど緊迫感はなく、軽く受け止めていたのです。

もしかして、私は若年性アルツハイマー病?

 最初に体調の変化を感じたのが、2007年3月のです。いつものように床につき、夜中に何かで頭を殴られたようなすごい痛みで目を覚ましました。発作の前兆のような激しい痛みでしたが、それは1回だけ。それからはスーパーのような広い場所に行くと、頭がクラクラすることが多くなったものの、貧血のせいかなと思っていました。

「単なる物忘れじゃない」と認めざるを得ない出来事が起きたのが、4月に入ってから。自分用に買っていたコーヒーゼリーを朝食べたことを忘れてしまったのです。

 夜になって、冷蔵庫を再び開けた私は、「コーヒーゼリーを誰か食べた?」と、何の疑問もなく娘たちに問いかけました。「えっ! お母さん、思い出して!」と驚いた様子の娘に言われ、記憶をたどってみると、朝なのか昼なのか、ぼんやりと自分が食べている姿を思い出しました。きっと娘たちに指摘されなかったら気づかなかったことです。

 また、部活に行くはずの娘の部屋に向かって、「◯◯ちゃん、部活でしょ!」と声をかけ、そばにいた夫に「さっき行ったよ」と言われこともありました。そういえば、ぼんやり「行ってらっしゃい」と言ったような気がしました。

 これは単なる物忘れじゃない。もう絶対おかしい。病院へ行くべきだと思いました。ちょうどクリスティーン・ボーデンさんの若年性アルツハイマー病の体験記を読んだところで、「若年性アルツハイマー病」という病名が頭に浮かんだのです。

 それからは家族や友人、看護師の同僚に、「私はおかしい、 絶対病気だと思う!」と言い回りました。でも、みんなは異口同音に「そんなことないよ! 私もよくあること、大丈夫!」と言うだけでした。

 その一方で、記憶障害はストレスや甲状腺の機能低下、うつ病などが原因で起きることを看護師の知識として知っていました。私は2004年に卵巣の摘出手術をし、一ヵ月後にはC型肝炎を発症。数ヶ月続いたインターフェロンの副作用でうつ状態になったこともあったのです。そのストレスが原因かもしれないという気持ちもあり、確実に自分はおかしいという想いとの間で揺れ続けました。

「薬を飲みますか? どうしますか?」

 5月にまず心療内科の先生に相談したところ、私の記憶障害は心の問題などから起きるものとは違うので、大きい病院で脳の機能を検査したほうがいいとの診断。すぐに鳥取市内の総合病院の脳神経内科を受診しました。

 認知症を知能面から検査する長谷川式テストでは異常はなく、MRIで少し海馬が委縮気味という程度でした。しかし、脳の血流を画像で見るSPECTで頭頂部と側頭部に血流の低下がはっきりみられ、その結果と私の日常の症状から「若年性アルツハイマー病だと思われる」と診断されたのです。

「ああ、やっぱり......」という気持ちでした。しかし、医師は治療には消極的で、「薬としては現在アリセプトしかありませんが、飲む、飲まない? どうしますか?」と、患者である私に聞かれたのです。

 私は当時、薬の勉強会でアリセプトの効き目について、あまりいい評判を聞いていなかったことと、薬局でアリセプトを処方してもらう際に、自分がアルツハイマー病だと周囲に分かることにも抵抗があって、医師から「1年様子を見て、1年後にもう一度検査しましょう」と言われるまま、薬を飲まない選択をしてしまいました。

毎日が混乱状態だった

 それからの毎日が大変でした。

 1日の予定を記憶するのが辛くなり、常にカレンダーとにらめっこ。日時や曜日があやふやなまま生活するのが苦しかったです。

 献立を立ててスーパーに行っても、食品売り場で買物をする時には何を買うのかも忘れてしまい、店内をくるくる回ってしまうことや、レジで計算してもらっている買物カゴの中に、買っておきながら忘れてしまっている商品が入っていることもあって、すごく不安でイヤな感じでした。

 また、お金を払う時に自分なりに計算して小銭を出しても、レジの人に怪訝そうな顔をされ、百円玉を十円玉と間違えることが何度もありました。そうした毎日の小さなミスの積み重ねが「なんで、なんでなの?」の想いに変わり、毎日が混乱状態にあったのです。

 9月に入って、こんな状態なら薬を飲むべきだと考え、総合病院の脳神経内科を再診しました。医師に薬を飲みたいと訴えると、「こんなにしっかりしとんさるのに、今から薬を飲んでどうするんですか! 高価な薬を死ぬまで飲むことになるんだよ!」と逆にたしなめられました。私はどうしようもなく、耐え切れないほどの不安を抱えながら翌年の5月まで様子をみることにしたのです。その頃から、眠れない日が続くようになり、睡眠導入剤と安定剤を飲み始めました......。(2013年11月14日談)



若年性認知症/65歳未満で発症する認知症。厚生労働省によれば2009年の調査で若年性認知症者数は3万7800人。専門家によると、実際にはその3倍とも言われる。そのうち39.8%が脳血管性認知症、25.4%がアルツハイマー病、そして頭部外傷後遺症、前頭側頭葉変性症、アルコール性認知症......と続く。若年性認知症の場合、自分自身の異変に気づくのは本人で、年齢が若いだけに生活への不安や精神的な葛藤は相当深刻である。

アリセプト/アルツハイマー病の進行を遅らせる薬。通常3㎎を2週間服用し、問題がなければ5㎎に増量する(厚労省認可)。現在は他にレミニール、メマリーも。


藤田和子(ふじたかずこ)
1961年鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に9年間勤務。同居する認知症の義母、及び義父を10年余り介護の後、個人病院に復職し8年勤務。2007年6月に若年性アルツハイマー病と診断され、翌年退職。10年11月に若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」を設立。11年11月から鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。