ふらっとへの手紙 黒川美恵子さん vol.2
2011/10/06
(2011年7月13日/談)
私が、石巻にフィールドコーディネーターとして着任したのは4月24日。行政はまだまだ「走りながら動いている」状態の時でした。
石巻には、いろいろなボランティア団体が入っていました。私たちPCAT(日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロフェクト)は、医師や看護師、理学療法士らがボランティアで入り、ケガ人の手当など緊急医療支援を体当たり的にやっていました。
最初の1カ月ほどは、いろんな団体がいろんなことをして、被災者の命が助かれば許されます。しかし、中長期に入ると、どの団体が何を担当しているのかを整理整頓していかないと、自治体ともぶつかります。
私の役目は、「今、本当に必要なこと」を見定めて、いろいろな支援の動きを一本ずつ整理し、流れをつくり、プロジェクト化すること。
着任した時、言葉は悪いですが、私には、ボランティアが被災者さんたちを取り囲み、恰好の"餌食" にしているように思えました。みんな、何かやりたくて被災地に来る。でもそれは、極端に言えば、被災者のためじゃなく、自己満足のためなんじゃないかと。
そのころ、私たちのPCATの拠点、要介護3~5のお年寄りの避難所「遊楽館」の避難者数は約150人でした。支援物資は十分に届き、リハビリの環境も整い、被災した石巻市立病院からこの避難所に拠点が移った看護師さんが70人ほどいて、シフトを組んでケアしていました。そういう状況の中で、ボランティアが「あれしましょう」「これしましょう」......。
プロジェクトを整理していくにつれ、「やりすぎだなあ」というのが見えてきたんですね。ボランティアは、被災者の人たちが自分で考えて動くことを助けるものなのに、と。
PCATは、私とあと2人が有償の専従で、休暇を使って全国や海外からもボランティアに入ってくれる医師、看護師、薬剤師、理学療法士らで構成。2~3日だけの人も多いので、引き継ぎが大変ですが、1日平均18人ほどでシフトを組み、地域医療のリーダーシップをとる石巻日赤病院の医師や、自らも被災したにもかかわらず石巻に残って医療活動をしている家庭医たちの負担を軽減するために、「遊楽館」と在宅の方々の医療支援とリハビリ、検死検案などを柱にしようとデザインをつくっていきました。
具体的には、被災者一人ひとりを回り、床ずれなどの直接の手当のほか、病状が悪化している人を、意見書を付けて日赤病院に運ぶなど。身一つで避難してきていたお年寄りたちは、常備薬を抱えては来ていませんから、1カ月も薬を飲めないでいると、危ない状態になる人もいる。処方箋を一からやり直すこともありますし、また、介護認定を受ける手続きや、ソーシャルワーカーさんと連携して罹災証明の発行や仮設住宅の応募のお手伝いなど、支援のメニューは多岐にわたっています。
ここ遊楽館の避難者のケースを見ていくと、震災前はヘルパーに来てもらって在宅介護を受けて暮らしていた65歳以上の人がほとんど。多くは、老々介護か一人暮らしでした。震災後、低体温、激痛で亡くなった人が2人出ました。飲まず食わずで1週間経ち、歩けなくなってしまったり、認知症が悪化した人もいましたが、逆に、避難所に来てからの方がリハビリが進み、寝たきりから起き上がれるように、歩けるようになった人もいます。
4月下旬から7月中旬までの2か月半で、遊楽館の避難者は、約150人から50人に、約100人減りました。元の家や仮設住宅に移った人もいますが、遠方の病院に移った人も少なからずいます。
医療法の「臨時応急」により、病院が病室の定員を超えて受け入れることができ、罹災した人たちの診療費を国が全額負担したからなんですが、ここにきて7月1日に後者の制度が終わったために、診療費の自己負担額が払えない人たちが出てきて、「そろそろ病院から出て行ってください」と尻たたきが始まっています。仮設住宅の建設が当初予定どおりに進んでいないこともあり、先行きが見えないのが現実です。
PCAPでは、石巻医師会と石巻警察からの依頼を受けて、医師による検死検案の支援もしていますが、6月ごろから、40~50代男性など就労層の自死が増えていると感じます。原因をひもとくと、二重債務など経済苦に陥った人が多いんです。「(地震・津波から)助からなきゃよかった」と書いた遺書が残されていて、重い気持ちになったこともあります。
今,思うのは「生活弱者はどこまでも弱者だ」ということ。遊楽館の避難者を含め「情報と足とお金」を持たない人が、医療からも遠ざかるということです。それって、私が勉強してきた途上国の母子保健と同じじゃないかと気づいたんです。
途上国の子どもが、家に経済力がないために、教育を受けられない。バスに乗って、病院に行けない。レイプを「ノー」と言う発言権がなく、性感染症などに罹患し、母子ともに死ぬ......。そんな途上国の母子保健のバックグラウンドと、情報と足とお金を持たない被災地の弱者の構造は同じで、連鎖していると。
図らずも、これまで勉強してきたことが、石巻でのフィールドコーディネーターの経験によってクリアになった私は、現職の任期が終わると、再び途上国で働くつもりです。
関連リンク:日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)